アメリカ・カリフォルニアの赤ワイン「ヴィントナーズ・リザーヴ・レッド・ワイン・ブレンド(VINTNER’S RESERVE RED WINE BLEND)2018」
カリフォルニア屈指のワインメーカー、ケンダル・ジャクソンの赤ワイン。
同社は1982年設立だが、カリフォルニアに約1万3000エーカーに及ぶブドウ園や世界でも最大規模の設備を持つ4つのワイナリーを所有。世界60カ国以上に輸出をしているという。
ブドウ品種はジンファンデル、シラー、プティ・シラー、メルロ、カベルネ・フラン、カベルネ・ソーヴィニヨン、プティ・ヴェルド、マルベック。
これだけの種類をブレンドすれば、味も複雑でパワフル。
ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたデンマーク映画「奇跡」
1954年の作品。(日本では岩波ホールで1979年に初公開)
原題「ORDET」
監督・脚本:カール・テオドア・ドライヤー、出演ヘンリク・マルベルイ、エミル・ハス・クリステンセン、プレーベン・レーアドルフ・リュ、ビアギッテ・フェダースピールほか。
原題の「ORDET」とは直訳すれば「言葉」、イエス・キリストの「御言葉」という意味だろうか。
70年近く前のモノクロ映画だが、デジタル・リマスター版で鮮明な映像と音声。
大昔の映画なので、ネタバレになるが結末までのあらすじを紹介すると――。
1925年のデンマーク・ユトランドの農村。当時、この地域ではプロテスタントの2つの教派が対立していた。農場を営むボーエンは敬虔なクリスチャンで、人々からも信頼される存在だったが、長男ミケルは信仰心が薄く、次男ヨハネスは勉強のしすぎかキルケゴール(デンマークの思想家)の影響が強すぎたのか自らをキリストと信じて正気を失っていた。そんなある日、三男アーナスが対立する教派である仕立屋の娘との結婚を望むが、相手の父親に断られてしまう。その同じころ、ミケルの妻で妊婦のインガーが産気づくも赤ん坊は死産で彼女自身も命を落とす。
その夜、ヨハネスは失踪。一方、自宅ではインガーの葬儀が始まる。するとそこに仕立屋の家族がやってきて、冷静になって自分を取り戻した父親は結婚の申し出を断ったことを謝罪し、2人の結婚を許すと告げる。
いよいよ柩に蓋をして遺体を埋葬しようというとき、ヨハンネスが帰ってくるが、彼は正気を取り戻していた。インガーの娘から「お母さんを生き返らせて」と頼まれたヨハンネスは、死者を蘇らせるイエス・キリストからの「Ordet(御言葉)」として、「起き上がりなさい」とインガーに命じる。
すると奇跡が起きる。インガーの指が動き出し、彼女は目を開け、起き上がる。生き返った彼女は、驚きつつ喜ぶ夫に聞く。
「赤ちゃんは?」
「神の御許にいるよ」
デンマークのルター派の牧師・劇作家・詩人のカイ・ムンクの同名の戯曲(1925年)が原作。彼は抵抗の牧師として知られ、デンマークで反ナチスの活動に参加したため戦争末期にナチスにより惨殺されたという。
キリストの復活に代表されるような、信仰が奇跡を起こし、死者を蘇らせるという宗教映画の側面が強いが、果たして信じるだけで死者を生き返らせることができるものなのか?たまたま仮死状態だったのが息を吹き返したのではないのか?
映画の内容はともかく、美しい映画だった。
まるで絵画を観ているような造形美。出演している人々の表情はオランダ出身の画家ゴッホの描く肖像画そのものだった。
ルター派はプロテスタントの1つで、デンマーク人の8割がルター派(デンマーク国教会)といわれている。
デンマークのルター派を描いた映画で以前観た映画に「バベットの晩餐会」というのがあった。時代は19世紀で、舞台となったのが同じユトランドの片田舎。パリ・コンミューンによって家族を亡くしフランスから逃げてきた女性バベットが牧師の家に転がり込み、世話になったお礼にと、とびきりおいしい料理をつくってご馳走しようとする。しかし、質素を旨とする敬虔で禁欲的なルター派の村人たちは「美食なんてもってのほか」と最初は食べようとしないのだが、いい香りにつられて食べてみるとそのうまいこと。たちまち味の虜になる、という話だった。
そんな保守的なルター派が大多数という国で、宗教改革を先導した人がいた。
ニコライ・F・S・グルントヴィ(1783~1872年)という詩人、牧師、思想家、歴史家、宗教改革者、政治家、教育者として多面的に活躍し、インドにおけるガンジーのようなデンマークの“国父”とも呼べる人だそうだ。
彼はもともと牧師だったが、体制化して堕落した既成のキリスト教を批判して職をクビになった経験がある。
グルントヴィは、信仰とは日々の生活との関係なくしてはあり得ないと考えていて、信仰にとって重要なのは聖職者でも聖書でもなく、神の語った言葉が人々に生きた言葉として伝わり、人々がそれを共有することこそ大事だと語っていたという。
「奇跡劇」を通して映画でいいたかったのも、そのことかもしれない。
ついでにその前に観た映画。
民放のBSで放送していたフランス・イタリア合作の映画「カトマンズの男」。
1965年の作品。
原題「LES TRIBULATIONS D'UN CHINOIS EN CHINE」
監督フィリップ・ド・ブロカ、出演ジャン=ポール・ベルモンド、ウルスラ・アンドレスほか。
父から莫大な遺産を相続したアルチュール(ジャン=ポール・ベルモンド)はあらゆる快楽に飽き、退屈のあまり自殺を試みるが失敗する。
彼は父の友人だった中国人ゴオの勧めで世界一周の船旅に出るが、寄港先の香港で、株の大暴落により破産したと知らされる。これで心置きなく自殺できると喜ぶアルチュールに、ゴオは有意義に死ぬべきだと多額の生命保険をかけ、1カ月以内に殺してあげようと約束する。
そんな矢先、アルチュールは香港でストリッパーのアルバイトをしていた社会学者アレクサンドリーヌ(ウルスラ・アンドレス)に一目ぼれし、死ぬのが惜しくなってしまう。
原作は、「海底二万里」「八十日間世界一周」などの著者で、SFの父とも呼ばれるジュール・ヴェルヌが1879年に発表した冒険小説。
世界的ヒット作となった前作の「リオの男」(1964年)がおもしろかったので期待して観たが、ありゃりゃ?
「リオの男」と同じ監督、同じベルモンド主演でもこんなに違うのか。「リオの男」と同じじゃ観客に飽きられると、チャップリンやバスター・キートンのドタバタをまねたものの、二番煎じはやっぱりつまらない。
そこがドタバタの難しさ。やり方次第で傑作にもなるし凡作にもなる。
邦題の「カトマンズの男」というのも二匹目のドジョウをねらったもので、カトマンズなんてちょこっとしか出てこない。原題は「ある中国人の中国における受難」の意味で、まるで違っている。
「リオの男」で異国趣味が成功したので今度はアジアを舞台にしようと思ったのだろうが、実はジュール・ヴェルヌの原作(映画の原題と同じ)では中国清朝時代の若き大富豪が主役で、太平天国の乱の残党なんかが出てきて波瀾万丈の物語になってるらしい(日本語訳では「シナ人の苦悶」、のちに「必死の逃亡者」と改題)。
それをまあ、何とも強引にフランス人の物語にしちゃったものだ。