仕事で仙台へ行った。
せっかく仙台まで行くのだからついでに何か見るべきものはないか、と探して行ったのが宮城県美術館で開催中の「横山崋山」展。
これがすばらしかった。


ただ、幼少期のころから優れた作品を目にしていたようだ。曾我蕭白に私淑したというが、崋山が生まれたころに蕭白は亡くなっているから、直接の指導を受けたわけではない。生家は貧しかったが、養子に行った家は裕福で蕭白のパトロンだったらしく、蕭白が描いた絵を間近で見る機会はあったろう。
最初はその模倣から出発し、ほかにもさまざまな絵を見る中で画法を学び、やがて独自の自由な筆遣いによる自分の世界を作り出していった。
彼が生きていたころは江戸の絵師たちにも大きな影響を与え、その名声は当時日本中に広がっていたという。明治以降、海外の研究者やコレクターからも評価され、欧米の美術館に優品が所蔵されてもいるというが、なぜか日本ではやがて崋山は忘れられ、今は知る人も少ないのではないか。
そんな崋山をもう一度見直そうというのが本展で、実は去年の秋にも東京ステーションギャラリーで横山崋山展が開かれていたが、見逃していた。
どの作品も見事で、しかも年を取るごとに絵が生き生きとしていく。
特にすばらしかったのが人物・風俗画だ。
唐の子どもたちが無邪気に遊ぶ姿を描いた「唐子図屏風」は、左隻、右隻合わせて32人の子どもたちが表情豊かに遊んでいる。
「花見図」も花より団子でサクラの下での酒宴風景が描かれているが、思わずルノワールの「ムーラン・ド・ギャレットの舞踏会」を連想してしまった。それぐらい楽しい絵だった。
「やすらい祭図屏風」はお祭りの行列を描いているのだが、遠くからの俯瞰ではなく、近くにグイと寄ってシャッターを押した激写のような臨場感がある。
一転して「夕顔棚納涼図」は仲のよい夫婦がのんびり夕涼みしている、微笑ましい情景。
漫画的な表現も多く、「百鬼夜行図」の妖怪のユーモラスなこと。
「大原女図」など女性を描いた作品もよかった。
また、本展の目玉企画「祇園祭礼図巻」は、上下巻で長さ30mという大作で、トリミングして描くという大胆な発想。

美術館の前にあった彫刻のような樹木。

夜は定禅寺通りにある「一心」という居酒屋でイッパイ。

宮城のおいしい酒(墨廼江(使用米 八反錦)、橘屋(雄町)、伯楽泉)を楽しみ、おいしいものに舌鼓。まずはお通し。いきなりスゴイ。

生カキ。

そら豆。

宮城に来たらやっぱりホヤ。
