善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「風をつかまえた少年」「ビッグ・シック」

ルーマニアの赤ワイン「ラ・ヴィ・ピノ・ノワール(LA VIE PINOT NOIR)2018」f:id:macchi105:20210927124355j:plain

メインの料理は牛のカット・ステーキ。f:id:macchi105:20210927124416j:plain

ルーマニア・ムンテニア地方の赤ワイン。

ルーマニアのワインは初めて飲むが、6000年以上の歴史を持つワイン産地だという。

ワインの発祥地はコーカサス地方ジョージアといわれるが、そこからルーマニア黒海を隔てて目と鼻の先にある。ワインの味と醸造の技術は、ほかのヨーロッパ諸国に先駆けていち早く伝来したに違いない。

 

生産者のドメーニレ・サハティーニは、2003年に女性醸造家のアウレリア・ヴィシネスク氏によって創業。ワイナリーと畑はムンテニア地方のデアル・マーレ地域の中央にあるミジル村近郊にあり、畑は合計で82haを所有。

ここはカルパティア山脈の南の斜面にあたり、雨は少なく朝晩の温度差が大きいのが特徴で、ブドウ栽培に適しているのだとか。

ピノ・ノワール100%。柔らかい口当たり。

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたイギリス・マラウイ合作の映画「風をつかまえた少年」。

2018年の作品。

監督・脚本・出演キウェテル・イジョフォー、出演はほかにマックスウェル・シンバ、アイサ・マイガほか。

 

実話にもとづく映画で、2014年に出版された「風をつかまえた少年 14歳だったぼくは風力発電をつくった」(ウィリアム・カムクワンバ、ブライアン・ミーラー著(文藝春秋刊)を映画化。

 

2001年、その当時、人口の2%しか電気を使うことができず、世界最貧国の1つだったアフリカ南東部のマラウイが干ばつに襲われた。当時14歳のウィリアム(マックスウェル・シンバ)は、農業を営む一家の収入が途絶えたために学費を払えず、通学を断念せざるをえなくなった。飢饉の脅威が迫る中、何とかして水を得る方法はないかと考えたウィリアム。学校の図書室で見つけた1冊の本を頼りに独力で風力発電の仕組みを学ぶと、風車づくりに着手する。

材料に使ったのは自転車の部品や車のバッテリー、プラスティックの板など。ほとんどがごみ捨て場から拾ってきた廃材だ。森で伐採したユーカリの木を10数mの高さに組み上げた風車で電気を起こし、ポンプで地下水をくみ上げることに成功する。

 

ウィリアム少年は実在の人物で、1987年生まれ。映画で描かれたように風力による発電に成功すると、現地の新聞で報道され、2007年には科学者や発明家、起業家の国際会議TEDグローバルより招聘されスピーチをする。やがて中学校に復学し、さらに南アフリカ共和国の高校に進学。2010年9月からアメリカのダートマス大学で学んでいるという。

 

風は自然からの贈り物。それを探求心と知恵と努力で電気に変える。感動的な映画だった。

監督のキウェテル・イジョフォーは、誘拐されて奴隷として売られた黒人の12年間を描いた2013年の映画「それでも夜は明ける」に出演し、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。本作が初監督作品という。

 

映画の冒頭、葬式のシーンがあり、仮面をつけた人たちが葬列の先頭に立ち、踊りを披露していた。これはマラウイモザンビークザンビアにまたがるチェワ族の「グレワムクル」という儀式舞踊で、ユネスコの世界無形文化遺産にもなっているとか。

葬式のときだけでなく、収穫の祝いや結婚式などでも行われ、木やワラでつくったお面をかぶり、舞い踊る。祖先の霊との交信の役割を果たしているのだろうか。

 

ついでにその前に多映画。

民放のBSで放送していたアメリカ映画「ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ」

2017年の作品。

監督マイケル・ショウォルター、出演クメイル・ナンジアニ、ゾーイ・カザン、ホリー・ハンター、レイ・ロマノほか。

 

パキスタン出身の男性コメディアンとアメリカ人女性のカップルが、結婚に向けて文化の違いによる数々の障壁を乗り越えていくさまを、実話をもとに描いたコメディドラマ。

テレビシリーズ「シリコンバレー」にレギュラー出演する俳優クメイル・ナンジアニと、ナンジアニの妻である脚本家のエミリー・V・ゴードンが、自分たちの体験をもとに脚本を共同執筆。ナンジアニが自ら主演した。

 

パキスタン移民2世のクメイル(クメイル・ナンジアニ)は、ウーバーの運転手をしながらシカゴのコメディクラブに出演している。両親からは弁護士になれと耳が痛いほどいわれるが、コメディアンとして成功することが彼の夢だった。ある夜、セラピストを目指して心理学を学んでいる大学院生のエミリー(ゾーイ・カザン)と知り合い、付き合うようになる。しかし、同郷の花嫁しか認めない厳格な母親に従い、お見合いをしていたことがバレて破局

ところが数日後、エミリーは原因不明の病で昏睡状態に陥ってしまう。エミリーの両親は、娘を傷つけられたことでクメイルに腹を立てていたが、やがて心を通わせるようになり、クメイルもエミリーも、お互いが大切な存在であることに改めて気づいていく・・・。

 

映画を見ていて考えさせられたのは、パキスタンでは「お見合い結婚」が当たり前ということだった。日本もかつては同じだったが、欧米ではお見合いというのはあるのだろうか?

たぶん、昔はあっただろうと思う。

もともと日本でのお見合いというのは、結婚が家と家の結びつきのために行われるからだった。それはヨーロッパでも同じで、貴族同士の結婚などは本人が好きな人を選ぶのではなく、家の存続・繁栄のために親同士で決めること、つまり政略結婚であり、日本のお見合いに似たところもあっただろう。

現代では、ヨーロッパでは日本のような「婚活」もない、という話を聞いたことがある。なぜなら結婚願望がないからだという。結婚することが愛の帰結ではなく、結婚しないでパートナーのまま、つまり同棲とか事実婚でもいいじゃん、という考え方があるためという。

ただし、日本でもしそれが当たり前になったら、女性は不利になることが多い。何しろ日本はいまだに男性優位の国であり、同じ仕事をしても男性のほうが給料は多いし、出世でも差をつけられる。結婚すれば自分が名乗っていた姓だって捨てざるを得ないケースが圧倒的だ。

フランスなどではそうはならないという。金銭面においても、法的な結婚をしなくても税制上で結婚とほぼ同等の法的優遇が受けられる「PACS(パックス)」という民事連帯契約の制度があり、1999年にすでに施行されている。

ほかにも役所に同棲証明書を出してもらうだけでいい「ユニオン・リーブル」という制度があり、これはサルトルが実践した新しい男女の関係をきっかけに広がり、自由結婚ともいわれているそうだ。

それもこれも男女が対等であってこその話で、そこで初めて「自由」は成り立つのだろうと思う。