善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「フェアウェル」「アンモナイトの目覚め」「チャトラパティ」

チリの赤ワイン「モンテス・アルファ・メルロ(MONTES ALPHA MERLOT)2021」

生産者はモンテス。

ブドウ畑はアンデス山脈の麓に広がるコルチャグア・ヴァレー。その中のアパルタ・ヴァレーという地域。さらに中でも「アルファ・メルロ」が収穫される畑は「ラ・フィンカ・デ・アパルタ」と呼ばれる畑。この畑は、チリでは最高の赤ワインを産出することで知られており、モンテス社が所有する最高の畑の1つなんだとか。

ふくよかで丸みのある味わいが魅力の1本。

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたアメリカ映画「フェアウェル」。

2019年の作品。

原題「THE FAREWELL」

監督・脚本・原作・製作ルル・ワン、出演オークワフィナ、ツィ・マー、ダイアナ・リン、チャオ・シューチェン、水原碧衣ほか。

中国で生まれアメリカで育ったルル・ワン監督が自身の体験にもとづき描いた物語。祖母思いの孫娘を演じたオークワフィナはニューヨーク・チイーンズ生まれのラッパーで女優。

 

ニューヨークに暮らすビリー(オークワフィナ)は、中国にいる祖母(チャオ・シューチェン)が末期の肺がんで余命数週間と知らされる。この事態に、アメリカや日本など世界各国で暮らしていた家族が帰郷し、親戚一同が久しぶりに顔をそろえる。

アメリカ育ちのビリーは、大好きなおばあちゃんが残り少ない人生を後悔なく過ごせるよう、病状を本人に打ち明けるべきだと主張するが、中国に住む大叔母がビリーの意見に反対する。中国では助からない病は本人に告げないという伝統があり、ほかの親戚も大叔母に賛同。ビリーと意見が分かれてしまうが・・・

 

原題の「THE FAREWELL」は「サヨナラ、お元気で」という別れのあいさつだが、中国語のタイトルは「別告訴她」で、「彼女には教えないで」の意味という。

1983年生まれで今年40歳になるルル・ワン監督は6歳のときに北京からアメリカのマイアミに家族とともにやってきた移民。アメリカと中国の2つの異なる文化の間で、家族との関係や友人や同僚との関係はいつも分断されるように感じてきた、と語る監督がぶち当たった問題が「がんの告知」だったようで、中国では伝統的に、がんで余命わずかということを決して本人には伝えてはいけないのだという。

映画の中でも、「西洋では個人の命は本人のものだが、東洋では家族のものであり、地域のものだ」という意味のセリフがあった。余命幾ばくもないことを本人に伝えるなんてとんでもない話で、その苦しみを、本人にかわって家族が背負うべきだというわけなのだろうか。

 

たしかにそういわれると同じ東洋の日本でも、つい最近まで、がんの告知、特に予後が悪く余命が短いと判断された場合は、本人に告知しないケースが多かった。

ちょっと古いが1993年のデータでは、東北大学医学部の濃沼信夫教授がアメリカのがん研究者らと行った共同研究の結果がある。それによると、がん告知をするかしないかの背景には宗教的な側面もあるようで、カトリックが多い南欧やフランスでは告知率が結構低い状況にある一方で、アメリカとかフィンランド、ドイツ、オランダといった国はプロテスタントが多く、それが影響しているのか、あるいはアングロサクソン系が影響しているのか、非常に高い告知率で、濃沼教授は「がんの病名告知や緩和ケアには、宗教の影響も無視できないように思える」と語っている。

では、仏教や儒教の影響が強い中国、日本ではどうかというと、中国では患者に対する告知率が41・3%、家族に対して90・2%。日本は患者に対して29・5%、家族に対して95・7%と、患者本人に対するがんの告知率は中国より日本のほうが低くなっている。

世界全体で見ても、本人50・7%、家族88・0%だから、本人へのがんの告知率は日本はかなり低い水準のようだ。

これに対してドイツは本人78・8%、家族81・0%、アメリカは本人78・3%、家族94・9%、フィンランドは本人89・3%、家族81・3%といずれも高率だ。

 

では、予後・余命が非常に悪いときの告知率はどうかというと、世界全体では本人に対して34・0%、家族に対しては78・5%と、本人に対してはやはり低い数字になっている。

日本はどうかというと本人18・1%、家族88・6%。中国では本人38・5%、家族81・6%と、ここでも日本のほうが低い数字だ。

ちなみにドイツでは本人44・8%、家族69・7%、アメリカは本人67・9%、家族84・3%、フィンランドは本人70・7%、家族69・2%となっている。

 

それから10年あまりたった2007年の厚生労働省研究班の報告によれば、日本のがん患者への病名告知率は66%で、7割近い人が告知を受けるまでになっている。一方で、がんが進行した場合の「あとどのくらい生きられるか」という余命の告知率は、やはり30%まで低下している。

国立がん研究センターがまとめた2021年現在の本人に対するがん告知率は94%に達しているから、がんの告知は日本ではかなり進んできているといえるだろうが、中国ではどうだろうか?

予後が悪い場合の告知についてはデータが見つからなかったのでわからないが、どこまで告知が進んでいるのだろうか?

 

ところで、映画では日本に住んでいる孫の一人が日本人の女性と結婚して、中国で開いた披露宴の様子も描かれるのだが、新郎が新婦のアイコ(水原碧衣)と一緒に舞台の上でデュエットした曲が「竹田の子守歌」だった。

「竹田の子守歌」はもともと京都地方で歌われていた民謡で、1960年代の後半にうたごえ運動の中で採譜・編曲され、はじめは合唱曲として歌われた。その後、フォークソングとしても広まり、フォークグループの「赤い鳥」によって全国的に知られるようになったが、「守(もり)も嫌がる 盆から先にゃ」と歌い出す子守奉公のつらさを歌った悲しい曲で、被差別部落のことを歌っているというのでテレビ局が放送を自粛するようなこともあった。

それを何で中国の結婚式で歌っているのか?と思ったら、この曲は中国では「祈祷(チィドォ、祈り)」という題で歌われる有名な曲で、中国人の中には自分の国でつくられた曲と思っている人も少なくないのだとか。

メロディーはそのままだが歌詞はまるで違っていて、希望や夢、祈りを歌う内容。70年代に台湾ドラマのテーマソングとして歌われて、その後、中国全土で爆発的な人気となり、誰でも知っているような曲になったのだとか。

歌の運命とはわからないものだ。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のCSで放送していたイギリス映画「アンモナイトの目覚め」。

2020年の作品。

原題「AMMONITE」

監督・脚本フランシス・リー、出演ケイト・ウィンスレットシアーシャ・ローナン、フィオナ・ショウ、ジェマ・ジョーンズほか。

19世紀半ばのイギリスの封建社会を舞台に、女性古生物学者と若き人妻が運命の恋に落ちていくさまを描いた作品。

 

1840年代、イギリス南西部の海辺の町ライム・レジスで、世間とのつながりを絶ち暮らす人嫌いの古生物学者メアリー・アニング(ケイト・ウィンスレット)。かつて彼女の発掘した化石は大発見となり大英博物館に展示されるに至ったが、女性であるメアリーの名はすぐに忘れ去られ、今は観光客の土産物用アンモナイトを探しては細々と生計をたてている。

そんな彼女はある日、裕福な化石収集家の妻シャーロット(シアーシャ・ローナン)を数週間預かることとなる。美しく可憐で奔放、何もかもが正反対のシャーロットに苛立ち、冷たく突き放すメアリー。だがメアリーは、自分とはあまりに違うシャーロットに惹かれる気持ちをどうすることもできない。そしてシャーロットの存在が、次第に、メアリーが頑なに心の奥底に隠していた恐れや秘密、そして彼女自身も知らなかった本当の想いをつまびらかにしていくが・・・。

 

ケイト・ウィンスレットシアーシャ・ローナンという演技派女優の初共演。息をのむような展開で、なおかつ2人の切なくも燃え立つような美しさに見入ってしまった。

 

主人公の古生物学者メアリー・アニングは実在の人物という。

1799年イギリス南西部ドーセット州ライム・レジス生まれで、1847年、乳がんのため47歳で没。

貧しい家に生まれ、両親は10人の子どもを持つも、成人まで生き延びたのは兄ジョセフとメアリーだけ。家計のために観光客向けの化石採集をしていた家具職人の父に化石発掘を教わるが、1810年に父が急死。学校にも行けなくなったメアリーは、兄ジョセフと家計を支える。

1811年、わずか13歳のときにイクチオサウルス(魚竜)の全骨格を、24歳でプレシオサウルス(首長竜)を、世界で初めて発見。化石は王立協会の手に渡り、評判を集める。独学で地質学や解剖学を学び、さらに多くの化石を発見するが、女性で労働者階級のメアリーは論文発表も学会入会も認められなかった。

しかし、彼女の研究はダーウィンの進化論の理論形成にも影響を与えたともいわれている。彼女の死の直前、ロンドン地質学会は彼女を名誉会員に認定。彼女の死後、163年もたった2010年、王立協会はメアリーを「科学の歴史に最も影響を与えた英国女性10人」の1人に選んだ。

 

彼女は結婚はせず、生涯独身だったという。

だが、映画で描かれたのは、そんな彼女が同性愛に目覚め、人を愛することを知った物語だった。

史実はどうかというと、彼女が同性愛者だったというたしかな証拠はなく、劇中の同性との恋愛は創作されたものという。自身が同性愛者である監督のフランシス・リーは、メアリー・アニングのどの資料を読み漁っても同時代の人が彼女について書いた本は皆無に等しかったため、独自の解釈で脚本を書いたと語っている。

しかし、実在の人物を描いた映画で、「虚構」はどこまで許されるのだろうか?

これについては本作の「公式サイト」で「思いがけない誕生秘話」として語られていて、ナルホドと思ったので紹介しよう。

以下、「公式サイト」よりの引用――。

 

本作誕生のきっかけは、フランシス・リーの恋人の誕生日だった。彼は、化石や鉱物好きな彼氏へのプレゼントを探している中で、何度もメアリー・アニングという名前に出会うことに気づく。

19世紀に気候の厳しいドーセット海岸で働いた労働者階級の女性、ほぼ教育など受けていないのに11歳という若さで一家の大黒柱になり、男性優位の階級社会の中で独学で古生物学を学んだ女性。自身が階級やジェンダーに強迫観念を抱くリーは、彼女に強く興味を惹かれる。
しかしどれだけ資料を読み漁っても、同時代の人が彼女について書いた本は皆無に等しく、リーは独自の解釈でメアリー・アニングという女性を描こうと思い立つ。

「僕は自伝を作りたかったわけじゃない。メアリーを尊重しつつ、想像に基づいて彼女を探求したかった。女であれ男であれ、メアリーが誰かと関係を持ったという証拠は一つも残っていないが、彼女に相応しい関係を描きたいと思っていた」
当時、女性は男性の従属的な立場にあったため、メアリーは社会的地位と性別のせいで歴史からかき消されてしまった。リーはいう。

「だからこそ男性との関係を描く気になれなかった。彼女に相応しい、敬意のある、平等な関係を与えたかった。メアリーが同性と恋愛関係を持っていたかもしれないと示唆するのは、自然な流れのように感じられたんだ。そのうえで社会的にも地理的にも孤立し完全に心を閉ざしてきた女性が、人を愛し、愛されるために心を開き、無防備になることがどれだけ大変かを描きたかった」
英国王のスピーチ」などアカデミー賞に多くの作品を送り出してきた本作プロデューサーのイアン・カニングはリーの決断に対してこう語る。

「メアリーの人生に、異性との恋愛関係があっただろうと考えるのと同じく、同性との恋愛関係があったかもしれないというアイディアに対し、自由でオープンであることが、私たちの時代の特徴だと思う」

 

魚竜はもちろん、恐竜の存在すらまだそれほど知られていなかった時代、黙々と化石を探し続け、今に至る恐竜ブームの先駆けともなった人がメアリー・アニング。

彼女が発見したイクチオサウルス大英博物館に収められ展示されるようになるも、彼女が女性で肩書もないゆえか、発掘者の名前は伏せられ、化石保持者である男性貴族からの贈呈品とされていたという。

メアリーが24歳のときに発見し、現在、ロンドンの自然史博物館に展示されているプレシオサウルス

入館者と比べてもその巨大さがわかる。

 

民放のCSで放送していたインド映画「チャトラパティ」。

2005年の作品。

原題「CHATRAPATHI」

監督・脚本S・S・ラージャマウリ、出演プラバース、シュリヤー・サラン、バーヌプリヤーほか。

約8000万人の母語人口を持つインド南東部2州の公用語テレグ語による、歌あり踊りありのマサラムービー

 

インド難民が住むスリランカ沿岸部の村で、異母兄弟のシヴァージとアショクは母親から平等に愛情を受け3人で暮らしていた。

しかし、実の子の自分より前妻の子のシヴァージばかりを母は可愛がっていると邪推した弟のアショクは、地元民に襲われて村を追われたとき、シヴァージは死んだと母に伝えて2人だけで脱出する。

一方、はぐれたシヴァージは友人たちに助けられインド沿岸の町へ流れ着く。そこは難民が奴隷のように扱われる町だった。12年後、たくましく成長したシヴァージ(プラバース)は町を牛耳るバージラオを倒し、「民の王」を意味する「チャトラパティ」と呼ばれるようになるが、そこへ素性を隠した弟アショクがやって来る・・・。

 

マサラとはインドなど南アジアで用いる香辛料のことで、さまざまな香辛料を粉状にして混ぜ合わせたもの。混合香辛料のマサラのようにアクションからコメディ、ロマンス、それにミュージカル要素までをまぜこぜにしてつくった映画がマサラムービー

 

本作でも、元気かつセクシーな歌と踊りがたびたび挿入され、まさしく“歌って踊るアクション&ラブストーリー&親孝行物語”。

インド映画は時間が長いとよくいわれるが、本作も165分、2時間45分と3時間近い。

同じS・S・ラージャマウリ監督の最新作「RRR」は179分でほとんど3時間。

ほかにも1990年代の代表作「ムトゥ 踊るマハラジャ」が165分、2009年の公開当時インド映画歴代興行収入1位を記録した「きっとうまくいく」が171分で、やっぱりどれも長い。

日本でも欧米でも、長編映画の上演時間はだいたい110分~130分、平均すると120分、2時間ぐらいといわれる。

それなのに、どうしてインド映画はどれもこれも長いのか?

これについてはいろんな意見がたたかわされているが、要するに「インド人は映画が大好きで、むしろ時間をかけて観られるのがうれしくて、映画を楽しんでいるからではないか」というのがその理由なのではないだろうか。

 

3時間もあるような映画は、たいがい途中で10分ぐらいの「Intermission(休憩)」が入り、お客たちはその間、ロビーに出てくつろいだり、コーヒーやソフトドリンクを飲んだりしてひと休みする。こうして束の間のリラックスのあと、再び映画の世界に戻っていくのだ。

それは、映画を時間をかけて楽しもうと思っているからこそできることなのではないか。

そういえば昔の欧米や日本の古典的名作と呼ばれる作品の中にも、3時間を超えるような大作があったものだ。「風とともに去りぬ」(1939年)は3時間42分、「七人の侍」(1954年)3時間27分、「ベンハー」(1959年)3時間44分、「アラビアのロレンス」(1962年)3時間27分、「クレオパトラ」(1963年)3時間12分(劇場公開版)、「旅芸人の記録」(1975年)3時間50分・・・。

 

映画ではなく、実演の舞台だと3時間ぐらいは当たり前の世界だ。

たとえばオペラはだいたい3時間ぐらいが多いようで、2~3幕仕立てで間に1回とか2回の休憩が入る。

中でもワーグナーのオペラは長いのが多くて、4時間を超えるのはザラ。

ニュルンベルクのマンスタージンガー」は3幕あって実質4時間20分の長丁場で、間に30分の休憩を挟んで合計6時間ぐらいかかる。

休憩時間にはお客たちらはシャンデリアが輝くロビーで、優雅にオシャベリに興じていただろう。

 

もっとすごいのは日本の歌舞伎だ。

2013年の歌舞伎座新開場杮落とし公演での「通し狂言 義経千本桜」は昼の部、夜の部に分けて昼の部4時間、夜の部4時間20分(休憩含む)で、合計8時間20分。午前11時に開演して終わったのは夜8時40分だった。

江戸時代にさかのぼればさらにすごいことになっていて、芝居見物は1日がかりが当たり前だった。

義経千本桜」は「大序」から始まる全五段の大作で、明け六つというから朝6時ごろから始まって、終わるのは暮七つ半、夕方5時ごろまで(何しろ当時はロウソクしかなかったから夜の公演は不可能だった)、1日かけて1本を上演していた。

やはり1日がかりの公演の「仮名手本忠臣蔵」は全十一段もあるが、江戸時代中期に活躍した初代中村仲蔵が定九郎の型を完成させる以前、五段目が舞台にかかるのがちょうどお昼ごろというので、この幕を「弁当幕」といって、いっせいに食べものが客席に運ばれてお客は舞台も見ないで飲み食いに取りかかったという逸話が残っている。

つまり歌舞伎とは、それくらい時間をかけてもいいような庶民にとっての娯楽だったのだ。

インドの人々が長い時間をかけて1本の映画を見て、笑ったり悲しんだなするのもわかる気がする。

ちなみにインド・ニューデリーの映画料金は日本円で300~400円ほどだそうだ。

露店で飲むチャイ1杯が10ルピー(日本円で約18円)程度というから、高いのか安いのか。少なくとも日本人から見れば破格の安さだ。