土曜日の午後、渋谷のBunkamuraオーチャードホールでN響の「第115回 オーチャード定期」を聴く。
指揮:角田鋼亮、チェロ:横坂源のプログラム。
演奏曲目は、エルガー「チェロ協奏曲 ホ短調 作品85」、チャイコフスキー「交響曲 第4番 ヘ短調 作品36」。
指揮の角田鋼亮は1980年名古屋市生まれの今年41歳。現在、地元・セントラル愛知交響楽団の常任指揮者をつとめていて、いま日本で最も期待される若手指揮者の一人として活躍中とのこと。
チェロの横坂源は13歳で東京交響楽団と共演しソリストとしてデビュー。2002年チェリストの登竜門として知られる全日本ビバホール・チェロコンクールでの最年少優勝(15歳)。09年全ドイツ学生音楽コンクール室内楽部門でも第1位を受賞し、国際的に活躍する若手ソリスト。
エルガーのチェロ協奏曲は1918年作曲。
こんなエピソードがある。没年の1934年、病床にあったエルガーが友人に語った言葉。
「いつか僕が死んだら、モールヴァン・ヒルに生えるシダの歌声が聞こえるかもしれない。でも、怖がらなくていいよ。それはチェロ協奏曲の最初の小節で、僕が歌ってるんだから」
モールヴァン・ヒルはエルガーが少年時代から晩年に至るまでよく散策し、サイクリングなどを楽しんだ場所であり、彼の墓もここにある。
エルガーの「チェロ協奏曲」が有名になり、世界中で演奏されるようになったのには、エルガーと同郷の伝説のチェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレの功績も大きかったという。
17歳でデビューを果たしたデュ・プレは、エルガーの「チェロ協奏曲」で鮮烈な演奏を披露。天才チェリストの出現に「カザルスの再来」とまでいわれた。彼女は当時はまだそれほど知られてなかったこの曲に光を当て、その後も自身の得意曲として何度も演奏している。
21歳で3歳年上のバレンボイム(ピアニストで指揮者)と結婚。順風満帆と思われたが、1973年の28歳のとき演奏旅行で日本を訪れたものの「体調不良」を理由に演奏会はすべてキャンセルされ、そのまま引退を余儀なくされた。
実は彼女は26歳ごろから指先などの感覚が鈍くなっていて、医師から告げられたのは多発性硬化症という難病だった。その後、病状は悪化し、わずか42歳という若さで生涯を閉じた。
エルガーの「チェロ協奏曲」を聴くとき、ジャクリーヌ・デュ・プレの名もよみがえってくる。
エルガーの「チェロ協奏曲」のあと、横坂源がアンコール曲で弾いたのはカザルスの「鳥の歌」だった。この曲を聴くとなぜか涙腺がゆるんでしまう。きょうもそうだった。
チャイコフスキーという苗字はチャイカに由来するという。ロシア語でチャイカとは「カモメ」のこと。
10歳から法律学校で学び、19歳で法務省に勤めるようになった官吏だったが、子どものころから音楽に親しんでいて、ロシア初の音楽院としてサンクトペテルブルク音楽院が設立されると、官吏の職を辞して同音楽院の第1期生となったのは1862年、22歳のときだった。
6歳のときにマリア・テレジアの前で演奏したというモーツァルトなんかと比べるとかなりの遅いスタートだが、いろいろ人生を経験したことが彼がつくる曲をより豊かにし、人々の心に残るものになったのではないか。
近道しても回り道しても、人生は苦しくもあり、また楽しいものだ。
交響曲第4番がまさにそんな曲で、彼はこの曲についての解説を、パトロンとなってくれた資産家にあてた手紙に書いていて、それによればこの曲はベートーヴェンの第5番「運命」に込められた闇から光のテーマに倣って作曲したという。
手紙では、各楽章について細かく解説していて、最終章についてはこんな意味のことを書いている。
この楽章は民衆がお祭りを楽しんでいるシーンです。幸せそうな人たちにつられてはしゃいでいると、運命がまたしても重くのしかかってきます。でも、いくらあなたが一人で悲しもうと、だれもあなたの悲哀に気づいてはくれません。人々は何と愉快そうで、うれしそうであることか。人々の喜びを祝福しなさい。それでこそ、あなたは生きることができるのです。
指揮の角田鋼亮は今回がN響との初共演だったという。それで張り切ったのか、エネルギッシュな指揮ぶり。アンコール曲も演奏してくれ、曲目はチャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」よりポロネーズ。
コンサートは午後3時半開演で終わったのは5時半。
ならばコロナ禍で飲食店は8時まで営業でも間に合うだろうと、あらかじめ予約しておいた店に向かう。
歩いて数分の、宇田川町の裏通りにある「Bistro Rojiura」。ミシュランで4年連続ビブグルマンを獲得している店だそうで、リーズナブルな料金で本格的なビストロ料理を楽しめるというので人気の店だ。ふつうなら予約をとるのも大変だろうが、コロナのおかげ?で予約できた。
店名の通り“奥渋”と呼ばれる渋谷の裏町の路地裏にある隠れ家的な店。店内はレトロな感じで、何とBGMはレコードで流れていて、名曲喫茶ふう。人気の店らしく席は埋まっていたが、落ち着いた雰囲気。
ハイネケンの生ビールのあとワイン。この店は料理もワインもオーガニックに徹しているそうで、まずは白ワインの「コート・ド・ジュラクロ・ド・ジェミニ」(フランス・ジュレ、ドメーヌ・ヴィッキー)も、野生酵母を使っているからか黄色を帯びた独特な感じのシャルドネ。
料理はまずはお通しのアミューズ(ジャガイモ、ズッキーニ、パルメジャーノチーズかけ)。
お通しを「アミューズ(お楽しみ)」というところがシャレている。
続いて豚とフォアグラのパテドカンパーニュ。
パンはトウモロコシのフォカッチャ(自家製)
このあたりから赤ワイン。「ロッソ・ディ・ガエターノ」(イタリア・ラツィオのレ・コステ)。サンジョベーゼ60%、メルロー・シラー40%。
このワインも自然派ワインで、裏ラベルに酸化防止剤(亜硫酸塩)含有と記載されているが、亜硫酸塩はワインを造る際に自然発生するため法律上記載していて、人為的な添加はしていないとのこと。
鴨胸肉と桃、ブラッターチーズのサラダ。
〆はジャガイモ、インゲン、バジルのトロフィエ。
8時前にはいい気分で店を出て、わが家へ。
渋谷の街は若者たちでにぎわっていた。