善福寺公園めぐり

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沖浦和光 宣教師ザビエルと被差別民

沖浦和光『宣教師ザビエルと被差別民』(筑摩選書)を読む。
今年読んだ本の中でいまのところ一番おもしろかった本。

日本およびアジアの被差別民について調査・研究を行ってきた社会学者・民俗学者沖浦和光の遺稿。
日本に初めてキリスト教を伝えたとされるザビエルを、日本の被差別民との関係から考察している。
そのため著者は、ザビエルが滞在したインドのゴアや、インドネシアの香料列島などにも足を運び、調査・研究を行ったようだ。
ザビエルは単に布教のためだけでなく、「癩(らい)者」(ハンセン病患者)などの被差別民の救済をめざしてアジアや日本にやってきたのだという。

そうしたザビエルの足跡とともに、日本の仏教についての分析も興味深い。
宗教改革というとローマ・カトリック教会に対して変革を唱えたプロテスタントの運動を指すが、日本でも宗教改革の運動があり、それは、天皇・貴族のために国家鎮護を第一義とした旧来の仏教に対して起こった、法然親鸞、一遍、日蓮道元栄西など鎌倉時代の革新仏教だったという。

特に、奈良・平安時代以来の級仏教の教説を批判し、宗教改革運動の先頭に立ったのは法然で、彼は専修念仏によって「貴・賎」「男・女」を問わず、どんな人間でも阿弥陀仏の慈悲によって救われるという、当時としては全くの革新的な思想を強く押し出したという。

彼が説いたことは国家存立の根本構造である「身分制度」そのものを覆す過激なものであった。
すなわち「貴」の対極にある「賎」、「尊」の対極にある「卑」の身分、かれらは「悪人」「非人」とさげすまされてきたが、法然は自らを罪障深い愚衆の一人と断じ、悪人こそ阿弥陀仏の本願に叶う人びとであるとして、すべての人間の平等往生を説いたのであった。

こうした日本における宗教改革の中で、鎌倉時代以後の仏教には、差別を否定する思想やハンセン病患者らを救済する活動があったという。
しかし、それにも限界があり、近世になって儒教的な「貴・賎」観よりもヒンドゥー教に影響を受けた密教の「浄・穢」観、つまり「ケガレ」の思想が広がる中で、やがて被差別民は見捨てられるようになっていった。

このようにして底辺の民衆が苦しんでいるさなかにやってきたのが、ザビエルだったのだ。

日本列島でどれほどのキリシタン信者がいたかは定かではないが、最盛期には3、40万人以上と推定されているという。沖浦は本書で「現在日本のキリスト教徒の総数が約百五万人であるから、戦国時代末期の人口が二千万人にみたなかったことを考えると、この数十万人は驚くべき数字である」と書いている。
たしかにスゴイ数字だ。