善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「きっと、またあえる」他

南アフリカの赤ワイン「カベルネ・ソーヴィニヨン(CABERNET SAUVIGNON)2019」

(写真はこのあと牛ステーキ)f:id:macchi105:20220307151550j:plain

ワイナリーはレオパーズ・リープ。ワイナリーが拠点とするフランシュホーク(フランシュクック)は西ケープ州にあるが、ここはかつてフランス系移民が多く住んだこともあって、フランス・ボルドーの影響を受けているようだ。

 

民放のBSで放送していたインド映画「きっと、またあえる」。

2019年の作品。

原題「CHHICHHORE」

監督ニテーシュ・ティワーリー、出演スシャント・シン・ラージプート、シュラッダー・カプールほか。

 

監督自身の大学時代のエピソードなども盛り込みながら、1990年代インドの工科大学の学生寮を舞台に主人公と仲間たちの友情を描いた映画。

 

インドでもトップクラスの工科大学出身のアニは息子ラーガヴと暮らしており、ラーガヴも父と同じ工科大学への入学を目指していた。アニは合格祝いのためのシャンパンを用意してラーガヴを励ますが、ラーガヴにとっては父の行動は合格に対するプレッシャーとして受け取られていた。

翌日、友人と合格発表を見ていたラーガヴは自分が不合格だったことを知り、絶望して飛び降り自殺を図って病院に運ばれる。病院に駆け付けたアニは、同じく連絡を受けて駆け付けた元妻マヤから、ラーガヴにプレッシャーをかけ過ぎていたことを責められる。

生きる希望を失い死に直面する息子を励ますため、アニはかつての仲間たちを呼び寄せ、学生時代の奮闘記を語り始める。

90年代、大学に入学したアニだったが、学生寮は負け犬ばかりが集まるといわれるボロボロの4号寮に振り分けられる。アニと4号寮の仲間たちは、寮対抗の競技会で「負け犬寮」の汚名を返上すべく、知恵とやる気と団結力でさまざまな競技を勝ち抜いていくが・・・。

 

失敗したっていい、負けたっていい、勝敗より大事なのは、友を大事にし、精一杯努力することなんだ、と教えてくれる映画。

原題「CHHICHHORE」とは、ヒンディー語で「軽薄な」とか「生意気な」といった意味だそうで、「軽薄な野郎ども」といった題名だろうか。

若いときはいくらでも軽薄でいいんだよ、といいたかったのかも。

 

以前観たインド映画「きっと、うまくいく」ととてもよく似てるんだが・・・。

あの映画も、入学したインド屈指のエリート理系大学で、友人たちと青春を謳歌していた主人公が突然姿を消したナゾを追って、10年という年月を交錯させながらホントの友情とは?幸せとは?を解き明かしていく物語。誰も将来のことはわからないんだから、「きっと、うまくいく」と信じて困難を乗り越えていこうよ、と映画の中で呼びかけていた。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のBSで放送していたフランス映画「気狂いピエロ」。

1965年の作品。

監督・脚本ジャン=リュック・ゴダール、出演ジャン=ポール・ベルモンドアンナ・カリーナサミュエル・フラージャン=ピエール・レオーほか。

 

ヌーベルバーグの金字塔的作品として語り継がれるゴダールの代表作。

「ピエロ」と呼ばれるフェルディナン(ベルモンド)は、金持ちの妻との生活に退屈し、逃げ出したい衝動に駆られていた。ある夜、夫婦がパーティに出かけるため、幼い娘のベビーシッターとしてやって来た女性は、かつての恋人マリアンヌ(アンナ・カリーナ)だった。

パーティを抜け出し、1人で帰宅したフェルディナンは、彼女を車で送り、そのまま一夜をともにする。翌朝目覚めると、彼女の部屋には首に鋏を突き立てられた男の死体があり、驚く彼とは裏腹に平然と朝食を作り歌うマリアンヌ。

フェルディナンは、訳はあとで話すという彼女と一緒に、着の身着のままでパリをあとにし、逃避行を始めるが・・・。

 

なぜか次々とモネやピカソなどフランスの画家たちの絵が大写しになったり、2人の口から飛び出すポエジーのようなセリフ。

実はこの映画は台本なしで撮影が行われ、セリフは即興だったという。

ベルモンドは台本なしのゴダールのやり方に反発し、「二度とゴダールとは仕事をしない」と宣言してこの映画でゴダールとは訣別する。

ヒロインのアンナ・カリーナも、1961年にゴダールと結婚するものの65年に離婚。離婚直後に撮影した映画という。

 

やはり強烈な印象を与えるのがこのとき25歳のアンナ・カリーナ

ゴダールより10歳下の1940年生まれのデンマーク人女性で、本名はハンネ・カリン・バイヤー。母は洋裁店を営み、父親は船員だったが、カリーナが生まれて1年後に家族を捨ててしまう。そのため4歳になるまで祖父母に育てられ、その後4年間は里親の元で育つ。その後母親と暮らすようになるが、頻繁に家出をしていたという

パリに出てきたのは18歳のとき。フランス語が全然喋れず、飲まず食わずの生活が続いたが、あるときカフェの椅子に座っているとモデルにスカウトされた。
やがて高級ファッション誌の「ELLE」からも声がかかるようになり、彼女に「アンナ・カリーナ」の名を与えたのはココ・シャネルだったという。

「ELLE」の撮影現場で出会ったココ・シャネルに「ハンネ・カリン・バイヤーです」と名乗ると、シャネルはその名を何度かつぶやいてから、こういったという。

「だめね。アンナ・カリーナにしなさい」

ゴダールもいち早く彼女に目をつけて、彼の長編第1作「勝手にしやがれ」に出演させたかったが、裸になる役をオファーしたため彼女が断り、長編第2作の「小さな兵隊」(61年)で主役に抜擢。撮影中にゴダールは彼女に求愛し、間もなく結婚に至った。

60~67年の間にゴダールは長編を15本監督しているが、そのうち7本にカリーナは出演し、短編1本にも出ているという。

 

民放のBSで放送していたアメリカ映画「ナバロンの要塞」。

1961年の作品。

原題「THE GUNS OF NAVARONE」

監督J・リー・トンプソン、出演グレゴリー・ペックデヴィッド・ニーヴンアンソニー・クイン、スタンリー・ベーカー、イレーネ・パパス、ジェームズ・ロバートソン・ジャスティススほか。

 

第二次大戦下におけるエーゲ海域でのイギリス軍とドイツ軍の戦いを描いた戦争映画の名作。

ギリシャ・ナバロン島に据えつけられた2門の大砲を破壊するため、6人のメンバーからなる特殊部隊が結成された。イギリス駆逐艦がここを通過するまでに大砲を破壊しなければならない。彼らは、ナバロン島の南側にある400フィート(約122メートル)の絶壁を登って要塞に侵入し、大砲を爆破しようとするが・・・。

 

嵐の中の上陸シーンや要塞爆破の場面など、迫力満点の特撮はCGなんてない時代によくあれだけできたものだと思うが、戦闘シーンより仲間同士の葛藤を描いた人間ドラマとして見応え十分の映画。

派手な動きのアンソニー・クインとは対照的に、ただ立っているだけでも眉を上下させて演技するグレゴリー・ペック

アカデミー作品賞・監督賞などにノミネートされるも同じ年に公開された「ウエスト・サイド物語」にさらわれたが、視覚効果賞を受賞。