善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+「つばくろは帰る」

イタリア・トスカーナの赤ワイン「サンタ・クリスティーナ・ロッソ(SANTA CRISTINA ROSSO)2020」

(写真はこのあと肉料理。左下は3月3日のひなまつりにちなんでハマグリの桜蒸し)

 

アンティノリが手がけるワイン。

フィレンツェを州都に持つトスカーナは、およそ2000年にも渡りブドウ栽培の歴史があるイタリアを代表する銘醸地の1つ。サンタ・クリスティーナの畑は標高約585mという高地で、村々を見渡せる見晴らしのよい丘の上にあるのだとか。

トスカーナ原産のサンジョヴェーゼ、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロ、シラーをブレンド

 

ワインの友で観たのは、BS松竹東急で放送していた「つばくろは帰る」。

2008年8月の歌舞伎座「納涼歌舞伎」での公演を映像にしたもの。

作・川口松太郎、出演・坂東三津五郎中村扇雀中村勘太郎(現・勘九郎)、中村七之助坂東巳之助、坂東小吉、中村宜生(現・歌之助)、坂東新悟尾上松也市川高麗蔵坂東彌十郎中村福助ほか。

 

川口松太郎らしい人情の機微を描いた作品。

しみじみとした余韻の残る舞台だった。

江戸の大工の文五郎(三津五郎)は、京に住む蒲団屋万蔵(彌十郎)から「江戸風の家を建ててほしい」と頼まれて京に向かう途中、東海道で一人旅する孤児の安之助(小吉)を救ったのが縁で旅を共にする。

先着していた2人の弟子(勘太郎、巳之助)とともに万蔵の家の普請を行うが、安之助の実母(福助)は京で暮していて、祗園の芸妓となって君香の名で座敷に出ていた。

安之助の消息を伝えに行く文五郎だが、君香は安之助には会えないとつれない態度を見せる。これを聞いて怒る文五郎だったが・・・。

 

作家で、新派の脚本や演出も手がけた川口松太郎が同名の小説を発表し、二代目尾上松緑の懇望により劇化し、1971年11月、明治座で川口の演出により初演(淡島千景高橋秀樹波乃久里子らが共演)。歌舞伎として上演されるのはこの舞台が初めてという。

 

三津五郎が役にぴったりの味わい深い演技。今は不自由な体とたたかっているが、元気なころの福助はさすがにうまい。

主役は大工文五郎役の三津五郎だが、私の目には君香の子どもの安之助を演じた当時11歳の小吉に見えた。

目尻を下げた感じがほのぼのとしていて、ハキハキと明るい演技だった。

安之助は江戸に生まれたが、生後すぐに父親は死んでしまい母の君香も生きるために京に上ったため孤児となる。親戚に預けられるもひどい扱いを受けて、瞼の母に会いたさに京をめざす。旅の途中に出会ったのが文五郎で、彼を父親のように慕うようになる。

逆境の中にいながら、澄んだ心で健気(けなげ)に生きようとする安之助の姿。

実は作者の川口松太郎も、東京・浅草に生まれたが実の親は知らず、大酒飲みの養父のもとで育った。小学校を優等で卒業したが上の学校には進めず、質屋や古本の露天商、警察署の給仕など職を転々とするなど苦労したようだ。

自分の子どものころのつらさ、その中での希望、瞼の母への思いを、安之助に重ねて描いたのではないだろうか。

 

「つばくろは帰る」という題にも心ひかれる。

つばくろとはツバメ(燕)のこと。陰暦8月は「葉月」だが、「燕去り月」ともいって、「帰燕」「燕帰る」はこの季節の季語となっている。

一茶の句に「乙鳥(つばくろ)は妻子揃うて帰るなり」とあるが、春に1羽ずつの単独飛行でやってきたツバメが、夏がすぎて帰りは子ツバメを連れて親子で去っていく。

 

この芝居で安之助を演じた小吉は、二代目坂東吉弥の孫。2003年、6歳のときに初お目見えするも、吉弥は04年に66歳で亡くなってしまう。父親は歌舞伎役者ではなかったため(母親が吉弥の娘だった)、「立派な歌舞伎役者になってほしい」という祖父の遺志を受けて三津五郎門下となり、06年に初代坂東小吉を名乗って初舞台。

三津五郎とは親戚の関係にあり(吉弥の伯父が八代目坂東三津五郎)かわいがられたようだが、その三津五郎も15年に59歳の若さで死去。後ろ楯をなくしたこともあってか、あるいはそれ以前に思うところがあったのか、役者をやめてしまったようで、今は「かぶき手帖」にも彼の名前はない。

梨園に生まれないと厳しい歌舞伎役者の現実があるのだろうかと、残念に思う。