善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「あしたの少女」「ピアニスト」「溺れゆく女」

アメリカ・カリフォルニアの赤ワイン「ダイヤモンド・コレクション・カベルネ・ソーヴィニヨン(DIAMOND COLLECTION CABERNET SAUVIGNON)2020」

ラベルにひときわ大きく「COPPOLA」の文字が踊っていて、ワイナリーはフランシス・フォード・コッポラ・ワイナリー。

ん?聞いたことある名前だなと思ったら、映画「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」の監督フランシス・フォード・コッポラの名を冠したワイナリー。

アメリカを代表するワインの銘醸地のひとつ、カリフォルニア州のソノマ・カウンティで彼が立ち上げたワイナリーだとか。

カベルネ・ソーヴィニヨン(80%)、プティ・シラー(13%)、プティ・ヴェルド(5%)、その他(2%)をブレンドした味わい深いカリフォルニアワイン。

 

ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していた韓国映画「あしたの少女」。

2022年の作品。

原題「NEXT SOHEE」

監督・脚本チョン・ジュリ、出演ペ・ドゥナ、キム・シウン、チョン・フェリン、カン・ヒョンオ、パク・ウヨンほか。

2017年に韓国で起こった実際の事件をモチーフに、ごく普通の少女が過酷な労働環境に疲れ果て自殺へと追い込まれていく姿をリアルに描いた社会派ドラマ。


高校3年生のソヒ(キム・シウン)は、担任教師から大手通信会社の下請けのコールセンターを紹介され、実習生として働き始める。しかし会社は従業員同士の競争を煽り、契約書で保証されているはずの成果給も支払おうとしない。

そんなある日、ソヒは指導役の若い男性チーム長が成績不振を会社から責められ、車中で煉炭自殺したことにショックを受け、神経をすり減らしていく。やがて、ソヒは真冬の貯水池で遺体となって発見される。

捜査を開始した刑事ユジン(ペ・ドゥナ)はソヒを死に追いやった会社の労働環境を調べ、根深い問題をはらんだ真実に迫っていく・・・。

刑事であるユジンは、ソヒを「人間関係に悩んだ末の自殺」ではなく「労働者搾取の被害者」ととらえて捜査を開始する。

原題の「NEXT SOHEE」とは「次のソヒ」の意。同じような犠牲者を2度と出してはいけない、という監督の熱い思いが伝わってくるタイトルだ。

韓国社会が抱える二重三重の抜き差しならない問題が描かれている。

ソヒを受け入れた企業は、金儲けが目的であり利益最優先。そのためには実習生を理由に低賃金で働かせ、一方で互いを競わせてノルマノルマで追い込んでいく。

ソヒが通っていた高校はというと、職業教育に特化した学校らしいのだが、専攻する学科や本人の希望に関係なく、つながりのある企業に実習生を送り込み、企業との関係を良好に保って就職率の高さを売り物にしようとしている。送り込んだ生徒の数の多さが問題で、数が多ければ役所からの補助金も増えるというわけで、どんな仕事をさせられているかは知ろうともしない。

企業や学校を指導・監督すべき役所はどうかというと、ことなかれ主義で責任をとりたくないお役所仕事そのままに、上の役所にいわれたとおりにやっているだけだから文句があるなら上の役所へ、大臣へと、たらい回しするばかり。

つまりソヒは、企業と学校、役所がつくり上げた“利益優先サイクル”によって死に追いやられたといえるのだ。

もうひとつ、両親も、ソヒがどんなひどい目にあっているか、彼女がどんな日常をすごしているかも含めて、まったく知らずにいた。

その意味では、彼女の孤独が、自ら死を選んでしまったことにつながったようだ。

 

本作は、2017年1月、韓国全州市で大手通信会社のコールセンターで実習生として働き始めた高校生が3カ月後に自殺した実際の事件にもとづいてつくられたという。この事件のあと、2021年10月にも実習生が死亡する事件があり、さすがに国民の怒りは高まって、実習生を働かせる法的根拠となっている「職業教育訓練促進法」の改正案が国会に提案された。

当初、国会での議論はなかなか進まずにいたが、本作の公開後、「次のソヒ防止法」とも呼ばれた法案成立の気運が高まり、2023年3月、国会で可決に至ったという。

改正案は実習生の権利が侵害されないよう業者側の責務を強化する内容であり、強制労働の禁止や暴行の禁止、中間搾取の排除、公民権行使の保障、職場内いじめ発生時の措置、技能習得者の保護などを追加し、罰則規定も加えられた。

ソヒは孤独のまま死んでいったが、ソヒの心の叫びを聞いて、映画がソヒの言葉を人々に伝えた。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のCSで放送していたフランス映画「ピアニスト」。

2001年の作品。

原題「LA PIANISTE」

監督・脚本ミヒャエル・ハネケ、出演イザベル・ユペールブノワ・マジメルアニー・ジラルドほか。

ウィーンの名門音楽院でピアノ教師として働く39歳のエリカ(イザベル・ユペール)。幼いころから母親(アニー・ジラルド)に厳しくしつけられ、今も私生活をチェックされて異性との交際もままならず、ひそかにポルノショップに出かけたり、深夜のドライブインシアターでカーセックスに励むカップルをのぞき見たりし、性に対する屈折した欲望をまぎらわしていた。

そんな彼女の前に美青年の学生ワルターブノワ・マジメル)が現れ、彼女に求愛してくる。最初、エリカは突然の出来事に警戒し、彼を拒絶するが、ワルターはあきらめず、エリカが勤める音楽院に編入までしてくる。

それでも彼に対して厳しい態度を崩さないエリカだが、あるとき、化粧室で熱烈にキスをされたのをきっかけに、自らの倒錯した性的趣味をワルターで満たそうとするが・・・。

 

原作はオーストリアの作家で2004年にノーベル文学賞を受賞したエルフリーデ・イェリネクの同名の小説(1983年)。

エリカの倒錯した性の趣味は彼女の生い立ちによるところが大きかった。

病気の父親の死以来、彼女は母親とベッドをともにしている。ほぼ完全に母親の支配下に置かれ、自由に服を買うことさえ許されない。

母親の目標は娘を有名人にすることで、幼いころからエリカを優秀なピアニストにするための訓練をさせてきた。彼女はエリカを自分の所有物と見なしていて、特に男性との社会的接触をほとんど認めてこなかった。

母親の抑圧的な支配下の中で積もり積もった欲求不満のはけ口が、歪んだ性的嗜好であり、次第にそれは肥大化し、ますます屈折していく。

ついには彼女はワルターに、自分を殴りつけた上、レイプすることを要求するまでになる。もはやそこまでしなければ彼女の性の欲求は満たされないのだった。

 

この映画を見て思い出した事件があった。

それは1997年に起こった「東電OL殺人事件」だ。

東京渋谷・円山町のアパートの1階空室で、絞殺による女性の遺体が発見された。逮捕された容疑者は犯人として起訴されて裁判にかけられ、いったんは有罪となったものの冤罪とわかり、いまだ真犯人が見つかっていない未解決事件となっている。

被害者は夜な夜な丸山町の街角に立って売春していた39歳の女性。本作の主人公エリカと同じ年齢だ。身元がわかると大きなニュースになった。昼は東京電力に勤務するエリート社員だったからだ。

本作の主人公が昼はウィーンの名門音楽院でピアノ教師をつとめながら、夜になるとカーセックスののぞき見で憂さを晴らしているのと似ている。

「東電OL殺人事件」の被害者は、父親も東電のエリート社員で、近所でも評判のお嬢さまとして育ち、父親に溺愛されて育ったという。

有名私大の経済学部に進学するも、父親はがんのため50歳をすぎたばかりで亡くなる。大学を優秀な成績で卒業すると、父親と同じ東京電力に同社初の女性総合職のひとりとして鳴り物入りで入社する。

雇用における女性差別撤廃の動きが高まったころで、男女雇用機会均等法が施行されたのは1986年のことだ。

入社式で彼女は「亡き父の名を汚さぬようがんばります」と宣言し、東電初の女性総合職であり、父娘二代にわたる社員となったことを異常なほど誇りにしていたといわれる。

所属していた企画部調査課では熱心に仕事し、29歳のときには経済誌主催の優れた経済論文を表彰する懸賞論文で入選するなど高い評価を受けた。

ところが、ハーバード大学留学の選抜試験に落ちるなどして、このときのストレスのせいか、拒食症を発症して入院している。入社から13年目のころ、東京電力初の女性管理職として企画部調査課の副長になるが、会社が終わってから丸山町で売春をするようになったのもこのころからという。

定時に退社すると、新橋から渋谷に向かい、渋谷109のトイレでメイクやウィッグなど夜の準備をして、円山町で客を取る。自ら課したノルマは1日4人。帰りは決まって最終電車で、ルーティーンのようにこの生活を毎日続けていたという。

初の女性総合職、初の女性管理職ともてはやされながらも、それでもそのころは(今もかもしれないが)男性優位社会の重圧の中で、彼女の苦労はいかばかりだったろう。

そんな中で彼女はよほど無理をして、挙げ句に精神を病むまでになっていったのだろうか。

それにしても、抑圧されたりして歪んだ心が“歪んだ性”に向かったのはなぜか?

人間というのは本来、人を愛しまた人から愛されることを望んでいて、それが裏切られたゆえだろうか。

 

民放のCSで放送していたフランス映画「溺れゆく女」。

1998年の作品。

原題「ALICE ET MARTIN」

監督アンドレ・テシネ、出演ジュリエット・ビノシェ、アレクシ・ロレ、カルメン・マウラ、マチュー・アマルリックほか。

マルタン(アレクシ・ロレ)は母と二人暮らしで、父親はいなかった。10歳のとき、母と切り離され実の父親の元に連れて行かれるが、父親は工場を経営していて、横暴な男だった。

20歳になったマルタンはある日、家から失踪し、兄弟の中で唯一気が合っていてパリに住むゲイの兄バンジャマン(マチュー・アマルリック)のアパートに転がり込む。兄は俳優をめざしていて、同じ芸術家をめざす者同士というのでバイオリン奏者のアリス(ジュリエット・ビノシェ)と同居していた。

やがてマルタンはアリスに恋心を抱く。彼は兄の紹介でモデルになり、その甘いマスクが評判となって人気モデルとなる。そして、アリスもまたマルタンに惹かれるようになり、やがて2人は愛し合い、彼女は妊娠する。

アリスの妊娠を知ったマルタンは激しく動揺し、情緒不安に陥る。彼は、それまでアリスに黙っていた私生児としての自分の過去を打ち明けるが・・・。

 

「溺れゆく女」という邦題なので、知的でエレガントな感じのジュリエット・ビノシェが男に翻弄されて人生に溺れていく物語かと思って見ていたら、彼女はまるっきり溺れない。溺れるのはむしろマルタンのほうで、彼女は押し寄せる波に向かって立ち、愛し合う2人のため、生まれてくる子のため、困難を乗り越えようとする。

それとも、愛のために生きようとする女性は「溺れゆく女」でしかないのだろうか?

原題は「ALICE ET MARTIN」、「アリスとマルタン」で、2人の純愛の物語だ。

それじゃあ客が来ないというので刺激的な邦題にしたとしたら、配給会社の偏見は相当重症だ。