善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

プラハ・ウィーンある記 9

プラハ・ウィーンの旅8日目(9月30日)も絵画・音楽三昧。

せっかくカフェ文化の街ウィーンに来たのだからと、ウィーン工科大学近くにある「カフェ・シュペール」で朝食。
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1880年創業の老舗中の老舗。いろんな分野の芸術家たちが常連として通い、クリムトらの「分離派」もここで誕生したんだとか。ひょっとしてわれわれの座っている席だろうか?

ウィーンのカフェの三種の神器といえばビリヤード、チェス、新聞だったというが、この店の奥にはビリヤード台があり、上に新聞が置いてある。そんな店は今では数少ないという。

伝統を重んじるだけに、トイレの表記もドイツ語のみ。女性は「ダーレン」、男性は「ヘーレン」。「だーれン? ヘーレン!」と覚えた。

ここで食べたのはパンとマーマレード、ポットコーヒーの「シュペールセット」。8・25ユーロ。

ゆっくり朝のときをすごしたあとは、歩いて地下鉄U4のケッテンブリュッケンガッセ駅の目の前にある「メダイヨンマンション」と「マヨルカハウス」。
1898年~99年にオーストリアの建築家オットー・ワーグナーが設計して建てられたもの。もちろん現在もアパートとして使われている。
メダイヨン・マンションはマンションの壁が金色の装飾で飾られていて、何とゴールドメダル。それでメダイヨンマンション。
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隣にあるのがマヨルカハウスで、壁面の装飾は赤いバラの木。イタリアのマジョリカ焼きのタイルを用いているのでこの名がついた。
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建物を見て、駅に向かっているとにぎやかな声が聞こえる。
近づいて行ったら市場だった。新鮮な野菜や果物、肉、チーズ、魚、パン、豆、香辛料などがところ狭しと並んでいて、近づいていくと試食させてくれる。
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なぜか熱帯のマンゴーとかランブータンパッションフルーツなどの果物が豊富で、柿もあった。日本原産で、学名も「Kaki」と表記するらしい。
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チーズもいろんな種類のがあった。
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どこの都市に行っても市場は楽しい。
あとで調べたら、ナッシュマルクトというウィーン最古の市場だそうだ。

ケッテンブリュッケンガッセから地下鉄で1駅のカールスプラッツで降りたところにあるのがセセッション館(または分離派会館)。1897年にクリムトを中心に結成された新しい造詣表現を主張する芸術家のグループ、ウィーン分離派オットー・ワーグナーもその1人)の展示施設。この建物の設計者はヨゼフ・マリア・オルブリッヒで、白亜の建物の上部には金色のドームのようなものがあり、よく見ると月桂樹だという。その姿から別名「金のキャベツ」。
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こちらは昔のセセッション。
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玄関上部には「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を(Der Zeit Ihre Kunst,Der Kunst Ihre Freiheit)」というスローガンが刻まれている。
ここでの見どころは地下にあるクリムトの代表作の1つ「ベートーヴェン・フリーズ」。

1902年に開催された第14回分離派展への出品作。ベートーヴェン交響曲第9番歓喜の歌」を絵画化した作品だ。
このときの分離派展は、分離派の画家たちと交友のあった世紀末ドイツの芸術家マックス・クリンガーが制作したベートーヴェン像を中心に、楽聖ベートーヴェンを称賛するために企画された展示会。

クリムトは「第9」を絵画化した大壁画「ベートーヴェン・フリーズ」として作品を発表した。
「フリーズ」とは「帯状装飾」の意味だそうで、壁画は3つの壁の天井に接した高い位置に横に長く描かれていて、第1場面は「幸福への憧れ」、第2場面は「敵対する力」、第3場面は「幸福への憧れは詩の中に和らぎを見いだす」というテーマで、全長約34mの大フレスコ画となっている。

当時のカタログによると、漆喰の上にカゼイン・ペイント(つまりは牛乳由来の天然塗料ということか)と金を用いて描いたという。

壁画は展示会終了後に撤去、つまり取り壊される運命だった。それはもったいないと美術愛好家のカール・ライニングハウスに買い上げられ、その後、しばらく行方不明になっていたんだそうである。やがて発見されたのをオーストリア政府が買い上げ、修復を経たのち、ふたたびこのセセッションに帰って来たという。
どの情景も細部にわたって美しい。

昼近くなって観光名所の「シュテファン寺院」へ。デカイ、とにかくデカすぎる。この大寺院だけでなく、ウィーンはプラハと比べて建物がどれもドデカい。3階建ての建物が10階建てぐらいに見えて、首が疲れるほど。昔も今も、人はなぜ、デカいものをつくりたがるのだろうか。

昼食はシュテファン寺院から歩いてすぐのところにあるイタリアンの店「ダカーポ」で。アンチョビのピザにサラダ、ビール、白ワイン。

夜は楽友協会ホールでのモーツアルト・コンサート。
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大ホールは元日のウィーン・フィルニューイヤーコンサート会場として知られるが、われわれが行ったのはブラームス・ザールという小ホール。宮廷時代の衣装を着た楽団員がモーツアルトの音楽を奏でる。

席はバルコニー席。小ホールといってもかなり大きく、バルコニー席からは演奏者が小さく見える。観光客が多いから演奏中もみんなカメラでパチパチ撮っている。こっちも一緒に。
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コンサートの最後はモーツアルトと関係ない「美しき青きドナウ」と「ラデッキー行進曲」(シュトラウス親子作曲)。ウィーン・フィルニューイヤーコンサートの最後と同じで、観客も大喜び。

コンサートからの帰りが10時すぎ。そのまま歩いてすぐのホテルに帰る。途中、「ビアライター」というレストランで遅い夕食。というかウィーンでの最後の晩餐。
アメリカン・スペアリブを頼んだら、出てきたのをみてまたびっくり。これで1人前?と思うほどドでかい。しかもナイフが突き刺さっている。
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おかげで満腹になって、ホテルに戻ったのは12時近く。

翌日は朝、シティエアポートトレイン(CAT)でウィーン国際空港へ。
ここでの朝食も、やはりドでかいウィンナーソーセージに、ビールの飲みおさめ。

12時発のモスクワ経由のアエロフロート機に乗り、成田到着は翌日の10時半ごろ。
かくてプラハ・ウィーンの旅はつつがなく終了したのである。
ご愛読ありがとうございました。