善福寺公園めぐり

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芸の探求者 仁左衛門のいがみの権太

歌舞伎座新開場十周年と銘打った「六月大歌舞伎」夜の部は「義経千本桜」のうち「木の実」「小金吾討死」「すし屋」「川連法眼館」。

出演は、いがみの権太に仁左衛門、ほかに中村歌六中村時蔵坂東彌十郎中村錦之助片岡孝太郎尾上松緑など。

 

義経千本桜」はもともと人形浄瑠璃作品で、延享4年(1747年)11月、大坂竹本座にて初演。二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作で、翌年には歌舞伎となり、早くも江戸で上演された。

源平争乱の後日譚として、史実と虚構を巧みに織り交ぜながら繰り広げられる壮大な物語。源義経が兄・頼朝に追われて落ちのびていく流転の旅を軸に据えながらも、死んだはずの平家の武将、平知盛、維盛(これもり)、教経(のりつね)は実は生きていて、義経の行く先々に復讐のためあらわれては、まわりの人々を悲劇に巻き込む人間ドラマを展開していく。

「木の実」から「すし屋」は原作の三段目にあたり、無頼漢ながら愛嬌を併せ持つ「いがみの権太」が主人公。

平維盛の妻・若葉の内侍(ないし)、若君・六代君(ろくだいぎみ、本来なら平家の直系の6代目なのでこう呼ばれる)、家来・主馬(しゅめ)小金吾は、維盛を尋ねる旅の途中、いがみの権太に金を奪われ(「椎の木」)、小金吾は追手のため討死(「小金吾討死」)。

すし屋を営む権太の父・弥左衛門に匿われていた維盛は、自分を捕らえようと梶原景時がやってくるというので一時避難するが、維盛の首とともに内侍と若君を捕らえてあらわれたのが弥左衛門のせがれの権太。褒美の金目当てに源氏方に渡すと、怒った弥左衛門は権太を刃にかける。すると、虫の息の下から権太は意外な真相を打ち明ける・・・(「すし屋」)。

改心した権太が迎える悲劇の結末には、家族の情、世事に翻弄される庶民の哀切がにじみ、胸に響く。

「川連法眼館」は、原作の四段目の「切(きり、後半の重要な場面である切り場のこと)」にあたることから通称「四の切」と呼ばれ、親子の恩愛や狐と人間との慈愛を描いた心温まる、そして華やかなひと幕。

 

仁左衛門のいがみの権太は2013年の十月大歌舞伎で観て以来だから10年ぶり。

彼自身、権太を演じるのは2018年12月の京都・南座「吉例顔見世興行」以来、5年ぶりという。このときも今回と同じ若葉の内侍を仁左衛門の息子の片岡孝太郎、主馬小金吾を孫の片岡千之助が演じていて、引き続き親子三代の共演となった。

 

いつ見ても思うのだが、仁左衛門の人物描写というか人物の造形の見事さ。

歌舞伎は型の芸術ともいわれる。同じ演目を何度も演じる中で芸は洗練され、デフォルメされて型がつくられる。それは何代にもわたって役者が築き上げ継承されたもので、役の美しさ、ときには勇壮さを際立たせるだけでなく、登場する人物の内なるものを浮かび上がらせて、その本質をも表現しようとする。激しい動きを一瞬静止させる「見得」などはその典型例だ。

いがみの権太の動きひとつひとつ、目の配り方ひとつにも、役の本質を極めようと仁左衛門がつくり上げた型がある。しかも、仁左衛門ならではの型も、10年前に見たときとはまた違ったように見えるものもある。するとそこには、以前見たのとはまた違った「いがみの権太」があらわれる。芸の探求者、それが仁左衛門だ。

 

今回の公演前、ネットで公開されたインタビュー中で仁左衛門は次のようなことをいっている。

「(型を守るとは)気持ちを、心を守ることであって、幹がしっかりしていれば、枝はこれからも変わっていっていいと思う。同じ役であってもそれぞれの俳優のつくり方があるから、いろいろな楽しみがある」

「すし屋」で権太が父親に刺される場面も、仁左衛門はドラマ性をより高めるために工夫しているという。

「最初のころは普通のやり方だったが、権太を演じているうちに途中から今のようなやり方を始めた。台本を読み返し、舞台を毎日、新鮮な気持ちでやることが大事で、決まった段取りを追うだけではいけません」

つまり、毎回同じ役を演じていても、見るたびに工夫がされていて、決して前と同じ舞台ではない。そこが、観客の目の前で、ナマでやる演劇のすばらしさだろう。

 

猿之助をめぐる事件で歌舞伎界は今、大変なことになっている。猿之助だけでなく大看板の菊五郎白鸚も御ン年80歳で病気や体調不良で舞台に立ってないし、玉三郎は体力的に大劇場での公演が難しくなったというので歌舞伎座などの本興行からは距離を置くようなことをいってるらしい。

来年80歳になる仁左衛門が、元気に舞台に立ってくれているのは何よりうれしいというほかはない。