善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「スーパー30 アーナンド先生の教室」「奇跡の2000マイル」

イタリア・トスカーナの赤ワイン「ペポリ・キャンティ・クラシコ(PEPPOLI CHIANTI CLASSICO)2020」

(写真はこのあと牛のサーロインステーキ)

はるか14世紀よりワイン史に足跡を残すトスカーナ州フィレンツェのアンティノリのワイン。

サンジョヴェーゼとメルロ、シラーをブレンド。ルビーレッドの色合い。バランスがとれた味わいでスムーズな飲み口。いろんな料理に合う感じ。

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたインド映画「スーパー30 アーナンド先生の教室」。

2019年の作品。

原題「SUPER30」

監督ヴィカース・バハル、出演リティク・ローシャン、ムルナール・タークル、アーディティヤ・シュリーワースタウ、パンカジ・トリパーティーほか。

実在の人物アーナンド・クマールを主人公にした映画で、14億もの人口を誇りながらもカーストと呼ばれる身分差別が今も生きていて、汚職や殺人が横行する混沌としたインド社会の中にあって、不平等や悪習を〈知〉の力で打破し、どんなに貧しくとも努力すれば報われることを説く実話をもとにした感動作。

 

以下、オフィシャルサイトより。

 

2003年、インドの片田舎で始まった教育プログラムが全世界の賞賛を浴びた。天才的な数学の頭脳を持ちながら、貧しい生まれのためケンブリッジ大学への留学を諦めたアーナンド・クマールが始めた私塾スーパー30。

全国の貧しい家庭から優秀な頭脳を持つ30人を選抜して、無償で食事と寮と教育を与えるというこのプログラムは、開始した年から、世界三大難関試験の一つといわれるインド最高峰の理系大学“IIT(インド工科大学)“へ塾生を送り込むという快挙を成し遂げた。

本作は、この奇跡の実話に基づき、貧困に夢を奪われながらも、世界を変えようと奮闘する1人の男の情熱と、劣悪な環境でも諦めない30人の生徒たちの学ぶことへの喜びをエンタテイメント性豊かに描きながら、やがて学ぶ権利の本質、身分制度格差社会の問題を浮き彫りにしていく。

 

ストーリーは――。

貧しい家庭の生まれながら天才的な数学の才能を持つ学生、アーナンド(リティク・ローシャン)は、ある日、数学の難問の解法をケンブリッジ大学に送ったところ、その才能が認められ、イギリス留学のチャンスを得る。だが、貧しい家計から費用が出せず、当てにしていた援助もすげなく断られ、「王になるのは王の子どもじゃない。王になるのは能力のある者だ」と、いつも彼を励ましてくれていた父親も心臓発作で亡くなってしまう。

留学を断念した失意のアーナンドは、町の物売りにまで身をやつすが、IIT(インド工科大学)進学のための予備校を経営するラッラン(アーディティヤ・シュリーワースタウ)に見いだされ、たちまち学校一の人気講師になり、豊かな暮らしを手に入れた。

そんな中、貧しさゆえに路上で勉強する一人の若者との出会いが、アーナンドの心に火をつけた。突如として予備校を辞めた彼は、才能がありながら貧困で学ぶことができない子どもたち30人を選抜して、無償で家と食事を与えて、IIT進学のための数学と物理を教える私塾、スーパー30を開設したのだ。

私財を投げ売ったアーナンドは、資金に苦しみ、教育をビジネスとしか考えないラッランから様々な妨害を受けながらも、型破りな教育で、生徒たちに自信を持たせていく・・・。

 

「SUPER30」は2003年 に数学者アーナンド・クマールと警察官アバヤーナンドが始めた教育プログラム。毎年、経済的に恵まれない30人を選抜し、無料でインド工科大学(IIT)の入試対策を指導する。選抜された30人には、1年間、寮や食事や教材等も全て無償で提供され、30人の中から、競争率100倍以上といわれるインド工科大学に、毎年20人前後が合格し、2008 年、2009年、2010年、2017年には、30人全員が合格した。

2010年、アメリカの「タイム誌」は「SUPER30」をアジアで最も優れた学習塾と評し、「ニューズ・ウイーク誌」は世界で最も革新的な4つの教育機関の1つとした。

さらに、オバマ大統領の特使はインドで最も優れた教育機関であると称賛。2009年、アメリカのディスカバリーチャンネルがSUPER30の1時間半のドキュメンタリー番組を放映。日本のNHKの「インドの衝撃:わき上がる頭脳パワー」(2007年1月28日OA)でも取り上げられている。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のBSで放送していたオーストラリア映画「奇跡の2000マイル」。

2013年の作品。

原題「TRACKS」

監督ジョン・カラン、出演ミア・ワシコウスカアダム・ドライヴァー、ローリー・ミンツマほか。

 

ラクダと愛犬とともにオーストラリア砂漠3000㎞をたった1人で踏破した女性の実話を映画化したロードムービー

思い通りにいかない人生に変化を求め、ひとり都会から砂埃が舞うオーストラリア中央部の町アリス・スプリングスにやってきたロビン(ミア・ワシコウスカ)。彼女がこの土地に訪れた目的は、砂漠地帯を踏破しインド洋を目指す旅に出ることだった。

パブで働きながらラクダの調教を学び、旅の準備を整えたロビンは、4頭のラクダ、愛犬とともに出発。1日あたり約32㎞のペースで歩き、7カ月という日数をかけて達成したその旅の過程で、ロビンはさまざまな出会いや経験を体験することとなる・・・。

 

彼女が広大な砂漠地帯を踏破し、インド洋を目指す冒険の旅に出ようと行動を開始したのは24歳のとき。ラクダの調教を学んで、それから2年後に砂漠横断の旅に出ている。

オーストラリア大陸は東の端から西の端まで約4000㎞もあり、国土のかなりの部分が砂漠地帯だ。人が住んでいるのは主として海岸線であり、人が住んでいない地域の方が圧倒的に広い。彼女が旅の出発点にしようとしたアリス・スプリングスはオーストラリア大陸のほぼ中央にあり、ここから西は砂漠地帯となっている。

ラクダと一緒といいながら彼女はラクダに乗ってラクな旅をするわけではない。ラクダには貴重な水を背負わせ、彼女は歩いていく。

途中、野性のラクダと出会うが、発情期のラクダは狂暴化して見境なく襲ってくるので、銃で殺すしかない。もともとオーストラリアにはラクダはいなかったが、19世紀にアラビア半島やインド、アフガニスタンなどから2万頭ものヒトコブラクダがオーストラリアに輸入され、今ではオーストラリア中央部で野生化したラクダが数十万頭も生息しているという。

GPSもない時代、頼りとなるのはコンパスと地図。途中、コンパスを落としたり、ラクダがいなくなって必死に探す姿もあった。

 

映画を見ていて思ったのは、なぜ彼女は冒険家でもないのに、半年以上もかけて砂漠地帯をたった一人で横断しようと思ったのか?ということだった。

旅の行く先々で「ナショナル・ジオグラフィック」から派遣されたカメラマンがやってきて写真を撮っていくが、それは同誌から資金援助を得るためで、彼女としては名声を得ようとか、マスコミで話題になろうとかは望んでいないようだった。

それなのになぜ、あんな過酷な旅を続けるのか、映画でも多少は語られていたが、それは旅をしたロビン・デヴィッドソンが、自分の居場所というか、自分はどうやって生きていったらいいかを見つけるための旅だったようだ。

 

彼女は1950年生まれで今年(2023年)73歳。11歳ぐらいのときに母親が自殺し、主に未婚の叔母(父親の妹)に育てられたが、母親の死がトラウマになって人間嫌いになっていたという。一方、父親は若いころ東アフリカの砂漠をラクダを連れて長い距離歩いた経験があるという。冒険心は父親譲りかもしれない。

母親の自殺のあとの父との関係は不明だが、ブリスベンの寄宿学校に通ったというから、父とは離れて暮らしたのか。違法なギャンブルハウスでカードディーラーとして働いたり、先住民族であるアボリジニの土地の権利運動に加わったりもしていたという。

アリス・スプリングスを出発してから西海岸に到達するまではすべてが不毛な荒野ではなく、途中いつくかのアボリジニの集落があり、そこを訪ねては住民と交流したりしている。自分の母国の砂漠での生活を体験することにくわえて、アボリジニの文化を理解することも旅の目的だったかもしれない。

旅に出るとき、一緒に行きたいと希望した友人もいたそうだが、彼女は断っている。だれも自分の旅に関わってほしくない、あくまで個人的に行動したかった、と彼女は語っている。

彼女はこの旅を通じて、放浪することに興味を抱き、遊牧民の暮らしに関心を持つようになったようだ。その後、インドで遊牧民と一緒に移住旅行をしたりして、さまざまな形での遊牧民のライフスタイルを研究し、本に書いたりドキュメンタリーシリーズを制作したりしているという。