善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「恋をしましょう」他

イタリア・トスカーナの赤ワイン「ボスコ・デル・グリッロ(BOSCO DEL GRILLO)2020」

(写真はこのあと豚肉料理)

トスカーナキャンティ地区協同組合「ジオグラフィコ」が、トスカーナ伝統のワイン製法である、干しブドウ状まで乾燥させて糖度の高くなったブドウをすでにできあがったワインに加えて再び発酵させるゴヴェルノ製法によりつくったワイン。

サンジョベーゼ80%、メルロー10%、コロリーノ5%、カベルネ5%をブレンド

濃厚かと思ったらすっきりした味わい。

 

ワインの友で観たのは、NHKBSで放送していたアメリカ映画「恋をしましょう」。

1960年の作品。

原題「LET'S MAKE LOVE」

監督ジョージ・キューカー、出演マリリン・モンローイヴ・モンタン、トニー・ランドールほか。

マリリン・モンローとフランスの大スター、イヴ・モンタンが共演するロマンチックなミュージカル・コメディー。

プレーボーイで有名な億万長者のクレマン(イヴ・モンタン)は、自分を皮肉った芝居が上演されるのを知り、リハーサルをのぞきに行くが、舞台で歌い踊る主演女優のアマンダ(マリリン・モンロー)に一目ぼれ。彼女に近づくため「アレクサンドル・デュマ」の偽名を使い、身分を隠して役者のフリをして一座にもぐりこむが・・・。

 

役者になって彼女に近づくためのクレマンのリッチマンぶりがすごい。ミルトン・バールから小話のギャグを買い、ビィング・クロスビーから歌を習い、ジーン・ケリーからはダンスを習う。いずれも本人が実名で出演している。

モンローとモンタンのデュエットも楽しめる。主題歌の「恋をしましょう」を、当初は彼女の相手役が歌っているが、モンタンの妄想の中で途中からモンタンにすり替わって、2人で歌っていた。

 

マリリン・モンローというと、腰をくねらせて歩くモンロー・ウォークとか、スカートがめくれ上がるのをどこかうれしそうに押さえたり、セックスシンボル的イメージばかりが目立つ俳優かと思っていたが、本作ではシリアスな演技が印象的で、表情も何だか引き締まって見えた。

グラマラスでセクシーだけど頭からっぽの金髪美人として売り出した彼女だったが、あるときからそんな自分のイメージから何とか脱却したいと考えていたようで、スキルを磨こうと演劇の勉強を始めている。そのころに出会ったのが作家のアーサー・ミラーだった。

彼は「セールスマンの死」(1949年)でピュリッツァー賞を、「るつぼ」(53年)でトニー賞を受賞するなど現代アメリカを代表する劇作家。

モンローはニューヨークにあるアクターズ・スタジオスタニスラフスキー・システム(モスクワ芸術座の演出家スタニスラフスキーが構築したリアリズム演劇の実践論)にもとづく演技法を学んだりしていて、アクターズ・スタジオ創始者の一人であるエリア・カザンから初めてミラーを紹介されて付き合うようになったのは、1950年代の初めごろという。

当時アメリカでは反共主義による“赤狩り”の嵐が吹き荒れていて、ミラーはその風潮を告発。彼はFBIの捜査対象となり、下院の非米活動調査委員会の喚問を受けるが、証言を拒否し、信念を貫く。このときミラーと親密になっていたモンローは映画会社から彼と別れるように促されるが断り、このため彼女もFBIの捜査対象となったという。

56年、2人は結婚。この年に公開された「バス停留所」は、彼女がセックスシンボルのイメージから脱しようとした作品で、「グラマーなだけの女優というこれまでのイメージを一掃した」「マリリン・モンローは遂に本物の女優になった」などと絶賛されたという。

その陰には、夫となったミラーの手助けがあったに違いない。

本作でも、ミラーのバックアップがある。彼は本作の脚本に参加していて、彼女の出番が少ないというので脚本の一部を書き直したりしている。

ミラーは小説でも彼女のために「はぐれもの」と題する小説を書き、これをもとにモンロー最後の映画となった「荒馬と女」(1961年)の脚本も執筆。このときも、彼女を極力目立たせるようなシナリオを書いたといわれる。

しかし、モンローとミラーの結婚生活は長くは続かず、この映画の完成前にすでに2人の仲は破綻していたようだ。映画の撮影終了後の1961年1月、2人は離婚。それから1年半後の62年8月、モンローは36歳の若さで亡くなる。死因は睡眠薬の過剰摂取とされている。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のBSで放送していた日本映画「眠狂四郎殺法帖」。

1963年の作品。

監督・田中徳三、出演・市川雷蔵中村玉緒、城健三朗(若山富三郎)、小林勝彦、高見国一、扇町景子ほか。

 

市川雷蔵の当たり役となった“円月殺法”の遣い手・眠狂四郎を主人公にした時代劇シリーズの記念すべき第1作。

市井に暮らす無頼の徒・眠狂四郎市川雷蔵)の元を、加賀前田藩の奥女中・千佐(中村玉緒)が訪ねてくる。彼女の命を付け狙う唐人の陳孫(城健三朗)から身を守ってほしいと頼まれ、引き受けた狂四郎だったが、今度はそんな当の陳孫から意外な事実を聞かされる。

実は、前田藩は豪商の銭屋五兵衛と手を組んだ密輸業で大儲けをしていた。しかし、幕府にそのことが知られるのを恐れた前田藩主・斉泰は銭屋一家を謀殺。銭屋とゆかりのある陳孫をも謀殺すべく狂四郎のもとに千佐を遣わしたのだった。

そのことを知った狂四郎は江戸を離れて金沢へと向かう・・・。

 

眠狂四郎柴田錬三郎の剣豪小説シリーズに登場する剣客。1956年から「週刊新潮」に「眠狂四郎無頼控」として連載が始まり、剣豪ブームを巻き起こした。

たびたび映画化、テレビドラマ化されているが、小説の連載が始まった年の1956年に早くも鶴田浩二主演で映画化され、58年までに3本が公開された。市川雷蔵シリーズが始まったのが63年で、69年までに12本が製作され、雷蔵にとっては晩年までの当たり役となった。

シリーズ最後の「眠狂四郎悪女狩り」は69年1月公開。その年の7月に、がんのため37歳で亡くなっている。

テレビドラマ化もされていて、江見俊太郎、平幹二朗片岡孝夫(現・片岡仁左衛門)、田村正和などが眠狂四郎を演じているが、田村正和にとって生涯最後の主演作品で、遺作ともなったのが2018年の「眠狂四郎The Final」だった。

市川雷蔵田村正和。2人とも眠狂四郎にぴったりのニヒルで虚無的な感じがして、似ている。

 

ところで、本作を見ていて気になったのが眠狂四郎の着物についていた家紋。

十字架が交差しているような不思議な家紋だった。たしか小説では眠狂四郎転びバテレン(拷問や迫害によって棄教した外国人宣教師などのキリシタン)と日本人女性との混血という出自。それで作者の柴田錬三郎キリスト教を象徴するような家紋を考え出したのかと思ったら、あの家紋は「角花久留守紋」と呼ばれ、実際に使われていたもの。十字を基調としつつ、ほかにもいろんなバリエーションがある。

キリスト教が伝来し普及するようになると、武士の中にも信者が増えていった。武士に家紋は必須。そこでキリスト教のシンボルである十字架を家紋に用いたいと誕生したのが「久留子(クルス)」、つまり十字架をモチーフにした家紋だ。

やがてキリスト教の弾圧により使用が禁止されるようになったというが、ほかのモチーフと組み合わせて使用し続ける者もいたという。

久留守紋は、戦国大名小西行長島原の乱天草四郎などが使ったことでも知られる。

 

NHKBSで放送していたアメリカ映画「地球の静止する日」。

1951年のモノクロ作品。

原題「THE DAY THE EARTH STOOD STILL」

監督ロバート・ワイズ、出演マイケル・レニー、パトリシア・ニールヒュー・マーロウほか。

 

SF映画かと思って見始めたが、とても現実的でヒューマンな映画だった。

ある日、謎の円盤が首都ワシントンの上空に飛来し、着陸する。

円盤の中からは、人の言葉を話し見た目は人間の異星人クラトゥ(マイケル・レーニー)と、巨大ロボットのゴートが現れ、周囲は騒然となる。

クラトゥは、無意味な争いに明け暮れ、核兵器の開発競争まで始めた地球の危機的状況を伝えるためにやってきたのだった。

全宇宙の平和のため、地球の未来を心配し、地球人に警告しようとする異星人の行動を理解しようとしたのは、美しい戦争未亡人で科学者のバーンハート教授の秘書ヘレン(パトリシア・ニール)とその息子のボビーで、2人はクラトゥと心を通わせていく。

核戦争による地球の破滅を回避するため、核兵器の放棄を要求するクラトゥは、世界のすべての国の元首が一堂に集まって話し合わなければならないとアメリカ政府に説き、各国に伝達するが、ときは冷戦の真っ最中のころ。「モスクワで開かないのなら出席しない」とか「女王陛下の国の元首はモスクワなんかに行かない」などという返事で、ラチが明かない。

もはや政治家に頼っていてはダメだと悟ったクラトゥは、バーンハート教授を通じて世界中の科学者を集め、地球滅亡の危機を伝えて去っていく。

映画は51年の作品で、冷戦の時代を反映しているが、現代社会への警告でもある映画だった。

 

映画の中のフレーズで「クラトゥ・バラダ・ニクト」という異星人の言葉が妙に記憶に残った。

クラトゥは親しくなったヘレンに、「クラトゥ・バラダ・ニクト」という呪文のような言葉を暗記してほしいと頼む。もし自分が危害を加えられた場合は、ロボットのゴートにこの言葉を伝えなければならないというのだ。

ゴートは異邦人の従者でありボディーガード。ものすごい力を持っていて、クラトゥの危機を知って暴れ出したら地球を破滅に追いやることもできる。そんなことにならないようにしたい、と彼はいう。

やがて、クラトゥは米軍に追われるようになり、撃たれて死んでしまう。ヘレンはゴートの元に駆けつけ、「クラトゥ・バラダ・ニクト」とつぶやく。するとゴートは死んだクラトゥを探し出して宇宙船に戻り、異邦人を生き返らせる。

ある意味「クラトゥ・バラダ・ニクト」は地球を救う言葉だった。

 

本作は人類と異星人とのファースト・コンタクトを描く本格SF映画の先駆的作品だが、監督のロバート・ワイズはのちに「ウエスト・サイド物語」(1961年)、「サウンド・オブ・ミュージック」(65年)、「スタートレック」(79年)なども監督している。

ロシアの発明家レフ・セルゲーエヴィッチ・テルミンが開発したテルミンと呼ばれる電子楽器を使った音楽が不気味に響く。映画音楽で電子楽器が使用されたのは本作が世界初といわれている。

2008年にはリメイク作品として「地球が静止する日」が公開されている。キアヌ・リーブスがクラトゥを演じた。