善福寺公園めぐり

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もしも勘三郎が菊五郎だったら?

中川右介『歌舞伎 家と血と藝』(講談社新書)

とにかくスゴイ本だった。

歌舞伎界に役者は多いが、主役を張れるのは限られていて、市川團十郎家(海老蔵)、尾上菊五郎家、中村歌右衛門家(福助梅玉坂田藤十郎)、片岡仁左衛門家、松本幸四郎家、中村吉右衛門家、守田勘彌家(玉三郎三津五郎)の7家。
ほかにも市川猿之助家があるが、せっかく4代目を襲名したばかりなのにいまだに歌舞伎座杮落としの出演もないように、歌舞伎界の主流とはなっていない。また、坂田藤十郎は元は中村雁治郎で歌右衛門家に連なる「成駒屋」の系統。

本書は、上記の主流7家の家系や血統がどうつながり、交差し、芸の継承が行われていったかを描くが、より端的にいえば、明治以降、現代に至る歌舞伎界のトップの座(座頭)をめぐる生々しい“権力闘争”の歴史を描いた本ともいえる。
今まで歌舞伎をそういう目で見てこなかったから、ある意味、新鮮だったが、ゴシップぽい話がてんこ盛りで、テレビのワイドショーを見ている感じがしないでもなかった。

たしかに歌舞伎は伝統芸だから“家の芸”の継承は重要に違いない。さらに、役者は顔や姿形も大事だから、先代に似た容貌が求められるとなると血の継承も重要となる。しかも、血統は男でないといけない。この点は皇室とも同じだが、歌舞伎は男しかやれないから、よけいに切実な問題である。

たとえば1年前に亡くなった18代目中村勘三郎。18代というから江戸時代から延々と続く名家かと思ったら、ホントは2代しか続いていないのだという。
もともとの初代から続く勘三郎家の家系は、江戸時代に誕生した初代からの直系の家系が3代目ですでに絶えていて、以後は養子でつないでいったが、役者としては明治の初めごろにすでに消えてしまっていたという。
それが、どういう経過か「中村勘三郎」という名前を松竹の創業者である大谷竹次郎が遺族から預かっていた。いわば「預かり名跡」ということか。

一方、明治から大正に活躍した役者に3代目中村歌六がいた。子どもに恵まれ、長男が初代中村吉右衛門、次男が3代目中村時蔵、そして妾腹の男子がいて、その子に与えられたのが17代目中村勘三郎。75年ぶりの名跡復活だったという。

つまり、17代目とそれ以前の勘三郎とは縁もゆかりもないというわけだ(ただし、歌舞伎界はけっこう血縁でつながっているから、ひょっとして内緒のつながりはあるかもしれないが)。
やがて17代目は6代目尾上菊五郎の娘と結婚し、菊五郎の義理の息子となる。そして、2人の間に生まれたのが18代目勘三郎だ。

6代目菊五郎が亡くなり、7代目をだれにするかというとき、ひょっとしたら17代目勘三郎も7代目菊五郎を継ぐ可能性があったという。

実際には7代目は6代目の養子である梅幸の息子が襲名(当代の菊五郎)しているが、6代目には実子の九朗右衛門がいて、本来ならこちらのほうが7代目を襲名する可能性が高かったと思われる。しかし、九朗右衛門は6代目を継ぐだけの才能がなかったか、興味がなかったかで歌舞伎を海外に広げる仕事をしたりしていて、菊五郎襲名の声は上がらなかった。

ほかに、6代目の芸の後継者としては、6代目の娘と結婚した中村勘三郎もいた。さらに、血縁という意味では勘三郎の息子の勘九郎(のちの18代目勘三郎)は6代目の血がつながった孫だった。
だから容貌という点では6代目に最も似ているのは勘九郎で、「どれくらい似ているかは、国立劇場のロビーにある6代目菊五郎の鏡獅子と、18代目勘三郎とを見比べれば、一目瞭然である」と本書の筆者はいっている。

つまり、可能性としては何代目かの菊五郎勘九郎が継いでいても不思議はないわけで、そうなっていたらいったいどんな役者になっていただろうかとつい想像をふくらませてしまう。ただし、勘九郎つまりのちの18代目勘三郎は残念なことに去年の12月5日に亡くなってしまったが。

しかし、そうすると当代の菊五郎は、菊五郎を襲名せずに父の梅幸を継ぎ、ずっと女形をやり続けたのだろうか。すると息子の菊之助はどうなっていたか? こちらは想像したくないのでやめておこう。

いずれにしろ、歌舞伎界の家と血というのは摩訶不思議である。

ところでついさきほど、「歌舞伎座新開場柿葺落 壽初春大歌舞伎」の演目と配役が発表された。

昼の部は「天満宮菜種御供(てんまぐうなたねのごくう)時平の七笑」「梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)鶴ヶ岡八幡社頭の場」秀山十種の内「松浦の太鼓(まつうらのたいこ)」「鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこいのむつごと)おしどり」。
夜の部は「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)九段目 山科閑居」「乗合船惠方萬歳(のりあいぶねえほうまんざい)」新作歌舞伎の「東慶寺花だより(とうけいじはなだより)」。

出演は藤十郎幸四郎吉右衛門我當梅玉福助など。

菊五郎国立劇場だし、海老蔵玉三郎もほかの劇場に出るからいいとして、病気で休んでいる仁左衛門三津五郎の名前はなかった。ちょっとさみしい。