善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱」「黄金の棺」

スペイン・カタルーニャの赤ワイン「クロ・アンセストラル(CLOS ANCESTRAL)2021」

(写真はこのあと牛ステーキ)

バルセロナの近郊、ペネデス地方でワインづくりをしているトーレスの赤ワイン。

トーレスでは、カタルーニャの文化やワイン造りの遺産を後世に残したいと「古来品種復興プロジェクト」に取り組んでいて、「クロ・アンセストラル」とは、クロは「塀に囲まれたブドウ畑」、アンセストラルは「古来の」という意味で、「古来のブドウ畑」という意味だとか。

ペネデス地方で栽培されているスペインの代表品種テンプラニーリョとガルナッチャに、高温や干ばつに耐性のある古来品種「モネウ」をブレンド

ラズベリーやバラなどの華やかなアロマと凝縮感のある果実味が魅力の1本。

 

ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたイギリス映画「キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱」。

2019年の作品。

原題「RADIOACTIVE」

監督マルジャン・サトラピ、出演ロザムンド・パイクサム・ライリーアナイリン・バーナード、アニヤ・テイラー=ジョイほか。

1903年に物理学賞、1911年に化学賞と2度のノーベル賞を受賞し、日本ではキュリー夫人として知られるマリ・キュリーの伝記ドラマ。

 

1893年、23歳のポーランド女性、マリア(マリ)・スクウォドスカ(ロザムンド・パイク)はパリのソルボンヌ大学で科学を学んでいた。だが、女性であり、なおかつ自己主張が強すぎる性格ゆえに担当教授から冷遇され、研究室から追い出される。経済的にも貧しく、苦学していた彼女に救いの手を差し伸べ、自分の研究室に招いたのが当時35歳の物理学者ピエール・キュリーサム・ライリー)だった。

2人は意気投合して共同研究を始め、1895年には結婚して彼女はキュリー夫人となる。4年がかりの研究で2人は新元素のラジウムポロニウムを発見。その物質が発する放射線を「放射能」と名づけ、1903年、夫婦でノーベル物理学賞に輝く。

ところが1906年、ピエールは道路を渡ろうとしたところを馬車に轢かれて46歳で亡くなる。まだ幼い2人の娘とともに残されたマリだったが、彼女はさらに研究を続け、1911年にはノーベル化学賞を受賞。彼女はノーベル賞を受賞した最初の女性だったが、世界で初めて2度のノーベル賞受賞者となった。

しかし、輝かしい業績とは裏腹に、女性であることや、ポーランドからの移民であるというので、いわれのない差別や非難にもさらされる。

そして、彼女の発見した放射能は、やがて原爆や水爆などの核兵器となって人類の脅威になっていく・・・。

 

原題の「RADIOACTIVE」とは、そのものズバリ、「放射能」。

映画では、女性の研究者で、ポーランドからの移民であるがゆえの差別や偏見、夫の死後の私生活まで問題とされて苦しんだキュリー夫人の激動の半生が描かれる一方で、ときおり広島・長崎への原爆投下やビキニの水爆実験、アメリカ・ネバダ州の核実験、チェルノブイリ原発事故の映像なども挟まり、キュリー夫人ラジウム発見が核兵器開発や制御不能原発につながったような描かれ方をしていたが、本当にそうなのか?

 

彼女がラジウムを発見した当時、放射性物質の危険性については科学者の多くも認識しておらず、むしろ有用性ばかりに目が行っていたようだ。

人類に幸せをもたらす魔法の物質のようにいわれて、ラジウムを肥料にすれば味のよい穀物を大量につくれると学者が発表したり、さまざまなラジウム関連商品が欧米で人気となり、放射性歯磨き、放射性クリーム、放射性ヘアトニック、ラジウム・ウォーター、ラジウム入りチョコバーなどが次々と発売された。

むろん、放射線の一種であるX線は病気発見に役立っているし、がん治療に放射線照射が有用であることは現代科学が証明しているが、過度な照射や無防備な取り扱いが人体に害を及ぼすとは当時、キュリー夫人も思ってもいなかったようで、素手で触ったりしていた。おかげで彼女が遺した研究ノートは放射能まみれで、今でも触るのは危険だといわれているほど。

彼女の体も強い放射線にさらされていて、1934年、66歳で亡くなるが、死因は放射線を扱う作業による再生不良性貧血といわれていて、遺体を納めた棺は厚さ2・5㎜の鉛に覆われていたという。

100年近くたった今も触ると危険といわれるほど放射線を帯びているのは当然のことで、彼女が発見した新元素ラジウムはウランの100万倍も強い放射線を放ち、その半減期は1600年もある。

 

それにしてもキュリー夫人はなぜ、放射性物質に注目して夫とともに研究を始めたのだろうか?

きっかけは同じ時期に活躍したフランスの物理学者アンリ・ベクレルが、ウラン化合物から放射線が出ているのを発見したことだという。

ベクレルはその正体や原理の解明ができないまま、研究を放棄してしまっていた。このベクレルの発見に目をつけたのが、そのころ、新しい論文のテーマを探していたキュリー夫人で、夫のピエールから「面白そうじゃないか」と勧められて研究を始めた。

その結果がラジウム放射能などの発見につながり、そもそものきっかけをつくったベクレルとともにノーベル物理学賞を受賞する(放射能の単位を示すベクレルはアンリ・ベクレルにちなんでいる)。その一方で、彼らの発見は核兵器開発につながっていくのだが、当然のことながらキュリー夫人らには何の罪もない。彼女らは、不思議な現象に対する好奇心、未知のことを明らかにしたいという科学者の使命感があったからこそ研究に没頭し、新元素の発見に至ったのであり、それが悪魔の兵器につながるなんて思ってもみなかったに違いない。

 

しかし、キュリー夫人らの発見をもとに、彼女らの次の天才たちが原子の力に注目し、核兵器や、一度事故を起こせば取り返しのつかない大惨事となる原発開発に突き進んでいったのも事実だ。

放射性物質は、核分裂とその連鎖反応により莫大なエネルギーを生み出す。この核分裂と連鎖反応の仕組みを利用して、瞬時に反応を起こせば原爆となり、時間をかけてゆっくり反応を進めていけば原発になる。

抑えられない好奇心をもとに新たな発見をしたとしても、その後にもたらされる物質の副反応というか副作用にも当然、目を向けるべきで、危険性がないかどうかを確かめることも、科学者としての使命だったとはいえるかもしれない。

そして、もし放射能が危険を生み出すとしたら、それを制御しようとするのは、科学者の良心にゆだねられるとともに、政治の責任でもある。

人類はまだ原子力を使いこなせるレベルには達していない、との指摘もある。「あえてこれ以上の研究をしない」と研究にフタをする、あるいは研究はしても開発はやめるということも、ときには必要なのではないだろうか。

 

実は、原爆開発につながる核分裂を発見した一人で、のちに「原爆の母」とも呼ばれたオーストリア出身の物理学者リーゼ・マイトナー(1878~1968年)は、原爆開発のマンハッタン計画に誘われたものの、新しい科学技術は平和目的でこそ使われるべきであり、戦争という破壊的な目的に転用されるべきではないとして、きっぱりと参加を拒んでいる。

核分裂の発見者としてマイトナーの共同研究者であるオットー・ハーンにはノーベル賞が授与されたが、マイトナーは選ばれなかった。戦後になっても何度も推薦されるも、やはり選ばれていない。その理由は、女性であったためともいわれているが、ひょっとして原爆開発に加わらなかったことで横やりでも入ったのか?と勘繰りたくもなる。

イギリス・ハンプシャーに眠る彼女の墓には次の文字が刻まれているという。

リーゼ・マイトナー 人間性を失わなかった物理学者」。

 

そういえば日本学術会議は1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、また1967年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発表している。これは、大日本帝国下で科学者たちが侵略戦争に協力してきたことへの反省と、再び同じ事態が生じることへの懸念からだったが、平和を求める科学者の良心の表明といえるだろう。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のCSで放送していたイタリア・スペイン合作の映画「黄金の棺」。

1966年の作品。

原題「I CRUDELI」

監督セルジオ・コルブッチ、出演ジョセフ・コットン、ノーマ・ベンゲル、ジュリアン・マテオス、エンジェル・アランダほか。

「続・荒野の用心棒」のセルジオ・コルブッチ監督によるマカロニ・ウェスタン。日本では劇場未公開でテレビで放映された。

 

南北戦争北軍の勝利で終わった。しかし、負けたことを信じたくない南軍のジョナス大佐(ジョセフ・コットン)は、南軍を再編して北軍を倒し、新政府の樹立を図ろうと資金調達のため息子3人とともに北軍の現金輸送隊を襲撃。奪った大金を棺の中に隠し、将校の遺体を運んでいると偽って逃亡を図る。

途中、息子の一人ベン(ジュリアン・マテオス)が酒場で見つけてきたギャンブラーのクレア(ノーマ・ベンゲル)を未亡人役に仕立てて旅を続けるが、やがてベンとクレアは恋仲となり、一家には亀裂が生じ始める・・・。

 

原題の「I CRUDELI」はイタリア語で直訳すると「残酷な者たち」。

音楽はクレジットではレオ・ニコルスとなっていたが、エンニオ・モリコーネの別名。

 

「第三の男」のジョセフ・コットンが主役で、戦いを諦めようとせずに南軍の復興をもくろむ狂信的でまるで反省のない指揮官の役を演じているが、一説によると、反骨精神あふれるコルブッチ監督だけに、第二次大戦末期のムッソリーニをダブらせていたのではないかといわれている。

連合軍がイタリアに侵攻した直後の1843年6月、ドイツ、日本とともにファシスト国家を率いていたムッソリーニは不信任を突きつけられ、逮捕されるが、ドイツが侵攻してきて、幽閉から解かれたムッソリーニナチス占領下のイタリア北部で独立政権を樹立する。しかし、ムッソリーニはドイツの傀儡でしかなく、1945年4月、パルチザンに捕らえられ、ミラノ市民の前に引き出されて愛人とともに処刑された。

だが、今回、本作を見ていて思い浮かべたのは、アメリカのトランプ前大統領の姿だった。

大統領選挙で負けたのに“票を盗まれた”とかいって負けを認めず、フェイクを並べ立てて返り咲きをねらっているところなんか、映画のジョナス大佐そっくり。イタリア発の映画なんだけど、すでに60年近く前に現代アメリカを予言しているような作品だった。