アメリカ・カリフォルニアの赤ワイン「グランド・リザーヴ・カベルネ・ソーヴィニヨン(GRAND RESERVE CABERNET SAUVIGNON)2019」
(写真はこのあと牛のサーロインステーキ)
オバマ元大統領もお気に入りとかいうカリフォルニア屈指のワイナリー、ケンダル・ジャクソンのワイン。
カベル・ソーヴィニヨンをメインに(86%)、メルロ(7%)、カベルネ・フラン(3%)、マルベック(3%)、プティ・ヴェルド(1%)をブレンド。
微妙な配合によるものか、エレガントな味わい。
ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたフランス映画「日曜日が待ち遠しい」。
1983年の作品。
原題「VIVEMENT DIMANCHE!」
監督フランソワ・トリュフォー、出演ファニー・アルダン、ジャン=ルイ・トランティニャン、フィリップ・ローデンバックほか。
ヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人、フランソワ・トリュフォーの遺作。チャールズ・ウィリアムズの原作(「土曜を逃げろ」)をもとにトリュフォーとシュザンヌ・シフマン、ジャン・オーレルが脚色。
南フランスの小さな町。不動産会社の秘書をしているバルバラ(ファニー・アルダン)は、余暇には素人演劇の舞台にも立っている快活な女性。
あるとき、勤めている会社の社長であるジュリアン(ジャン=ルイ・トランティニャン)が、彼の妻の殺害事件の容疑者として警察に追われるようになる。バルバラはひそかに思いを寄せるジュリアンを会社の地下室にかくまい、素人探偵として調査に乗り出すが・・・。
ヒロインを演じたファニー・アルダンは、トリュフォーが前作の「隣の女」(1981年)に抜擢した女優。2人はいつのころからか恋愛関係にあったみたいで、この映画のラスト近くで彼女が小型拳銃を忍ばせて暗い夜道を歩くシーンを撮影したとき、トリュフォーは彼女のためにミステリー映画をつくろうと思い立ったという。早い話が彼女のためにつくった映画が本作。しかし、トリュフォーは本作の劇場公開の1カ月前の1983年7月に脳腫瘍と診断され、翌84年10月、52歳で亡くなっている。
トリュフォーは美脚を愛した人だったという。スラリとした長身のアルダンはたしかに美脚で、映画の冒頭からして、一生懸命走る小犬を従えて美脚を披露しながら颯爽と歩く姿だった。
地下室にこもりきりの社長役のトランテイニャンが、採光用のくもリガラスごしに横切る女性たちの足にうっとりしているのを見て、アルダンが素知らぬふりをして窓の前を行き来して美脚を見せるシーンもあった。
トランテイニャンが妻に離婚を切り出す場面では、妻役の女優が長い足を必要以上にヒラヒラさせていて、どこまでトリュフォーは美脚好きだったのか。
(ドイツでは「AUT LIEBE UND TOD」という題で上映。
一方、トランティニャンはアヌーク・エーメと共演したクロード・ルルーシュ監督の「男と女」(1966年)の印象が強い。
あの映画の50年後に、監督のクロード・ルルーシュはじめアヌーク・エーメ、ジャン・ルイ・トランティニャン、音楽のフランシス・レイなど、当時のスタッフ・キャストが再結集して「男と女 人生最良の日々」(2019年)がつくられた。
トランティニャンは2022年6月死去。91歳だった。
ついでにその前に観た映画。
民放のBSで放送していたイギリス・アメリカ合作の映画「モーリタニアン 黒塗りの記録」。
2021年公開の作品。
監督ケビン・マクドナルド、出演ジョディ・フォスター、ベネディクト・カンバーバッチ、タハール・ラヒム、シャイリーン・ウッドリーほか。
「真実の物語」と映画の冒頭にクレジット。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の直後にテロリストとして疑われ、悪名高きグアンタナモ収容所に収監され続けた実在の人物モハメドゥ・ウルド・スラヒの手記をもとに描いたサスペンスドラマ。
彼は、ドイツの大学の学生だった1991年と1992年にアフガニスタンに渡り、アルカイダの施設で軍事訓練を受けたことがある。しかし、当時のアルカイダは共産政権との戦いのためとしてアメリカからの援助を受けていた組織だった。
彼とアルカイダとの関係はそこで終わったが、妻の姉妹がアルカイダの重要人物と結婚していて、義理の兄弟としてその人物と連絡をとりあったりしたことはあったという。
また、カナダのモントリオールに住んでいたころに通ったモスクには、時期は異なるものの、あるテロ未遂事件の犯人も出入りしていたらしい。
彼は敬虔なイスラム教徒だった。しかし、彼がテロに関与した証拠は一切なかった。
にもかかわらず、2000年にモーリタニアに帰国していたところ、01年の9・11の事件直後に米国の要請のもとモーリタニア当局により身柄を拘束され、ヨルダンで拘禁。02年8月、グアンタナモ収容所へ移送され、様々な拷問を受ける。14年たってようやく釈放されるが、2005年の夏から秋にかけて獄中で手記を執筆。
手記はアメリカ軍の検閲により多くの部分を黒塗りにされたが、黒塗り部分をそのままにして出版され、明らかになった部分だけでもその内容は衝撃的で、全米でたちまちベストセラーとなる。
映画は彼の手記を元に、アメリカ軍の行った残虐な尋問や拷問の実態を暴いていく。
アメリカ同時多発テロ事件から2カ月後の2001年11月、モーリタニア人のモハメドゥ・ウルド・スラヒ(タハール・ラヒム)は現地警察に連行され、そのまま米国政府に捕らえられる。
05年2月、ニューメキシコ州アルバカーキの人権派弁護士ナンシー・ホランダー(ジョディ・フォスター)は、スラヒがキューバのグアンタナモ収容所でアメリカ軍に拘束され、同時多発テロの容疑者たちと深く関与する首謀者の1人として告発されながらも起訴も裁判もされないまま、長期間身柄を拘束されていることを知る。ナンシーは部下テリ・ダンカン(シャイリーン・ウッドリー)とともにグアンタナモに飛び、彼の弁護を引き受ける。
一方、海兵隊検事のスチュアート・カウチ中佐(ベネディクト・カンバーバッチ)は、勾留中のスラヒの起訴を託され、動き出す。カウチ中佐は、友人であった副操縦士が乗っていた飛行機をハイジャックしたテロリストをリクルートしたのはスラヒだと聞かされていた。
ナンシーは弁護のためスラヒにこれまでの出来事の手記を書くことを依頼し、さらに政府にスラヒの供述調書の開示を要求するも、開示された記録文書は大半が黒塗りで消されており、調査は難航する。カウチ中佐も収容所で行われた尋問のMFR(記録のための覚書)開示を求めるが、軍からは一向に開示されずに起訴に至る確信を掴めないままでいた。
ナンシーはスラヒの手記により、また、カウチ中佐はCIAに勤務する友人内密の協力を得てようやくたどり着いたMFRにより、グアンタナモ収容所の看守たちが上司である将軍の命令によりスラヒに対して性的暴行を含む拷問・虐待を繰り返し、彼の母親を逮捕して他の囚人にレイプさせると脅迫することで、自分がテロに関与したとの虚偽の供述を強要させていたことを知る。
彼を、何としても9・11テロの首謀者に仕立てようとするアメリカ政府の企みがそこにあった。
グアンタナモ収容所は、キューバ南東部に位置するグアンタナモ湾にあるアメリカの海軍基地内にある。なぜ、アメリカと対立するキューバに米軍の軍事基地があるかというと、米西戦争後の1903年、スペインから独立したキューバ政府との合意によりアメリカが期限なしで租借しているため。革命後のキューバ政府は、アメリカの基地租借を非合法と非難して返還を要求。租借料の受け取りを拒否している。
グアンタナモ収容所はその米軍基地内に9・11以降に設置されたもの。「テロ容疑者」が大量にここに送り込まれ、アメリカ国土ではないのでアメリカの法律も及ばず、司法手続きなしで容疑者を拘禁し、残虐な尋問・拷問が行われていた。
スラヒは、違法監禁と拷問は許されないとアメリカの裁判所に提訴。裁判所は10年、「政府の主張には根拠がなく、スラヒ氏の拘束は不当」と釈放を命令した。しかし、検察側は控訴。ブッシュ政権下に続いてオバマ政権のもとでも、16年に釈放されるまで拘束はさらに6年間続いた。不当な拘禁が続く間、彼は、無実を信じ息子の帰りを待っていた母を亡くしている。
グアンタナモには779人が収容されたというが、うち有罪は8人だけ。しかもそのうち3人が上級審で判断が覆っている。だが、CIAや国防総省は現在もスラヒはじめ元収容者への謝罪を一切していない。
「テロとの戦い」を口実に、あまりの非人道的な行為を政府自らが行っていることを恥じたのか、バイデン米大統領は任期内でのグアンタナモ収容所の閉鎖を明らかにしている。しかし、今も収容所は機能していて、2021年時点のデータでは、拘束されているのは39人。訴追もされず、釈放も危険だとして無期限に拘束されている人も多くいて、“永遠の捕らわれ人”とも呼ばれているという。