歌舞伎座二月大歌舞伎・第二部を観る。
演目は「春調娘七種(はるのしらべむすめななくさ)」と「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)渡海屋・大物浦(とかいや・だいもつのうら)」。
「渡海屋・大物浦」は「片岡仁左衛門が一世一代にて相勤め申し候」というので、平日の昼間というのに少なくとも一階席は満員の人気。
最初の「春調娘七種」は梅枝、千之助、萬太郎による舞踊。
仁左衛門の孫で孝太郎の息子の千之助が、かわいくて美しい。
そしてお目当ての「義経千本桜 渡海屋・大物浦」。
写真はいずれも松竹発行の「ほうおう3月号」より。
大物浦の船問屋・渡海屋には、都を落ち延び九州へ向かう途中の源義経(時蔵)一行が船出を待って泊まっている。実は渡海屋の主人銀平(仁左衛門)は、壇の浦で死んだはずの平家の武将・平知盛で、死んだと思わせてホントは生きていて、海上で義経たちを討ち取って平家の再興をめざす、という物語。
「一世一代」とは、その役の演じおさめを意味する。
知盛の役は20キロ近い衣裳を着て、立ち回りもあって体力を消耗する。とても「次回もやります」とはいえないので、「これが最後と自分にブレーキをかけるため」演じおさめにしたのだとか。
たしかに、見ていてわかった。ほかの大御所の役者だったら立ち回りにしてもただ突っ立ってて手をヒョイヒョイさせるだけで、相手が勝手に倒れていくが、仁左衛門の立ち回りは満身創痍での大立ち回りで、自分も動いて迫力のある演技。きっと手を抜いた演技ができない性格なのだろう。
演じおさめは残念だが、おかげで感動的な舞台を見せてもらった。
ほかの役者もみんなよかった。
仁左衛門は今回の役を演じるにあたって、こんなことをいっている。
「人物の生き様、戦いの虚しさ。そして忠義も場合によっては虚しさを伴うことがある。そういうことを訴えられれば」
「(錨を背負って海中に没する最後の場面は)恨みも晴れ、安徳帝を確認したあと心静かに沈んで消えていく。一人の人間として、いろいろとがんじがらめになっていたものから解放されて、散り際、潔さを見せる、一つの武士の生き方」
「われを助けしは義経が情け、仇に思うな」という安徳天皇の言葉に、源氏への怨念がスッと抜けた仁左衛門の何と穏やかな表情。
むしろ自分が死ぬにあたって心の安らぎを得た感じで、「きのうの敵はきょうの味方。アラうれしや、心地よやなあ」とのセリフに万感の思いがこもっている気がした。