14日は歌舞伎座二月大歌舞伎第3部で河竹黙阿弥作「鼠小僧次郎吉(原題「鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた、「東君」とは春のこと。太陽は東から昇るというので「東君」。初春らしい演目)」を観ようと楽しみにしていたら、急きょ中止となってしまった。
当日の午前中、松竹のHPを見たら「刀屋新助に出演予定の巳之助は体調不良のため尾上菊次を代役に立てる」とあったのみ。それで夕方になって出かけていく途中、念のためもう一回HPを見ると、何と、巳之助の新型コロナ感染を確認し、公演中止が決まっていた。
だったらもっと早く知らせてくれればいいものをとも思ったが、コロナ禍じゃしょうがないか。
今回、とくに楽しみにしていた理由は、今年8歳となる丑之助演じる蜆売り三吉を見たかったからだ。
写真は尾上菊之助演じる稲葉幸蔵、実は鼠小僧と、菊之助の息子の尾上丑之助演じる蜆売り三吉が、雪のなかに佇む姿をおさめた特別ポスター。
六代目菊五郎と四代目丑之助(のちの七代目梅幸。菊之助の祖父)が幸蔵と三吉を演じた大正14(1925)年のブロマイドと同じ構図で撮影されたという。
河竹黙阿弥作のこの作品は安政4(1858)年に四代目市川小團次のために書き下ろしたもので、主役の鼠小僧は市川小團次。そのころ十三代目市村羽左衛門を名乗り子役だったのちの五代目菊五郎が蜆売りの三吉を演じた。このとき五代目は13歳。
まだ年端のいかない子役のころだったが、役が決まると毎日深川まで出かけていって実際の蜆売りの一挙一投足をくまなく観察し、クセや歩き方、商売文句を覚えて舞台で再現し大向こうからの喝采を浴び、小團次さえも唸らせる出来栄えで、この好演が黙阿弥の目にも留まり、19歳のときの弁天小僧の大抜擢につながるきっかけになったという。
今から120年前、六代目菊五郎も丑之助時代の明治34(1901)年1月に三吉を演じていて(このとき数え14歳)、父五代目から自身の出世芸となった役だけにかなり厳しく教わったという。
さらに今から97年前、大正14年3月に四代目丑之助が三吉を演じたとき(当時10歳)も、六代目から非常に厳しく教えられたことをのちの梅幸は自伝の中で書いている。
それによると、「雪の日に蜆を売り歩く足つきが悪い」といって、六代目は10歳の丑之助を雪の庭に放り出して裸足で歩かせ、寒さに震えながら歩く実感をつかませたという。
当代の菊之助が丑之助時代に三吉を演じた記録は見当たらなかったが、父親の七代目菊五郎が平成5(1993)年 3月に鼠小僧を演じたとき(大正14年以来68年ぶりの復活通し上演だった)、三吉役は当時8歳の二代目松也だった。
松也は同じ音羽屋だが松助の息子。丑之助だった菊之助は16歳で、三吉役には年齢的に育ちすぎとされたのか、この年の 1月、国立劇場での「人情噺文七元結」の娘お久で国立劇場奨励賞を受賞している。
今の丑之助は今年8歳で三吉役にはちょうどぴったりの年齢。
六代目の厳しい指導で雪の中を歩かされた当時10歳の丑之助は当代の菊之助の祖父。菊之助は祖父のその芸談を知っていて、東京でも雪が降った日があったので息子の丑之助にも裸足で歩かせてみようと思ったが、コロナ禍の今の時期に風邪をひかせてもいけないのでやめたとかいっていた。
それでも代々の丑之助の芸である三吉役を現代っ子の当代がどう演じるか、楽しみだっただけに残念無念。
そういえば先週の国立劇場の文楽も、出演者にコロナ陽性者が出たとかで中止となっていて、何だか中止が続いている。