善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「パリは燃えているか」ほか

スペイン・リオハの赤ワイン「アルトス・イベリコス・クリアンサ(ALTOS IBERICOS CRIANZA)2017」

(写真はこのあと牛ステーキ)

フランスとの国境に近いバルセロナの近郊、ペネデス地方でワインをつくり続けて150年以上の歴史を持つトーレスが、そこより内陸でスペイン北部のリオハでつくる赤ワイン。ここでは土着品種のテンプラニーリョが栽培されており、そのテンプラニーリョ100%。

上品で丸みのある味わい。

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたフランス・アメリカ合作の映画「パリは燃えているか」。

1966年の作品。

監督ルネ・クレマン、脚本ゴア・ヴィダルフランシス・フォード・コッポラ、音楽モーリス・ジャール

 

第2次世界大戦で4年間にわたりドイツ軍に占領されたパリが舞台。戦争末期の1944年8月7日から、抵抗運動を行っていたレジスタンス(共産主義者とドゴール派)の8月19日の蜂起開始、アメリカ軍を中心とした連合軍の援護を受けて自由フランス軍によ8月25日のパリ解放に至るまでを描いた戦争映画。

上映時間173分で、ほとんど3時間。あのころ流行った大作映画らしく、インターミッション(途中休憩)があった。

 

出演陣が豪華。誰が主役とかではなく、クレジットタイトルでもABC順となっていた。

名前を列挙すると、ジャン=ポール・ベルモンドシャルル・ボワイエレスリー・キャロンジャン・ピエール・カッセルアラン・ドロンカーク・ダグラスオーソン・ウェルズ、ジョージ・チャキリス、グレン・フォード、ゲルト・フレーベ、イブ・モンタンアンソニー・パーキンスロバート・スタックシモーニュ・シニョレ、マリー・ベルシニ、ブルーノ・クレメル、ジャン・ルイ・トランティニヤンほか。

 

撮影はほとんどロケみたいで、パリ全土の180か所で行われたという。

ただし、ハリウッドの資本が入っているからか、セリフはほとんど英語。

映画では、レジスタンスのうちドゴール派の重鎮の役をアラン・ドロンが、左翼側の組合活動家の役をジャン=ポール・ベルモンドが演じていたが、みんな英語で会話していたのはちょっとガッカリ。

最後の俯瞰映像がカラー以外は全編モノクロ。これに当時の記録映像が挟まって、なかなか迫力のある展開だった。

 

映画のタイトルである「パリは燃えているか?」はナチス・ドイツアドルフ・ヒトラーがパリのドイツ軍に電話で聞いてきた言葉。彼は、パリのドイツ軍司令官にこう命じていた。「パリを明け渡すときには焼き尽くして廃墟にせよ。爆破し、破壊しつくせ」。それを阻止するためのレジスタンスの活躍が映画のテーマで、当初、連合軍は軍事上の理由からパリを迂回して進軍しようとしていたが、レジスタンス側の説得により、ヒトラーによるパリ破壊計画を阻止するためパリ進軍を開始した。

一方、ドイツ軍はすでにエッフェル塔はもちろん、パリの重要文化施設を含むあらゆる場所に爆弾を仕掛けていて、パリのドイツ軍の総司令官だったコルティッツ将軍の命令ひとつでパリは破壊されるはずだった。

しかし、コルティッツ将軍はさすがに良心の呵責を覚えたのか、爆破命令を下さず、連合軍に無条件降伏した。

ヨーロッパの顔であり歴史的遺産も数多い“花の都・パリ”を破壊しようとするヒトラーの狂気を、彼は感じ取ったのだろう。

レジスタンスの必死の抵抗ももちろんだが、狂気に走ったヒトラーの「パリは燃えているか?」の言葉が、パリを救ったといえるのかもしれない。

 

その前に観たのは、これもフランスが舞台でジャン=ポール・ベルモンドが出演の映画。

民放のBSで放送していたフランス・イタリアの合作映画「大頭脳」。

1969年の作品。

原題「LA CERVEAU」

監督ジェラール・ウーリー、出演デビッド・ニーブン、ジャン=ポール・ベルモンド

ブールヴィルイーライ・ウォラックほか。

 

泥棒稼業のアルトゥール(ジャン=ポール・ベルモンド)と相棒のアナトール(ブールヴィル)は、NATO北大西洋条約機構)の本部移転に伴い列車でパリからブリュッセルへ運ばれる1200万ドルの秘密軍事資金を強奪する計画を企てていた。

しかし、世界的に名高い伝説の強盗ブレイン(デビッド・ニーブン)もその資金を狙っており、マフィアのスキャナピエコ(イーライ・ウォラック)に協力を頼んで驚くべき作戦を練っていた。

決行の日、アルトゥールとブレインは互いに知らないうちに相まみえることになり、さらにスキャナピエコはブレインを裏切って、大金を巡る三つどもえの争奪戦が繰り広げられていく・・・。

 

漫画チックでばかばかしくて、笑える映画。

アクション&コメディ満載でベルモンドの本領発揮。

しかもそのばかばかしい映画を、かなりカネをかけてつくっている。

最後に笑えるのが、フランスからニューヨークに贈られるという自由の女神像のシーン。これも世をだまくらかすニセの自由の女神像で、マフィアの親分はその像の中に奪った大金を隠して船で国外に運ぶ作戦。この映画のために全長13・5mもの自由の女神像のレプリカがつくられたという。

ジャン=ポール・ベルモンド扮するアルトゥールはその像の中に忍び込むが、クレーンで釣り上げられた像の底から1200万ドルものお札がばらまかれる場面は圧巻だった。

 

映画自体はドタバタ喜劇だが、歴史を振り返る上では大いに参考になる映画だった。

描かれた時代は1967年で、製作年の2年前に実際にあった出来事をモチーフにしている。

映画の中では「NATO本部のブリュッセル移転」としかいってないが、その前年の1966年にフランスはNATOの軍事機構から脱退し、それに伴う本部移転だったのだ。

もともとNATOは東西冷戦の時代にヨーロッパの西側諸国による軍事同盟として1948年に発足。本部はパリに置かれた。ところが、1958年に大統領に就任したドゴールは、米英などによる核兵器の独占はガマンならないと、自分の国も核を持とうと核実験を始めた。今の北朝鮮と同じだ。

これに対して米英が批判の矛先を向けると、NATOの運営がアメリカ主導であるとして反発し、次第にNATOと一線を画すようになる。

そしてついにドゴールは自主外交を鮮明にして1966年、脱退を表明。フランス軍NATO内からの撤退、フランス領内のNATO基地の解体に踏み切った。

ただし、フランスが脱退したのはNATOの軍事機構であり、NATO北大西洋条約)そのものからは離脱しなかった。政治的には同盟を続けるが、軍事的には独立して自分の好きなようにやる、ということだったのだろう。

その結果、翌67年にはパリにあったNATO本部は隣国オランダのブリュッセルに移転。ついでに一緒に運ばれる各国の資金からなる「1200万ドルの秘密軍事資金」を強奪しようという映画と相成ったというわけだ。

なお、その後、ちゃっかり核保有国となり、それに対して誰も文句をいわなくなると、NATOの軍事行動に一緒に参加するなどして事実上の“復帰”を少しずつ行っていって、サルコジ大統領時代の2009年、43年ぶりにNATO軍事機構への完全復帰を決めている。

結局のところ、世界平和とか国際ルールを守れとかいいながら、自国ファーストが世の常なのか。