善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「I am sam」「薔薇のスタビスキー」「ピストルと少年」

アルゼンチンの赤ワイン「プリヴァータ(PRIVADA)2020」。

(写真はこのあと牛のサーロインステーキ)

ワイナリーはボデガ・ノートン

今やアルゼンチンを代表する品種となっているマルベックとカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロをブレンド

ルビーレッドの色合い、豊かな果実味が主役の濃厚な赤ワイン。ボトルも重い。

 

ワインの友で観たのは、NHKBSで放送していたアメリカ映画「I am sam アイ・アム・サム」。

2001年の作品。

原題「I AM SAM」

製作・監督・脚本ジェシー・ネルソン、出演ショーン・ペンミシェル・ファイファーダコタ・ファニングダイアン・ウィーストほか。

知的障害を持つ父親をショーン・ペンが演じ、幼い娘との愛の確かさをビートルズの曲とともに描くヒューマンドラマ。

 

知的年齢が7歳とされたサム(ショー・ペン)は、コーヒーショップで働きながら娘ルーシー(ダコタ・ファニング)を育てている。ルーシーの母親は、ルーシーを産んですぐに姿を消してしまっていた。

健やかに育ったルーシーだったが、父の知的能力を追い越すようになり、福祉局のソーシャルワーカーは今後のサムの養育を疑問視して彼から養育権を取り上げてしまう。

娘と離れたくないサムは、エリート弁護士のリタ(ミシェル・ファイファー)に窮状を訴える。最初は取り合わなかった彼女だったが、自分が社会奉仕の仕事もできることをまわりに見せつけるために無償で弁護を引き受ける。

しかし、裁判ではサムに不利な証言ばかり。最終的な判決が出るまで、サムには条件付きの親権しか認められず、ルーシーは里親と一緒に暮らすことになるが・・・。

 

障害があったとしても普通に生きられる社会。それこそが、人と人とで成り立っている社会の本当の姿なのではないか。そのためのバリアフリーであり、ダイバーシティということだろう。

では、普通に生活するって何か?

恋愛や結婚、出産・子育ては、まさしく普通のことであり、誰もが望むことなのではないだろうか。

しかし、日本には、障害者が普通に暮らすことが踏みにじられた時代があった。

優生保護法」(1948~1996年)という法律のもとで行われていた障害者への強制不妊手術。これこそがその代表的な悪例だ。

たとえ知的障害があったとしても、子どもを産みたい、育てたいというのは基本的な権利なのだから、やめさせることはできない、そんなことするべきではない。

かつては知的障害者が出産した場合、親と子は引き離され、子どもは乳児院に預けられるというケースが多かったともいわれている。

しかし、むしろまわりの人たちがやるべきことは、知的障害者が子どもを産み・育てようとしたら、それが普通なこととしてできるよう、支援し、応援することなのではないか。

一番いいのは知的障害者が心置きなく子育てできるような公的制度をつくることなのだが、それができない間は、行政も含めた地域で自主的にでも支援し応援していくことだろう。

障害がある人が当たり前のように子育てできる社会を実現するにはどうしたらいいのか、そのことを、この映画は問いかけている。

 

民放のBSで放送していたフランス・イタリア合作の映画「薔薇のスタビスキー」

1974年の作品。

原題「STAVISKY」

監督アラン・レネ、出演ジャン・ポール・ベルモンドシャルル・ボワイエ、フランソワ・ペリエ、アニー・デュプレーほか。

「夜と霧」「去年マリエンバートで」などのアラン・レネ監督が、ジャン=ポール・ベルモンドを主演に1930年代のフランス政財界を揺るがした「スタビスキー事件」を映画化した実録サスペンス。

2022年にベルモンド主演作をリマスター版で上映する「ジャン=ポール・ベルモンド傑作選3」で日本で47年ぶりに劇場公開された。

 

1930年代初頭。ウクライナ出身のユダヤ人実業家アレクサンドル・スタビスキー(ジャン・ポール・ベルモンド)は、支援者のラオール男爵(シャルル・ボワイエ)らと組んでビジネスで成功を収め、妻アルレット(アニー・デュプレー)とともにパリで華やかな暮らしを送っていた。

しかし、スタビスキーのビジネスは、そのほとんどが彼の軽快な口車と政財界の有力者への賄賂で得た利権を用いた詐欺まがいのものだった。やがて明らかになりはじめた彼の犯罪は、当時の政権にまで波及する疑獄事件に発展し、国家を揺るがすほどの一大スキャンダルになっていく・・・。

 

希代の詐欺師の存在が、ひょっとしたらフランスの運命を変えることになったのかもしれない、そんな思いすら抱かせるのがフランス政界を揺るがしたスタビスキー事件。

1929年、アメリカで恐慌が起こり、世界は一挙に不安な時代に突入した。

恐慌はフランスにも波及したが、保護貿易政策により乗り切ろうとした。当時、フランスでは急進社会党社会主義政党ではなくブルジョワ中間派を基盤とした共和主義政党)などの中道左派が政治の中心だった。

隣国ドイツではヒトラーが台頭。フランス国内のナチスに呼応した極右勢力の動きも活発になっていた。

一方、海を隔てたイギリスは、ソ連など社会主義勢力の影響が広がるのを警戒してナチスドイツと友好的な態度をとっていた。

33年、日本は国際連盟を脱退。ドイツではヒトラーが首相となりナチスが政権を樹立。

そんなさなかに起こったのが、スタビスキーによる中道左派政権の幹部を巻き込んだ汚職スキャンダル事件だった。

スタビスキーによる詐欺事件が発覚し、それに政財界の有力者たちが介在していることが明るみに出たのだ。

スタビスキーは社交界でも知られ、隠然とした力を政治家や警察にも及ぼし、巧みに逃げ回った。しかし、時の急進社会党政権にも逮捕者が及んでくると、翌34年1月、スイス国境に近いシャモニーで自殺死体となって発見された。

右翼の新聞が政権による口封じのための謀殺だとかみつき、疑惑がますます深まると、右翼団体は内閣打倒のデモを呼びかけ、多数の死者を出す騒擾事件に発展。右派はますます勢いを増し、共産主義社会主義の恐怖をあおるのと相まってファシズム運動が広がっていく。

ことここに至って、知識人や労働組合の中からは、それまで対立を続けていた社会党共産党が対立を停止して統一戦線をつくることを望む声が強くなり、反ファシズム統一戦線の気運が高まっていく。

36年の総選挙では共産党を含めた左派政党が圧勝して人民戦線政府が樹立された。

激変するフランスの政治を、“ショック療法”的に動かしたのは、スタビスキーが引き起こした汚職スキャンダルだったのかもしれない。

 

当時の政治・社会情勢を反映した作品だからか、映画が始まってすぐにソ連から国外追放されたトロツキーが出てくる。彼は実際にスタビスキー事件が起きたときフランスに滞在していたが、役者が妙にホンモノに似ていた。

 

スタビスキーは公の場に姿を現わすときには必ず胸に一輪の真紅のバラを挿していたという。それでタイトルも「薔薇のスタビスキー」となったのだろうが、映画を見ていると、スタビスキーの胸ポケットにあったのはどう見てもカーネーションに見えるんだが。

 

華麗な日々をすごす妻アルレット役のアニー・デュプレーが美しい。彼女の衣装デザインの担当はイブ・サンローランだった。

老練な男爵を演じたシャルル・ボワイエはこの映画の公開のとき75歳で、ニューヨーク映画批評家協会賞最優秀助演俳優賞を受賞。4年後の1978年、長年連れ添った妻ががんで亡くなり、その2日後に大量の睡眠薬を飲んで自殺。享年78という。

 

民放のBSで放送していたフランス映画「ピストルと少年」。

1990年の作品。

原題「LE PETIT CRIMINEL」

監督・脚本ジャック・ドワイヨン、出演リシャール・アンコニナ、クロチルド・クロー、ジェラール・トマサンほか。

一人の少年が30分間にわたって刑事を人質に取ったという実話をヒントに描いた、孤独な非行少年と刑事と少年の姉との物語。

 

南仏の海岸都市セットの団地で、酒びたりの母親と暮らす14歳の少年マルク(ジェラルド・トマサン)。父親は離婚したためいなくて、母親の再婚相手と暮しているが、学校にもなじめず、孤独の日々を送っている。

ある日、家にかかってきた1本の電話から、死んだと聞かされていた姉ナタリー(クロチルド・クロー)がそう遠くない町に住んでいることを知る。

まだ一度も会ったことがなく、顔も名前も知らない姉に会いに行くことを決意したマルクは、義父が置いたままにしていたピストルを手に旅費を得るため薬局で強盗を働くが、運悪く顔見知りの刑事ジェラール(リシャール・アンコニナ)と出くわしまう。とっさにピストルを突きつけて刑事を人質にとったマルクは、刑事の車で姉の住む町へと向かう。

再会した姉は、初めのうち弟を追い返そうとする。しかし、やがて刑事に弟の罪を軽くするように頼むようになり、少年と姉、刑事の3人での帰路となる。

姉と弟は肉親の絆を取り戻し、刑事もまたそんな姉弟に情を移していくが・・・。

 

思春期の少年の孤独感がひしひしと伝わってくるような映画。

何しろ主人公の少年は最初から最後までしかめっ面で、少年らしい笑顔になることがなかった。

少年役のジェラール・トマサンは監督の目にとまって抜擢された新人という(監督は役者としてより、より主人公に近い境遇の少年を探していたという)が、カメラをずっと凝視し続けるまなざしが印象的だった。その演技が評価され、この年のセザール賞(フランスで最も権威ある映画賞)の最優秀新人賞に輝いている。

映画公開時は16歳だったが、アルコールや麻薬から抜け出せない経験の持ち主で、いくつかの映画に出演したものの、いったい何があったのか、2008年に起こった殺人事件の容疑者となって、失踪してしまう。結果的に彼は無罪であることがはっきりしたらしいが、いまだに行方が知れなくなっているという(この件についてはフランスの日刊紙リベラシオン紙の記者だったフロランス・オブナ著のルポルタージュ「L'Inconnu de la poste」に詳しい)。

あの映画に抜擢されて脚光を浴びたことが、彼にとってよかったのか・・・。その後の彼の人生を知ると、重い気持ちになる映画だった。

一方、姉役のクロチルド・クローもこの作品が映画初出演。その後、旧イタリア王族のサヴォイア家の長男と結婚し、ヴェネツィアピエモンテ公妃となっているのだとか。