善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

福岡・柳川散策

先週後半は仕事で福岡へ1泊2日の旅。

行きも帰りも飛行機だったが、9月に大阪へ飛行機で行ったときは羽田空港はガラガラで閑散としていたのに、GOTOトラベルの影響か、今回はけっこう混雑していた。

JALを利用したが、行きは300人超乗りの大型機だったためか客が隣同士にならないように通路を挟んで3列並ぶ席の中間の1列は空いていたのに、帰りは200人弱乗りぐらいの中型機で隣りに空席はなく、満席のようだった。

JALはどういう基準で客同士の“三密”を防いでいるんだろうか?とフト気になった。

 

福岡にはお昼ごろ到着。地下鉄の中州川端で途中下車し、歩いていて見つけた「Bar Vita (バールヴィータ)」というイタリアンの店で昼食。f:id:macchi105:20201117092050j:plain

ランチはパンとサラダ、ドリンク・スープのブッフェ付き。f:id:macchi105:20201117092110j:plain

f:id:macchi105:20201117092127j:plain

夕方、福岡県南部、有明海に面する柳川へ。ここで1泊して翌日帰京する予定だ。

柳川は市内を掘割が縦横に流れることから水の都と呼ばれ、筑後地方南西部の商業の中心地であるとともにウナギ料理、掘割を使った川下り、旧藩主立花氏の別邸「御花」が有名。北原白秋の生誕地でもある。

 

泊まったのは「柳川 白柳荘」という旅館。

GOTOキャンペーンで観光客は増えているのだろうが、コロナの影響はまだ残っているようで館内は静か。大浴場も独占状態。平日だったためでもあるんだろうが。

夜は館内でコース料理。

ふたを開けると料理の数々。f:id:macchi105:20201117092151j:plain

f:id:macchi105:20201117092211j:plain

中に入ってるのはムツゴロウの姿焼き、ワケノシンスケ(イソギンチャク)、海茸の粕漬、などなど。

 

柳川ではシタビラメのことを「くっぞこ」というらしいが、聞くと、靴の底に似ていることから「底(クツゾコ)→「くっぞこ」となったらしい。f:id:macchi105:20201117092252j:plain

f:id:macchi105:20201117092314j:plain

f:id:macchi105:20201117092331j:plain

柳川といえばウナギ、というわけで、名物のウナギのセイロ蒸し。f:id:macchi105:20201117092346j:plain

 

朝食はいかにも“旅館の朝メシ”って感じ。f:id:macchi105:20201117092408j:plain

旅館の庭に咲いていたハナカタバミf:id:macchi105:20201117092429j:plain

ツワブキも咲いていた。f:id:macchi105:20201117092452j:plain

柳川の名物といえば川下り。f:id:macchi105:20201117092523j:plain

どんこ船に乗って、船頭のガイドや舟歌を聞きながらおよそ4キロの堀割を1時間ほどかけてゆっくりとめぐる。f:id:macchi105:20201117092649j:plain

f:id:macchi105:20201117092713j:plain

f:id:macchi105:20201117092730j:plain

f:id:macchi105:20201117092747j:plain

f:id:macchi105:20201117092805j:plain

続いて行ったのは旧藩主立花氏の別邸「御花」。

現在は料亭、ホテル、史料館などの施設があり、庭園は国の名勝に指定されている。

ぶら下がっているのは、ひな祭りに飾られる「さげもん飾り」。f:id:macchi105:20201117092830j:plain

史料館には立花家伝来の近世大名道具や近代伯爵家資料およそ5千点が収蔵されているという。

ズラリ並んだ「金箔押桃形兜」。f:id:macchi105:20201117092857j:plain

西洋甲冑の影響を受けて作られたといわれ、桃の実を思わせる形から桃形兜と呼ばれる。金箔を施したこの兜を戦場で一隊全員に揃って着用させたんだとか。さぞやハデハデだったろう。

 

立花家の家紋が変わっている。

細長い筒をクロスさせた図形を中央におき、そのまわりに銀杏の葉のような飾りがあしらわれている。f:id:macchi105:20201117092921j:plain

この一風変わった紋は立花家の定紋(公式の家紋)として用いられた祇園守紋。祇園といってももちろん遊興の場のことではなく、京都・八坂神社の守り札をあらわしたものとされる。

中央の2本の筒が守り札で、銀杏の葉のような飾りは、守り札に結ばれた緒がひらりと広がる様をあらわしているのだとか。

 

戦国時代の女性武将だった立花誾千代(ぎんちよ)(1569‐1602年)の逸話がまたスゴイ。f:id:macchi105:20201117092945j:plain

誾千代は、当時、豊後(ぶんご)を地盤に九州の大半を制圧した戦国大名大友宗麟重臣立花道雪のひとり娘として生まれる。

西国一の美しい姫といわれ、幼少期から聡明で快活で、しかも男勝り。7歳のとき、父から立花家の家督を譲られる。

その6年後、誾千代の婿として迎えられたのが、のちの西国最強の武将といわれた立花宗茂。このとき宗茂15歳、誾千代13歳。

彼女には数々の伝説があり、豊臣秀吉に言い寄られた際、女中に鉄砲を持たせて護衛をさせ、自らも武装して名護屋城に乗り込んだとか、関ヶ原の合戦加藤清正が柳川に侵攻したおり、誾千代の武勇を恐れた清正は誾千代が指揮する軍との衝突を避けるため侵攻ルートを変更した、などの逸話が残っている。

 

「うーむ、NHK大河ドラマにぴったりだなー」と思ったら、地元では「立花宗茂と誾千代NHK大河ドラマ招致柳川委員会」をつくって招致活動の最中だとか。

 

次に行ったのは、落ち着いたたたずまいの「旧戸島家住宅」。f:id:macchi105:20201117093037j:plain

江戸時代後期の侍屋敷で、庭園は国の名勝。

柳川藩で中老職についていた吉田兼儔の隠宅として建てられ、のちに藩主の茶室として使用された。

当時の流行を反映して文人趣味の意匠が随所にみられる。

茶室の壁の三日月。f:id:macchi105:20201117093100j:plain

実は正面玄関(式台)に描かれたものだった。f:id:macchi105:20201117093127j:plain

とにかくこんなに落ち着いた気持ちにさせられる武士の住宅は初めて。当時の侍のつましい生活が目に浮かぶようで、座っていると、隣の部屋から「ようこそおいでくだされた」と住人があらわれてきそうだ。f:id:macchi105:20201117093153j:plain

ここでは200年前から時計がストップしているようだった。

 

昼は掘割沿いにあった「喜よし食堂」でチャンポン。f:id:macchi105:20201117093217j:plain

野菜が山盛りタップリでおいしい味。

 

掘割をめぐりながら散策していると、ジョウビタキのメスが飛んできた。f:id:macchi105:20201117093247j:plain

f:id:macchi105:20201117093340j:plain

f:id:macchi105:20201117093403j:plain

北の国から、こんな南のほうまでやってきているんだねー。

 

帰りの西鉄・柳川駅ホームで見た広告。

「柳川」の「川」を「ノリ(海苔)」と読ませて、「海苔もあるよ、柳川」。f:id:macchi105:20201117093425j:plain

東京あたりでは「有明海苔」として売られているようだが、「柳川海苔」もがんばってるらしかった。