善福寺公園めぐり

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ラフマニノフ22歳のときの交響曲 N響定期

東京・六本木のサントリーホールで「第1988回N響定期公演Bプログラム」を聴く。

曲目はバッハ(レスピーギ編)「3つのコラール」、レスピーギグレゴリオ風協奏曲」、ラフマニノフ交響曲第1番ニ短調作品13」。

指揮ジャナンドレア・ノセダ、ヴァイオリン庄司紗矢香

 

一曲目はレスピーギ編曲によるバッハ「3つのコラール」

レスピーギ(1879-1936年)は「ローマ三部作」で知られるイタリア出身の指揮者で演奏家。バッハの曲がレスピーギふうにアレンジされ、小品ながら心が洗われるような曲。

続くレスピーギグレゴリオ風協奏曲」はヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲で、ソリスト聖歌隊の先唱者のような役割を果たしているそうだが、その先唱者役?の庄司紗矢香の独奏が伸びやかに響く。

彼女はこの曲をレスピーギと同じイタリア出身のノセダの指揮でローマで弾いているし(オケはサンタチェチリア管弦楽団)、2021年にはBBCプロムス(ロンドンで毎年夏に開催されるコンサートシリーズ)でもこの曲を弾いている(オケはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、指揮は首席指揮者のヴァシリー・ペトレンコ)。

アンコール曲はバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004」の中の第3曲「サラバンド」。

 

しかし、この日の圧巻はフマニノフ「交響曲第1番ニ短調作品13」。

何しろラフマニノフ22歳のときの作品。

彼の若さというか、才気あふれる曲で、これぞオーケストラ、これぞシンフォニーという曲だった。

ナマで聴くオーケストラってなんて素晴らしいんだろう!と思える演奏で、指揮のノセダも全身を使って飛び跳ねるようにタクトを振っていて、情熱あふれる演奏だった。

終わってからも拍手は鳴りやまず、何度も何度もカーテンコールが続いた。

ラフマニノフ1873年の生まれというから、今年は生誕150年のメモリアルイヤーにあたる。亡くなったのは1943年なので、没後80年ということにもなる。

とてもすばらしい曲なのに、「交響曲第1番」は実に不幸で、数奇な運命をたどった曲だという。

 

ラフマニノフは1891年、18歳でモスクワ音楽院ピアノ科を大金メダルを得て卒業。翌年には同院の作曲科を卒業し、卒業制作としてわずか数日で書き上げたという歌劇「アレコ」は、1893年ボリショイ劇場で上演された。弱冠20歳の華々しいデビューだ。

その2年後、つまり22歳のときに完成させたのが「交響曲第1番」だった。

さらに2年後の1897年に、のちにサンクトペテルブルク音楽院の院長にもなるアレクサンドル・グラズノフの指揮によりサンクトペテルブルクで初演された。ところが、このときの演奏は「記録的」といわれるほどの大失敗だったという。

失敗の原因として、指揮者のグラズノフが大酒飲みで酔っぱらっていたとか、指揮が放漫でオーケストラをまとめ切れていなかった、オケにやる気がなかった、とかいわれたが、当時、ロシア楽壇は民族主義派のペテルブルク楽派と、国際主義派のモスクワ楽派が対立していて、演奏が行われたサンクトペテルブルク民族主義派の拠点だったことから、モスクワからやってきたラフマニノフに冷淡だったのも原因ともといわれている。

 

いずれにしてもこの失敗によりラフマニノフは完全な自信喪失となった。精神科医の治療を受けるほどまでに落ち込み、ほとんど作曲ができない状態に陥ってしまったという。

その後、シャリアピンと知り合ったりするなどして、次第に創作への意欲を回復させていき、1907年に完成させた「交響曲第2番」は翌1908年の1月にサンクトペテルブルクで、2月にはモスクワで作曲者自身の指揮により初演され、熱狂的な称賛をもって迎えられた。

しかし、「交響曲第1番」は彼が生きている間、二度と演奏されることはなかった。

スコアも初演のあとラフマニノフの手元に戻ったようだが、のちに紛失してしまって、自筆譜は不明のままとなった。

 

この曲が再び注目されることになったのは、ラフマニノフ没後の1945年、音楽批評家で、生前のラフマニノフとも親しかったアレクサンドル・オッソフスキーによって、レニングラードと名前を変えた初演の地サンクトペテルブルク国立図書館で初演のときのパート譜一式が発見されたのがきっかけだったという。

それをもとにスコアが復元され、同年10月、モスクワ音楽院大ホールにおいて、アレクサンドル・ガウク指揮ソヴィエト国立交響楽団により復活再演された。

復活再演は大成功に終わり、その後、各国でも演奏されるようになり、世界的に知られるようになっていったという。

名曲に歴史あり、ということか。

 

コンサートが終わったのは9時すぎ。サントリーホール周辺の店は早仕舞いしそうだからさっさと家の近くまで行くことにして、JR荻窪駅南口で遅くまでやってそうな居酒屋「おざ」へ。

サッポロ赤星ビールのあと、日本酒のリストを見ると、何と「農口尚彦研究所 観音下(かながそ)2018vintage 無濾過原酒」があるではないか。

農口さんは「現代の名工」にも選ばれた日本を代表する杜氏。長年にわたり石川県の「菊姫」の杜氏をしていたが、高齢になり一度は杜氏をおやめになったそうだが、まだまだ酒づくりをやりたいのか、回りの「おいしいお酒をつくり続けて」の声に励まされたか、90歳をすぎた今も酒づくりを続けている。

「観音下」は、農口さんが杜氏をしている農口尚彦研究所が位置する石川県小松市の土地の名から名付けられたとか。

料理はまずお通し。

毛ガニ。

刺し身の盛り合わせ。

酒は秋田の「純米生原酒 ど辛」。

3種の野菜とキノコのお浸し・スイカ添え。

オコゼのから揚げ。

酒は宮城の「山廃仕込 辛口 田林」。

シラスとミョウガの和え物。

生ピーマンのキーマカレー乗せ。

しあわせ気分で帰還。