善福寺公園めぐり

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菊之助の挑戦に拍手 「義経千本桜」Aプロ

東京・半蔵門にある劇場の建て替えを前にした10月の「初代国立劇場さよなら公演」は、歌舞伎「義経千本桜」を3プログラムに分けて通し上演しているが、3日にBプロを観たのに続いて、一週間おいてきのう(10日)はAプロの伏見稲荷鳥居前の場、渡海屋の場、大物浦の場を観る。

 

義経千本桜」は、源平合戦後、源義経が兄・頼朝に追われて落ちのびていく流転の旅を軸に、死んだはずの平家の武将、平知盛、維盛(これもり)、教経(のりつね)は実は生きていて、義経の行く先々に復讐のためあらわれては、まわりの人々を悲劇に巻き込む人間ドラマ。

Aプロは全五段のうち二段目にあたり、都落ちする義経が、静御前の同道を許さず、「初音の鼓」を形見として渡し、出立しようとする。すると、故郷に帰っていたはずの家臣・佐藤忠信が突然あらわれ、静御前の守護を引き受けるが、この忠信は狐が化けた“狐忠信”だった。そうとは知らない義経は、忠信に「源九郎(みなもけとのくろう)義経」の名と鎧を与え、静御前を託して九州へと出発する。(伏見稲荷鳥居前の場)。

写真は国立劇場HPより。

「初音の鼓」は、今回は出てこないが悪公卿の左大臣朝方(ともかた)が、勅諚(ちょくじょう)と称して暗に頼朝を討てとほのめかす意図で義経に与えたもの。桓武天皇の時代に、雨乞いのため大和の国で1000年生きて神通力を得た雌狐と雄狐の皮でつくられていて、狐忠信は鼓にされた狐の子ども。変化(へんげ)の力を授かった狐忠信の活躍で、二段目、四段目、五段目にかけて物語をより華やかにしていく。

一転して舞台は摂津国兵庫県)の大物浦(だいもつのうら)。壇の浦の合戦で海中に没し死んだはずの平家の武将・平知盛、幼い安徳帝は実は共に生きていて、知盛は船宿の主人・渡海屋銀平に姿を変え、乳人の典侍の局(すけのつぼね)とともに安徳帝を守りながら、源氏への復讐の機会をねらっていた。

義経一行がやってくると、知盛は幽霊の姿となり、西海で死んだと思われた知盛の幽霊が義経を討つのだとして出陣していく。しかし、あえなく返り討ちにされ、様子をうかがっていた典侍の局ももはやこれまでと安徳帝とともに入水しようとする。次々に海へ飛び込む侍女に続こうとすると、義経があらわれ、押しとどめる。そこに、満身創痍の知盛がやってきて・・・(渡海屋の場、大物浦の場)。

出演は、佐藤忠信実は源九郎狐、渡海屋銀平実は平知盛の二役を尾上菊之助源義経中村錦之助武蔵坊弁慶に阪東彦三郎、静御前中村米吉、銀平女房お柳実は典侍の局に中村梅枝、銀平娘お安実は安徳帝尾上丑之助ほか。

 

菊之助が狐忠信、銀平実は知盛を熱演。今までの菊之助とは別人のように声が野太くなり、見得も決まっていて、客席から拍手喝采。これで大向こうからの「音羽屋!」の声が許されればいうことないんだけど。

ただし、仁左衛門の“一世一代”の知盛を去年2月の歌舞伎座で観ているから、どうしてもあの円熟した芸と比べてしまう。

仁左衛門の観る者の胸に迫る感情表現、動きのひとつひとつに美がある芸の奥深さに到達するにはまだまだ時間がかかるが、挑戦してこその芸である。これからの菊之助が楽しみになる舞台でもあった。

梅枝の銀平女房お柳実は典侍の局が、Bプロの弥助実は維盛に引き続きよくて、うっとり。

 

義経千本桜」(江戸時代中期の延享4年(1747年)初演)の渡海屋の場、大物浦の場を中心とする今回の物語は、おおもとは「平家物語」(鎌倉時代前期の1200年代前半に成立か?)だが、能の「船弁慶」(室町時代中期の作)が下敷きになっている。「船弁慶」の原点は「平家物語」だから、「平家物語」を能でデフォルメし、さらにデフォルメしたのが「義経千本桜」ということになる。

琵琶法師の語りで、瞬く間に全国に広まった源平の合戦を描く「平家物語」。昔の人々は、本を読んで物語を楽しむということはなく、耳で聞くしかなかった。そもそも印刷された本はないから本を読む機会はないし、黙読する習慣もなかった。つまり古代において「読む」とは音読を意味していて、柳田国男も、音読は口承文芸の伝統を引くもの、といっている。

読んで聞かせる物語を、琵琶の音色と抑揚の効いた「語り」で庶民の心をつかんだのが、琵琶法師が語る「平家物語」だったが、それを舞踊化し演劇化して見せるのが能であり、人形浄瑠璃であり、歌舞伎だった。

謡曲船弁慶」のあらすじはこうだ。

兄の源頼朝に追われて都落ちした義経一行は、摂津国の大物浦に差しかかると、瞬く間に海が荒れる。風雨の中に平知盛の亡霊が現れて一行の行く手を阻むが、弁慶の祈祷によって亡霊は退散していく。

この話を大きく脚色して、知盛は実は生きていて、復讐の時を待つ物語に変更したのが「義経千本桜」。幕切れには、知盛が大きな碇を体に巻きつけ、崖から身を投じるダイナミックなシーンがあるが、これは幽霊として現れた知盛が鎧兜を二重に着て碇とともに海中に飛び込んでいったという謡曲「碇潜(いかりかづき、1500年代前半の作か)」からヒントを得ている。「平家物語」には、壇の浦の戦いで敗れた知盛はじめ武将たちが鎧兜を二重に着たり鎧の上に碇を背負って海中に没する話があるから、「碇潜」もそれを参考にしているのだろう。

ただ、西国に落ちのびようとする義経一行を嵐とともに阻んだのが平知盛の怨霊だったという着想でつくられたのが「船弁慶」なのに対して、「義経千本桜」は怨霊ではなく知盛は実は生きていて、密かに義経を討つチャンスをねらっていたのだと、よりリアルに描いている。

「実は生きていた」というのは歌舞伎などでよくある虚構の話なのだが、お客はそれを重々承知の上で源平の争いを人間ドラマとして楽しむことで、人間の本質とは何かを知ろうとする。そこが人形浄瑠璃や歌舞伎のおもしろさ、醍醐味なのではないだろうか。