善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

声の世界を旅する

増野亜子『声の世界を旅する』(音楽之友社)を読む。

世界各地の人々の暮らしと声との関係、いわば“声の文化”を考察した本。
読んでて特に感銘を受けたのはモンゴルの遊牧民と動物の声について。
らくだの涙』というドキュメンタリーに出てくるエピソードらしいが、こんな話を紹介している。

ある家族が飼っているラクダの一頭が大変な難産の末にようやく子どもを産む。
しかし、出産時の苦痛の記憶のせいか、母ラクダは子育てを拒否し放棄して、わが子を寄せつけようとしなくなる。乳を飲めなくなった子ラクダは、このままでは死んでしまう。

そこで一家はしきたりにしたがって馬頭琴の奏者を呼んで、「フースの儀礼」というのを行う。
抵抗する母ラクダを引っ張ってきて、背中のコブに馬頭琴をかけ、リボンで結ぶ。
すると、草原の風を受けて馬頭琴の弦がひとりでにひゅーひゅーと音を鳴らし始める。その風のささやきのような響きを聞くうちに、母ラクダは次第におとなしくなる。

一家の若い母親が子守歌のようなメロディを歌いながら、泣いている人の体をさするときのように、ラクダの体をやさしくなでる。馬頭琴が彼女の歌を伴奏する。

歌詞は「フース、フース」という言葉の繰り返しで、旋律はシンプルだが美しく、やさしい声。
歌を聞くうちにさっきまで暴れていた母ラクダはじっと動かなくなり、やがてその目に涙が浮かんでくる。
儀礼のあとに家族が子ラクダを母親の乳房にあてがうと、母親は静かにわが子を受け入れる。

人とラクダは歌を通じてコミュニケーションし、ラクダは馬頭琴と人の声に癒されたのだろうか。