善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

久々の西荻窪「なない」

チョー久々にJR西荻窪駅近くの「なない」へ。

1月に行ったきりで、その後コロナ禍で行けないでいた。

店の前の通りは今やヤキトリ屋通りと化し、ヤキトリのにおいで辟易するが、「なない」の店の中だけは別世界で、ホッと落ち着いた気分にしてくれる。まさに隠れ家。

 

まずは季節にちなんだ先付け。

手製の豆腐だったかな。f:id:macchi105:20201118170753j:plain

ビールのあと日本酒は石川・白山市の「手取川」。もち米が10%入っているというのでどんな酒かと注文したが、ちょっとまったり感があっていつも日本酒と違う味わい。f:id:macchi105:20201118170816j:plain

しめサバ・バッテラ昆布・焼き茄子のなめろうf:id:macchi105:20201118170909j:plain

隣で飲んでいるワインが気になって、ついついこちらもオレンジワイン。f:id:macchi105:20201118171025j:plain

オレンジワインとは原料がオレンジ、ではもちろんなくて、色合いがオレンジ色をしているからで、原料は白ワインに使われるブドウ。

白ワインのように果皮や種子を除いた果汁だけを発酵させるのではなく、赤ワインの製法と同じに果皮ごと発酵させたワイン。ただし、黒ワインに使われるブドウは果皮中にアントシアニンが含まれていて、それで赤い色になるが、白ブドウにはアントシアニン含まれていないので赤色にはならない。かわりに黄色系色素が溶出することでオレンジに近い色になるるのだとか。

 

桜海老とアサリの卯の花f:id:macchi105:20201118171050j:plain

酒は再び日本酒に戻って「にいだしぜんしゅ」。

ラベルが気に入って注文。福島・郡山の酒。f:id:macchi105:20201118171124j:plain

牡蠣と蕪のグラタン。f:id:macchi105:20201118171143j:plain

「隠(おだやか) 十八代」

これも福島・郡山の酒で「日本の田んぼを守る酒蔵」とラベルにある。f:id:macchi105:20201118171207j:plain

蓮根まんじゅう。f:id:macchi105:20201118171224j:plain

幸せな気分で帰還。

今シーズン初お目見えのアオジ

水曜日朝の善福寺公園は曇り。空気はヒンヤリしてるが寒くはない。

 

池の上をシラサギが旋回している。f:id:macchi105:20201118083444j:plain

どこへ向かうのかと思ったら、高い木の枝に止まった。f:id:macchi105:20201118083502j:plain

このところ一気に紅葉・黄葉が進んでいる。f:id:macchi105:20201118083536j:plain

秋ふかし。ゴイサギは何想う?f:id:macchi105:20201118083557j:plain

すぐそばに別のゴイサギf:id:macchi105:20201118083616j:plain

そのゴイサギの視線をたどると・・・・カワセミがエサをねらっていた。f:id:macchi105:20201118083638j:plain

ときどき上を気にしている。f:id:macchi105:20201118083700j:plain

カワセミを観察していると、手前の繁みの中にアオジがいた。f:id:macchi105:20201118083728j:plain

枝に隠れてはっきりしないが、クリクリ目と羽の模様でアオジとわかる。

今シーズン初のお目見え。

 

カワウが羽をパタパタさせて乾かしていた。f:id:macchi105:20201118083759j:plain

正面から見ると相変わらずのヒョウキン顔だ。f:id:macchi105:20201118083839j:plain

 

福岡・柳川散策

先週後半は仕事で福岡へ1泊2日の旅。

行きも帰りも飛行機だったが、9月に大阪へ飛行機で行ったときは羽田空港はガラガラで閑散としていたのに、GOTOトラベルの影響か、今回はけっこう混雑していた。

JALを利用したが、行きは300人超乗りの大型機だったためか客が隣同士にならないように通路を挟んで3列並ぶ席の中間の1列は空いていたのに、帰りは200人弱乗りぐらいの中型機で隣りに空席はなく、満席のようだった。

JALはどういう基準で客同士の“三密”を防いでいるんだろうか?とフト気になった。

 

福岡にはお昼ごろ到着。地下鉄の中州川端で途中下車し、歩いていて見つけた「Bar Vita (バールヴィータ)」というイタリアンの店で昼食。f:id:macchi105:20201117092050j:plain

ランチはパンとサラダ、ドリンク・スープのブッフェ付き。f:id:macchi105:20201117092110j:plain

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夕方、福岡県南部、有明海に面する柳川へ。ここで1泊して翌日帰京する予定だ。

柳川は市内を掘割が縦横に流れることから水の都と呼ばれ、筑後地方南西部の商業の中心地であるとともにウナギ料理、掘割を使った川下り、旧藩主立花氏の別邸「御花」が有名。北原白秋の生誕地でもある。

 

泊まったのは「柳川 白柳荘」という旅館。

GOTOキャンペーンで観光客は増えているのだろうが、コロナの影響はまだ残っているようで館内は静か。大浴場も独占状態。平日だったためでもあるんだろうが。

夜は館内でコース料理。

ふたを開けると料理の数々。f:id:macchi105:20201117092151j:plain

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中に入ってるのはムツゴロウの姿焼き、ワケノシンスケ(イソギンチャク)、海茸の粕漬、などなど。

 

柳川ではシタビラメのことを「くっぞこ」というらしいが、聞くと、靴の底に似ていることから「底(クツゾコ)→「くっぞこ」となったらしい。f:id:macchi105:20201117092252j:plain

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柳川といえばウナギ、というわけで、名物のウナギのセイロ蒸し。f:id:macchi105:20201117092346j:plain

 

朝食はいかにも“旅館の朝メシ”って感じ。f:id:macchi105:20201117092408j:plain

旅館の庭に咲いていたハナカタバミf:id:macchi105:20201117092429j:plain

ツワブキも咲いていた。f:id:macchi105:20201117092452j:plain

柳川の名物といえば川下り。f:id:macchi105:20201117092523j:plain

どんこ船に乗って、船頭のガイドや舟歌を聞きながらおよそ4キロの堀割を1時間ほどかけてゆっくりとめぐる。f:id:macchi105:20201117092649j:plain

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続いて行ったのは旧藩主立花氏の別邸「御花」。

現在は料亭、ホテル、史料館などの施設があり、庭園は国の名勝に指定されている。

ぶら下がっているのは、ひな祭りに飾られる「さげもん飾り」。f:id:macchi105:20201117092830j:plain

史料館には立花家伝来の近世大名道具や近代伯爵家資料およそ5千点が収蔵されているという。

ズラリ並んだ「金箔押桃形兜」。f:id:macchi105:20201117092857j:plain

西洋甲冑の影響を受けて作られたといわれ、桃の実を思わせる形から桃形兜と呼ばれる。金箔を施したこの兜を戦場で一隊全員に揃って着用させたんだとか。さぞやハデハデだったろう。

 

立花家の家紋が変わっている。

細長い筒をクロスさせた図形を中央におき、そのまわりに銀杏の葉のような飾りがあしらわれている。f:id:macchi105:20201117092921j:plain

この一風変わった紋は立花家の定紋(公式の家紋)として用いられた祇園守紋。祇園といってももちろん遊興の場のことではなく、京都・八坂神社の守り札をあらわしたものとされる。

中央の2本の筒が守り札で、銀杏の葉のような飾りは、守り札に結ばれた緒がひらりと広がる様をあらわしているのだとか。

 

戦国時代の女性武将だった立花誾千代(ぎんちよ)(1569‐1602年)の逸話がまたスゴイ。f:id:macchi105:20201117092945j:plain

誾千代は、当時、豊後(ぶんご)を地盤に九州の大半を制圧した戦国大名大友宗麟重臣立花道雪のひとり娘として生まれる。

西国一の美しい姫といわれ、幼少期から聡明で快活で、しかも男勝り。7歳のとき、父から立花家の家督を譲られる。

その6年後、誾千代の婿として迎えられたのが、のちの西国最強の武将といわれた立花宗茂。このとき宗茂15歳、誾千代13歳。

彼女には数々の伝説があり、豊臣秀吉に言い寄られた際、女中に鉄砲を持たせて護衛をさせ、自らも武装して名護屋城に乗り込んだとか、関ヶ原の合戦加藤清正が柳川に侵攻したおり、誾千代の武勇を恐れた清正は誾千代が指揮する軍との衝突を避けるため侵攻ルートを変更した、などの逸話が残っている。

 

「うーむ、NHK大河ドラマにぴったりだなー」と思ったら、地元では「立花宗茂と誾千代NHK大河ドラマ招致柳川委員会」をつくって招致活動の最中だとか。

 

次に行ったのは、落ち着いたたたずまいの「旧戸島家住宅」。f:id:macchi105:20201117093037j:plain

江戸時代後期の侍屋敷で、庭園は国の名勝。

柳川藩で中老職についていた吉田兼儔の隠宅として建てられ、のちに藩主の茶室として使用された。

当時の流行を反映して文人趣味の意匠が随所にみられる。

茶室の壁の三日月。f:id:macchi105:20201117093100j:plain

実は正面玄関(式台)に描かれたものだった。f:id:macchi105:20201117093127j:plain

とにかくこんなに落ち着いた気持ちにさせられる武士の住宅は初めて。当時の侍のつましい生活が目に浮かぶようで、座っていると、隣の部屋から「ようこそおいでくだされた」と住人があらわれてきそうだ。f:id:macchi105:20201117093153j:plain

ここでは200年前から時計がストップしているようだった。

 

昼は掘割沿いにあった「喜よし食堂」でチャンポン。f:id:macchi105:20201117093217j:plain

野菜が山盛りタップリでおいしい味。

 

掘割をめぐりながら散策していると、ジョウビタキのメスが飛んできた。f:id:macchi105:20201117093247j:plain

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北の国から、こんな南のほうまでやってきているんだねー。

 

帰りの西鉄・柳川駅ホームで見た広告。

「柳川」の「川」を「ノリ(海苔)」と読ませて、「海苔もあるよ、柳川」。f:id:macchi105:20201117093425j:plain

東京あたりでは「有明海苔」として売られているようだが、「柳川海苔」もがんばってるらしかった。

カニ脚のワカバグモ

火曜日朝の善福寺公園は快晴。朝からあったかい感じ。

 

池の縁のすぐ近くにコサギがいた。f:id:macchi105:20201117085655j:plain

最近この場所がお気に入りのようだ。

 

緑鮮やかなワカバグモが前脚をいっぱいに広げてジッとしていた。f:id:macchi105:20201117085844j:plain

クモの脚は「歩脚」というそうで、4対あって前から第1脚・第2脚・第3脚・第4脚。第1脚~第2脚を前脚,第3脚~第4脚を後脚ともいうようだ。 こうして見ると前脚は後脚に比べて太く長くて横に張り出している。

ワカバグモはカニグモ科に属する。名前のとおりカニのように横移動するのだろうか。

今度つついてみよう。

 

すると近くに同じように小さくて、同じような格好をしたグレーのクモ。f:id:macchi105:20201117085913j:plain

やっぱりカニグモ科だろうか。

 

仲良しのカツブリ。f:id:macchi105:20201117085729j:plain

23日まで開催中の「トロールの森2020」作品紹介の続き。

永林香穂「おしりダケ」f:id:macchi105:20201117085750j:plain

作者によると「頭の中で生まれた、枯れない植物」を作っているのだとか。

お尻のモデルはいるらしいが。

 

丹尾敏「種について‐それから‐」f:id:macchi105:20201117085812j:plain

鉄でできたオブジェが風景に溶け込むようにして並んでいる。

作者は鍛冶屋修業後、知多半島常滑に移住し、鉄と土と海や生き物と戯れる生活をすごしているという。

ぜんぷくトリヲの抱腹絶倒パフォーマンス

きのうとけさの善福寺公園の様子をまとめてご紹介。

まずはけさの公園。

上池のカワセミf:id:macchi105:20201116094810j:plain

今シーズン初のツグミを発見。f:id:macchi105:20201116094830j:plain

きのうの日曜日は野外アート展「トロールの森2020」参加のため1日公園に。

その前にいつもの朝の散歩。

3羽のカワセミと出会う。f:id:macchi105:20201116094851j:plain

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高い木のテッペンにアオサギf:id:macchi105:20201116094940j:plain

何と、気温10度以下と寒いのにキアゲハの幼虫。f:id:macchi105:20201116095008j:plain

いったん帰宅してまた出直して、今度は「ラジオ・トロール」の準備。f:id:macchi105:20201116095035j:plain

私が所属する地域のミニラジオ放送局「ラジオぱちぱち」が日曜日に行われる「トロールの森」のパフォーマンスをYouTubeでライブ放送する予定なのだ。

 

秋葉美香さんによるダンス「Virgin」。f:id:macchi105:20201116095057j:plain

森の中で妖精が踊っているようだった。

  

パントマイマーの2人組、ぜんぷくトリヲによる「いのちのオンパレード 大酒のみ」。f:id:macchi105:20201116095124j:plain

公園内を移動しながらの抱腹絶倒のパフォーマンス。

ナイジェリアの古典文学「ヤシ酒のみ」に発想を得て、一人の大酒のみが死んでしまった愛する杜氏を探す冒険譚。能とパントマイムとコメディーを融合したような作品で、なかなかの傑作だった。f:id:macchi105:20201116095146j:plain

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ハルカバードさんによるエアリアルパフォーマンス「星の涙」。f:id:macchi105:20201116095236j:plain

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エアリアルとはサーカスや大道芸でよく見る空中パフォーマンスだそうで、5メートルの高さの枝に吊るした布を登ったりクルクル回ったりの美しいパフォーマンスだった。

 

善福寺公園の近くにある遊工房アートスペースで大塚 聡さん川越健太さん杢谷圭章さん「隣り合う片腕」と題するアート作品を鑑賞。f:id:macchi105:20201116095346j:plain

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 再び公園に戻って宮嵜浩さんの「善福寺鎮守ノ森遺跡」を見たら、出土品?が増えていた。f:id:macchi105:20201116095737j:plain

発掘?が進んでいるのか?

公園からラジオ放送

土曜日は午前中、2回も公園へ。きょうは1日中、雲ひとつない快晴で、ポカポカ陽気だった。

 

まずは早朝のいつもの散歩。

カワセミがそれぞれ好きなところに止まっていた。f:id:macchi105:20201114163359j:plain

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コサギが朝日を浴びて黄金色に光っている。f:id:macchi105:20201114163453j:plain

ホシハジロがぐっすりと休んでいた。シベリアあたりからやってきたので旅の疲れを癒しているのだろうか。f:id:macchi105:20201114163551j:plain

モミジがようやく色づき始めた。f:id:macchi105:20201114163632j:plain

おいしそうな赤い実。f:id:macchi105:20201114163652j:plain

午前10時から午後1時までは、私が所属する地元のミニラジオ放送局「ラジオぱちぱち」の月1回の定例公開放送。もともとミニFMで放送していたが、現在はYouTubeで放送しているので画像付きラジオだが。

 

いつもは近くの区立児童館から放送していて、コロナ禍においては各自が在宅で参加するリモート放送をしていた。

3日から善福寺公園を主会場に野外アート展「トロールの森2020」が開催中なので、われわれも自宅を出て、公園から放送しようと、20年ぐらい前から毎月第2土曜日の午前中にやっている公開放送を、コロナ対策をシッカリ行ったうえ、初めて公園から放送した。

 

ただいま準備中。f:id:macchi105:20201114163724j:plain

本日の放送予定。f:id:macchi105:20201114163746j:plain

公園に咲いている花の紹介もカメラ片手に実況ナマ中継で行ったが、毎日公園を回っているのに気づかなかった花がけっこうあった。

そのひとつ、セイヨウノコギリソウf:id:macchi105:20201114163808j:plain

ヨーロッパ原産のキク科の植物。

葉っぱがノコギリのように見えるのでその名がついた。

 

早朝はしっかり翅を閉じているツバメシジミが、陽気に誘われてか、翅を広げていた。f:id:macchi105:20201114163837j:plain

赤トンボが止まっていた。f:id:macchi105:20201114163901j:plain

あすも公園からアート展の様子を放送する予定。

国立劇場「彦山権現誓助剣―毛谷村-」+荻窪 おざ

東京・半蔵門国立劇場11月歌舞伎公演・第2部の「彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)―毛谷村-」を観る。ほかに、清元の舞踊で「上 文売り(ふみうり)」「下 三社祭(さんじゃまつり)」。f:id:macchi105:20201111230857j:plain

「彦山権現誓助剣」はもともと人形浄瑠璃文楽)で、全11段からなる敵討ちを題材にした長編時代物。通しの上演はほとんどなく、文楽の9段目にあたる「毛谷村の場」がもっぱら上演される。それだけじゃ話のスジがわからないだろうと、その前の「杉坂墓所の場」とあわせて上演。

 

出演は、仁左衛門、孝太郎、彦三郎、松之助、彌十郎東蔵ほか。

梅枝の息子で5歳になる小川大晴が初お目見えで出演。

 

毛谷村は「けやむら」と読む。大分県中津市にある実在の地名。本編の主人公の六助も実在の人物といわれる。

安土桃山時代の剣術の達人で、今の福岡県と大分県にまたがる英彦山(ひこさん)のふもとに住む百姓だったが、武術にすぐれ武芸者となる。修行のため山中のケヤキの虚(うろ)に住んでいて、それから下ったところに村を開いたので、毛谷村の名はケヤキにちなんでいるんだとか。

六助は武芸だけでなく腕っぷしも強く、太閤秀吉の御前相撲で37人抜きをしたことから加藤清正の家臣に取りたてられて名を「貴田孫兵衛」と改め、秀吉の朝鮮出兵に赴いて一番槍の名を馳せたといわれている。

一方で六助は母親孝行でも知られ、やがて豪傑でなおかつ孝行者という六助伝説が流布され、毛谷村六助を主人公とする「彦山権現誓助剱」と題する人形浄瑠璃が成立した。

1786年(天明6年)に大坂で初演されて大当たりとなり、歌舞伎にもなって今日に伝わっている。

 

物語は、ときにユーモラスに、そしてドラマチック。

英彦山の麓、毛谷村に住む六助。純朴な若者で、穢れを知らず、自分が得をするような駆け引きはしない。自分に厳しく、そして母思い、師匠思いの男。演じるのは仁左衛門

まず第1幕・杉坂墓所の場。

六助は武術に優れ、小倉藩から仕官の誘いがありながら未だ未熟ゆえと断っている。そこで藩は彼と立ち合って勝った者は五百石で召し抱えると触れ書を出していた。

亡き母の墓参りに出かけると浪人の微塵弾正(彌十郎)があらわれて、「病の母に仕官した姿を見せたいので、試合で勝ちを譲ってほしい」と懇願される。六助は孝行心に打たれて試合に負けてやることを約束する。

2人が別れ六助がいったん引っ込んだあと、舞台には老僕(松之助)と子ども(初お目見えの小川大晴)があらわれ、山賊に襲われる。そこへ再び戻ってきた六助、山賊をやっつけるが老僕は死に、残された子どもを引き取ることにする。

 

そして2幕目の毛谷村六助住家の場。

試合で六助は弾正にわざと負けてやる。

高笑いして弾正が去っていくと、一人の老女(東蔵)が登場し、「親は健在か?」と聞く。「いや、母を亡くしてやもめ暮らし」と答えると、「では私を親にしませぬか」と“押しかけ親”となって居すわってしまう。目が点になる六助。

すると今度は虚無僧がやってきて、「家来の仇!」と刃を向けてくる。どうやら虚無僧は山賊に殺された老僕の主人らしい。

しかも虚無僧は実は女で、名前はお園(孝太郎)。六助の素性を知ると、いきなり「私はお前の女房じゃ」と夕食の支度を始める。再び目が点になる六助。

 

いったいどーなってんの?と子細を聞くと、お園の父親は長門国の剣術指南役・吉岡一味斎だったが、一味斎はだまし討ちにされ、残された妻と2人の娘は敵討ちの旅に出た。姉のお園は女ながらも大力で武芸が得意だったが、妹お菊は仇に返り討ちされ、お園は悲嘆の中で彦山の麓の毛谷村にたどり着いたのだった。

「何と、お師匠さまが闇討ちにあったとは!」と驚く六助。

 

実は六助にとって一味斎は剣の師であり、お園と六助は会ったことはなかったが、2人は一味斎が認めた許嫁の間柄だった。

さらに山賊に襲われ残された子どもは妹のお菊の一子であり、「私を親にしませぬか」と“押しかけ親”となった老女は一味斎の妻でお園・お菊の母親だった。

そしてさらに、「わざと負けてくれ」と懇願した微塵弾正こそは、一味斎をだまし討ちにした張本人であり、「病の母のため」というのも真っ赤なウソで、善良な六助をだまして試合に勝ち、仕官しようと画策したのだった。

 

いかに純朴で心優しい六助であろうと、そうとわかればただじゃおかない。師匠の仇、この前のいかさま試合の借りも返してやると意気込むと、一味斎の孫は「おじさん、オレにも仇うたせて」。お園は「わが夫よ」と梅の枝を捧げ、老女は「婿どの」と椿の枝を捧げる。

こうして六助は勇んで敵討ちへと向かうのだった。

 

伏線がいろいろとあって、やがて最後には一点に収斂していく。実にうまくできてる話だった。

 

仁左衛門の六助は2011年に大阪で初役で演じて以来、今回で4年ぶり3度目だとか。それにしてはすでに得意芸にした感じで、最初の若々しくハツラツとしたところもいいし、後半のキリッとした姿にホレボレ。

許嫁のお園を演じる孝太郎は仁左衛門の息子で、なかなか息が合っていた。

 

「文売り」は梅枝の女形舞踊、「三社祭」は鷹之資、千之助の若手コンビによる舞踊。

このところ進境著しい梅枝。魅力たっぷりの踊り。時間が短いぐらい。

鷹之資は今は亡き五代目中村富十郎の息子で21歳。千之助は仁左衛門の孫、孝太郎の息子で20歳。若い二人の切れのよい清新な踊りに、見ているこちらもウキウキしてくる。

 

芝居が跳ねたのが午後7時と早い時間。

帰りはJR荻窪駅近くの「おざ」でイッパイ。酒はサッポロ赤星ビールのあと日本酒。青森・八戸の「陸奥 八仙」、山形・天童の「山形政宗 秋あがり」、山形の酒米出羽燦々」を使って高知で醸したという「南 ひやおろし」。

食べたのは、まずはお通し。f:id:macchi105:20201111230927j:plain

兵庫・室津の牡蠣。f:id:macchi105:20201111231009j:plain

野菜のお浸し。f:id:macchi105:20201111231052j:plain

刺身盛り合わせ。f:id:macchi105:20201111231110j:plain

焼きナスのトロロ乗せ。f:id:macchi105:20201111231133j:plain

シイタケの白子焼き。f:id:macchi105:20201111231152j:plain

きょうもシアワセな気分で帰還。