善福寺公園めぐり

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きのうのワイン+映画「華麗なるリベンジ」+韓国“出所豆腐”の由来

南アフリカの赤ワイン「ズベシャル・エディション・ピノタージュ(SPECIAL EDITION PINOTAGE)2021」

ワイナリーはレオパーズ・リープ。

ブドウ品種は南アフリカ固有種のピノタージュとサンソー。

軽すぎず、重すぎず、バランスのとれた味わい。

 

ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していた韓国映画「華麗なるリベンジ」。

2015年の作品。

原題は韓国語で、直訳すると「検事外伝」という意味。

監督・脚本イ・イルヒョン、出演ファン・ジョンミン、カン・ドンウォン、イ・ソンミン、パク・ソンウンほか。

手荒な捜査で知られる熱血検事ピョン・ジェウク(ファン・ジョンミン)。取り調べ中の容疑者が不審な死を遂げ、担当検事だったジェウクはまったく身に覚えのない殺人容疑で逮捕され、15年の実刑判決をいい渡される。ところが、実は政治家がからんだ利権がらみの事件のため罠にはめられたと知って、復讐を誓う。

再審請求を試みるも圧力をかけられ叶わないまま。やがて彼は、獄中で出会った男前の詐欺師チウォン(カン・ドンウォン)に、出所させる代わりに協力してくれと取引を持ちかける。ジェウクは法律知識を駆使してチウォンの無罪放免を勝ち取り、自由の身となったチウォンは獄中のジェウクからの指示を受けて、検事と詐欺師によるリベンジ作戦が始まる・・・。

 

無実の罪で刑務所に入れられた検事と、口先だけで生きるイケメン詐欺師が、コンビを組んで悪徳政治家と上司に立ち向かう姿を描いた作品。

熱血検事と詐欺師がともに協力し合うというところが意表をついていて、それなりにおもしろく楽しめたが、注目したのは本筋とは関係のない、映画の最後のシーンだった。

ついに冤罪を晴らして刑務所から解放された検事のジェウク。刑務所の門から外に出ると、出迎えたのは詐欺師のチウォンで、彼は持ってきた豆腐をジェウクに差し出す。

ハテ、刑務所から出所した人にナゼ豆腐なの?と思ったが、実は韓国では「刑務所から出所したら豆腐を食べる」という習慣があるのだという。

それで思い出したのが、友人の話だった。こちらも豆腐を食べる習慣についてだが、どんなときに豆腐を食べるかというと葬式のとき。韓国は刑務所からの出所で、日本では葬式のときに、何ゆえ豆腐を食べる習慣があるのだろうか?

 

出所時の豆腐も初耳だったが、葬式で豆腐を食べるというのも初めて聞いた。

初めて聞く話だからどこでもというわけではなく、東京でも杉並区・練馬区あたりの一部の地域でのことらしく、神奈川、埼玉でも同じような風習があるという。

友人は、毎日散歩している杉並区善福寺の善福寺公園近くに代々住んでいて、納棺を始めるときに、お皿に載せた豆腐一丁を参加者全員で食べるのだという。これを「食い別れ」といって、納棺にあたり白いものを食べて身を清める意味があるのではないか、と友人は語っていた。

たしかに葬式に「白」はお清めの意味があって不可欠なのはわかる話だ。

納棺の儀式では、冥途への旅装束というので白い着物を着せて棺の中に納めたりするし、今は参列者はみんな黒い喪服を着るが、黒ではなく白い服で参列するのがもともとの姿だったに違いない。白ではなく黒服を着る代わりとして、お清めのために白い豆腐を食べるのかもしれない。

では、刑務所の出所のときの豆腐は?

刑務所の門の前で待っていた家族や友人が、持ってきた豆腐を差し出し、出所者にその場で食べさせるというのだが、少なくとも日本にはそういう習慣はない。なぜ韓国にはあるのか?

出所のときの豆腐の理由には諸説あって、豆腐のように真っ白な心になって人生をやり直せるようにという願いが込められているとか、豆腐にはタンパク質が豊富に含まれているので獄中に不足した栄養素を補うためとか、それまで質素な食事だったのがいきなりご馳走を食べては体によくないので消化吸収のよい豆腐から、などといわれているが、一番の理由は葬式のときと同様に「お清め」の意味が込められているのはたしかだろう。

韓国の日刊紙「東亜日報」の1993年12月25日付で、「出所儀礼」としての豆腐にまつわる記事が載っている。以下、その要約。

 

クリスマスを迎え、全国30以上の刑務所から1300人の時局囚と一般囚とが一斉に特別仮釈放された。24日の午前、各刑務所の正門前では、「出所通過儀礼」でひとしきり騒ぎが起きていた。

もともとの「出所通過儀礼」では、出所者の家族が刑務所の正門前で、まず出所者の体に粗塩を振りまき、出所者が「厄払いが終わった」とパガジ(瓢箪を半分に割ってつくったものをすくうための入れ物)を踏み潰して、豆腐を食べる。これにも「きまり」があって、粗塩は3回振りかけ、パガジは足を交互に替えながら3回踏みつけ、豆腐は3回切って食べるという3の原則の要領を必ず守らなければならない。
このような通過儀礼の伝統について、ソウル拘置所の副所長は「朝鮮時代の義禁府の時代からあったようだ」と話している。

 

義禁府とは、李氏朝鮮と呼ばれた朝鮮王朝の時代(1392年~1897年)にあった王命により大罪人の取り調べを行う官庁のことで、この時代からすでに出所者に豆腐を食べさせる習慣があったのだという。

 

豆腐はいつごろ誰によって考案されたかというと、前漢の皇族の1人、劉安(紀元前179~122年)だとする説がある。そもそも原料である大豆の起源が中国・黄河流域と考えられているので、中国にルーツがあるのは間違いないようだ。

豆の料理は穀類などと比べるととても難しい。どうしてかというと豆は水を加えて煮てもなかなか軟らかくならないので、手間ひまがかかるからだ。そこで古来、人々は何とか簡単でおいしく食べられないだろうかとさまざまな豆の加工品を考えたが、豆を食べやすくしたという点で豆腐は大発明といわれている。

豆腐が発明されたのが前漢のころだとしても、そのルーツはもっとさかのぼる。北方の遊牧民族が中原になだれ込んだとき、乳加工品の1つでヨーグルトに似た「乳腐」がもたらされ、これが豆腐のルーツといわれている。

しかし、牛や羊の乳を原料とするのが乳腐であり、牧畜をあまりやらない中国の人々の間では原料に不自由し、なおかつ乳は高価だった。このため、乳の代用品として大豆を使い、豆腐がつくられるようになったといわれている。

実は、豆腐のルーツが北方の遊牧民の乳腐であるということが、儀礼のときに豆腐が使われるそもそもの由来になっているのではないかと思えてならない。

なぜなら、北方の遊牧民族の末裔であるモンゴルの人々は、今も牧畜を生業にしているが、彼らにとって乳製品は家畜の恵みによる「白い食べもの」として特別の価値を持つものとなっているからだ。

モンゴルでは、葬送儀礼や婚姻儀礼など儀礼の場に人が集まると1つの碗に乳が注がれ、訪問者はそれを飲んで歓迎を受ける。真っ白い乳は神聖であるとともに、参加者が1つの碗から口にすることで互いの「つながり」が醸成されるというのである。

特に葬送儀礼は「白い行為」とされ、婚姻儀礼の「赤」と対比されているというから、真っ白な乳の役割はとても重要なのだろう。

乳の白さには「浄化作用」が託されている。中国において、乳が大豆になり豆腐となっても「浄化作用」は変わらず、「白」への思いはそのまま引き継がれている。その証拠に、中国では今も葬式のときに豆腐が食べられている。

上海などがある中国の江南地方では、葬式のあとに「豆腐飯」を食べる風習があるという。

上海の例では、人が亡くなった当日、弔問客が訪ねてくると「豆腐飯」と呼ばれる精進料理で客をもてなし、葬式が終わったあとも、忌中の家は「お斎(とき)」(葬式のあとの食事会のこと)として「豆腐羹宴」を設けて客をもてなす。おかずが主に豆腐や野菜を使う精進料理なので「豆腐羹宴」と呼ばれる。

これは「上海通誌」という地方誌に載っている清朝晩期から中華人民共和国が成立した1949年までの例だが、上海では現在でも葬式後の「豆腐飯」の習慣が残っているようだ。

上海に滞在している日本人のレポートによれば、出棺後は葬儀場と連携しているレストランに行き、「豆腐飯」を食べるのだという。豆腐飯は参列者への感謝の気持ちを込めるとともに、故人があの世に旅立つ前の最後の食事ともなるのだという。ただし、昔は豆腐だけの食事だったのが、現代は肉や魚、海老など豪華なメニューになっているそうだ。

 

日本はどうかというと、日本への豆腐の伝来は奈良から平安時代にかけて遣唐使として中国に渡った僧や学者が豆腐のつくり方を教わって日本に持ち帰ったとの説が有力らしいが、ほかに、中国から朝鮮を経て豆腐づくりの技法が伝わったとの説もあるそうだ。

いずれにしろ、中国から伝わったとき使い方も同時に伝わったのかどうかはわからないが、日本では葬式のときの儀礼として使われるのは、遠くモンゴルの風習がめぐりめぐって日本にも伝わった気がしてならない。

上海などで行われている葬式のときの「豆腐飯」の習慣も日本にある。

島根県鳥取県の郷土料理のひとつに「豆腐飯」というのがある。冬至の前後につくられる家庭料理で、乾煎りした豆腐や山菜を炊き込み飯にしたものだが、もともとは葬式のあと、葬式の賄いをした女性たちが食べていたのが始まりという。豆腐に大根や菜っぱを加えただけの簡素なものだったが、しだいに具を増やして山菜を豊富に使ったものになり、今では郷土料理にもなっている。

一方、韓国はどうか。刑務所の出所のときの儀礼に使われるというのは不思議な話だが、韓国でも、もともとは日本と同様に葬式のときの儀礼で使われていたのが、時代を経て刑務所の出所のときの儀礼に転用されていったのではないだろうか。

前に引用した「東亜日報」の記事では、出所の際の儀礼は「塩」と「パガジ」と「豆腐」の三点セットとあったが、葬式から帰宅してお清めとして塩を振りかけるのは日本にもあるし韓国にもあり、パガジを踏み潰すのも、韓国の葬式のときの儀礼として棺を安置した部屋の敷居の上のパガジを砕いて厄払いをする風習がある。

「塩」も「パガジ」も葬式のときの儀礼をそのまま出所時の儀礼に転用したのであり、「豆腐」も同じと考えていいだろう。

刑務所時代の自分を死者に見立てて弔い、つまりは過去の自分は忘れ去って再スタートするための「みそぎ」であり「お清め」の儀式の1つが、豆腐を食べることだったのではないか。

中国の「豆腐飯」が日本に伝わってきて、ある地域では葬式のあとの賄いとして食べられ、それが郷土料理ともなり、東京あたりの一部地域では“お清め”として豆腐だけを食べるようになり、さらに韓国では何と刑務所の出所者の“お清め”になっている。

真っ白な豆腐は、歴史をたどると、根っこは同じで共通するところがあるものの、“味つけ”はさまざまであり、その時代、その地域によりいろんな利用の仕方をされているようだ。