善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「アイス・ロード」「ゴールデンボーイ」「デュエリスト/決闘者」

フランス・ボルドーの赤ワイン「ムートン・カデ・セレクション・ルージュ(MOTON CADET SELECTION ROUGE)2020」

メドック格付け第一級シャトー、バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドが手がけるムートン・カデのセレクション・シリーズの1本。

ブドウ品種はメルロ。ミディアムボディなので飲みやすいし、飲み応えも十分。

 

ワインの友で観たのは、民放の地上波で放送していたアメリカ映画「アイス・ロード」。

2021年の作品。

原題「THE ICE ROAD」

監督・脚本ジョナサン・ヘンズリー、出演リーアム・ニーソンローレンス・フィッシュバーン、マーカス・トーマス、アンバー・ミッドサンダー、ベンジャミン・ウォーカーほか。

地下に閉じ込められた26人の命を救うため巨大トラックで危険な氷の道“アイスロード”を走り抜けるドライバーの戦いを描いたレスキューアクション。

 

カナダ北部のダイヤモンド鉱山で爆発事故が起こり、作業員26人が地下に閉じ込められた。事故現場に充満したガスを抜くための救出装置は30トンもの重さがあり、航空機や大型ヘリでは運べないことが判明。酸素がなくなるまであと30時間しかないので、最短ルートとして厚さ80㎝の氷の道(アイスロード)をトラックで運ぶことになる。

ただし、アイスロードは冬期には利用できるものの、4月になった今は氷が溶けてきて危険というので閉鎖されていた。緊急事態というので急きょ通行が許可されたが、スピードが速すぎれば衝撃で、遅すぎれば重量で、氷が割れて水に沈む命がけのルート。

集まった4人の凄腕ドライバーは、リーダーのジム(ローレンス・フィッシュバーン)、運転経験豊富なマイク(リーアム・ニーソン)と弟でイラク戦争の後遺症に苦しむの元帰還兵のガーティ(マーカス・トーマス)、そして、アイスロードの運転にも慣れているカナダ先住民の女性タントゥ(アンバー・ミッドサンダー)。

しかし、彼らの行く手には危険な陰謀が待ち受けていた・・・。

 

観ていて似たストーリーの映画があったなーと記憶をたどったら、思い出したのがロイ・シャイダー主演の「恐怖の報酬」(1977年、ウィリアム・フリードキン監督)だった。

舞台は南米で、町から300マイルほど離れた山の上の油田で爆発事故が起こり、火を消すにはニトログリセリンで大爆発を起こしてその爆風で消すしかない。そこで、1万ドルの報酬と引き換えにトラックで危険なニトログリセリンを運ぶ4人の男たちの物語だ。

たしかにそっくりな物語の展開で、本作の監督・脚本のジョナサン・ヘンズリー自身、「恐怖の報酬」にひらめきを得た作品と語っている。

しかし、「恐怖の報酬」も実はイヴ・モンタンが出演したフランス映画「恐怖の報酬」(1953年)のリメイクだったから、リメイクのさらにまたリメイクということになるのだろうか。

それでも、「恐怖の報酬」は熱帯の南米が舞台だったから、極寒のアイス・ロードを舞台にしたことで、まるで違った物語になった。

 

ロケはアメリカとの国境に近いカナダの都市ウィニペグなどで行われたそうだが、主役のリーアム・ニーソンの談によると、本作ではCGはほとんど使ってなくて、アイスロードも本物だし、雪も本物。スタジオ撮影はまったくなくて、カナダのマニトバ州にあるウィニペグ湖でロケを行い、水も凍っていて、18輪トラックを実際に使って撮影したそうだ。

ウィニペグ湖の湖上に2㎞にも及ぶアイスロードをつくってロケしたという。

映画に登場したのはロケ用のアイスロードだが、実際に鉱山につながる道路として利用されている本物のアイスロードは、撮影地より3000㎞ほど北、極北に近いノースウェスト準州にある。ここのダイヤモンド鉱山と空港との間に燃料や重機などを運ぶアイスロードがあり、2003年には「極北のアイスロード~カナダ・生命線に挑む男たち」と題してNHKでドキュメンタリー番組が放送されている。

ほかにも、生活道路として利用されているアイスロードもある。

オーロラの観測地としても知られるイエローナイフなどは、冬は恐ろしく寒くて2月の最低気温は平均でマイナス30℃ほど、最高気温もマイナス10℃ぐらいにしかならないという極寒の地。このため冬期限定で州が整備・管理する公道としてアイスロードがある。

このあたりは湖や湿地が多く、湿地に浮かぶ「陸の孤島」をつなぐ道は地図にない。そこで先祖から脈々と受け継いだ先住民の暮らしの“知恵”として、1年のうち湖や川が凍る厳冬期の約3カ月間だけ、車が氷上を通れるアイスロードがつくられるようになっている。寒い冬の時期であっても、遠くに住む親戚や友人たちを訪ね、絆を確かめ合う先住民にとってのかけがえのない、心温まる氷の道なのだ。

本作では、凄腕ドライバーの1人として先住民の女性タントゥが登場しているが、彼女の活躍は理由のあることだったのだ。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のBSで放送していたアメリカ映画「ゴールデンボーイ」。

1998年の作品。

原題「APT PUPIL」

監督ブライアン・シンガー、出演ブラッド・レンフロイアン・マッケラン、ブルース・ディヴィソン、ディヴィッド・シュワイマー、ヤン・トリスカほか。

潜伏するナチ戦犯と、彼に接近して話を聞くうちにおのれの内部に巣食う邪悪さに目覚めていく少年の姿を描いたサスペンス。スティーヴン・キングの「ゴールデンボーイ―転落の夏 春夏編―」(原題「APT PUPIL」)を映画化。

 

ロサンゼルス郊外に住む優等生の高校生トッド(ブラッド・レンフロ)は、ある日、授業で学んだナチスドイツによるホロコーストに興味を持ち、独学で知識を深めていく。そんなとき、彼はバスの中で、元ナチスの将校でかつてのアウシュビッツ収容所副所長クルト・ドゥサンダーにそっくりな老人(イアン・マッケラン)を目撃する。手配書と老人の指紋から、老人がドゥサンダーであるのが間違いないと確信を得た彼は、今はデンカーと名乗るこの老人の家を訪れる。トッドは老人の秘密を守る代わりに彼の収容所時代の昔話を聞かせるよう要求。応じざるを得なかった老人は最初は渋々と忌まわしい過去を語り始めるが、やがてナチ戦犯と少年の狂気は重なり合うようになり・・・。

 

小説も映画も原題は「APT PUPIL」。「頭のよい生徒」「優等生」という意味のタイトルだが、邦題の「ゴールデンボーイ」とは「若くして成功した男性」。

だが、頭のよい優等生でありゴールデンボーイの高校生トッドは、ナチスに興味を持つうち、戦争犯罪に怒り二度と起こしてはならない思うようになるのではなく、ナチスの犯罪を是認し、猟奇的好奇心を抱くようになっていく。

ゴールデンボーイ」といいながらとてもコワイ映画であり、ネタバレになってしまうがゾッとするような結末。小説と映画とでは結末が違うようだが、映画の方がよほど背筋が寒くなる終わり方だった。

小説では、トッドは銃の乱射事件を起こして死んでしまい、彼の狂気はそこで終わったことになっている。しかし、映画は違う。

老人は死んでしまい、彼の狂気に気づいたスクールカウンセラーを脅して自分の実を守ることに成功した彼は、優秀な成績で高校を卒業することになり、卒業式では卒業生総代として全校生徒や父母、教師らの前でスピーチする。このとき彼はイカロスの伝説に自分を重ねあわせて「すべての偉大な業績は不満から生まれる。よりよくしたい、より深く掘り下げたいという願望こそが文明を偉大なものへと駆り立てるのだ」といったようなことを述べて何も知らない父母を喜ばせる。

つまり、映画ではそのまま「ゴールデンボーイ」として生きていくところで終わっていて、よりしたたかに邪悪な人生を歩むであろう彼の未来を予言するような結末になっているのだが、卒業生総代としてのスピーチでトッドにイカロスの伝説を語らせたのは、そこに監督のメッセージが込められていたからではないだろうか。

イカロスはギリシア神話に登場する人物の1人で、閉じ込められた島から逃げるため、ロウで固めた翼によって自由自在に飛んでいく能力を得て、勇んで飛び立つ。だが、余り高く飛んではいけないという父の忠告を聞かず、太陽に接近しすぎたことでロウが溶けて翼がなくなり、結局、墜落して死んでしまう。

つまり、イカロスの伝説は、たしかにスピーチでトッドがいったように何かに挑戦する勇気をたたえる物語でもあるが、同時に違う意味も込められていて、それは人間の傲慢さをいさめる物語でもある。

監督は後者をいいたかったに違いない。

 

民放のCSで放送していたイギリス映画「デュエリスト/決闘者」。

1977年の作品。

原題「THE DUELLISTS」

監督リドリー・スコット、出演キース・キャラダインハーヴェイ・カイテル、クリスティナ・レインズ、エドワード・フォックス、アルバート・フィニーほか。

19世紀のヨーロッパを舞台に、決闘にとりつかれた男と彼に決闘を挑み続けられる男との奇妙な関係を描く。原作はジョゼフ・コンラッドによる短編小説「決闘」。

 

1800年、ナポレオン時代のフランス。貴族の出である騎兵隊の士官デュベール中尉(キース・キャラダイン)は、将軍から、平民出身でやはり騎兵隊士官のフェロー中尉(ハーヴェイ・カイテル)に謹慎処分を伝える命令を受ける。ところがフェローは彼を逆恨みし、決闘を申し込む。

この一件以来、2人は14年にわたり、実に6度の決闘を重ねることになる。剣、馬上対決、銃・・・フェローはことあるごとにジュベールに決闘を申し込み、名誉を重んじるジュベールは受けて立つ。2人は再会しては戦い、重傷を負ってなお、因縁の対決を続けるのだった。

 

リドリー・スコットの初監督作品。

彼は大学でグラフィック・デザインを学び、卒業後はBBCでドキュメンタリーやドラマを演出するようになる。その後、独立してCM製作を始め、手がけたCM本数は1900本以上にのぼるというが、1977年、40歳にして「デュエリスト/決闘者」で映画監督デビュー。

本作のあとにつくったのが「エイリアン」(1979年)であり、その後も「ブレードランナー」(1982年)「グラディエーター」(2000年)「オデッセイ」(2015年)など数多くの作品をつくっているが、それらの原点となったのが本作。

グラフィック・デザインを学んだ人だけあって、映像美が際立つ。

しかも、監督としては新人だけに、先輩からの影響も受けているみたいで、本作で彼が参考にしたのはスタンリー・キューブリック監督の「バリー・リンドン」(1975年)だったという。

バリー・リンドン」は18世紀のヨーロッパを舞台に、貴族の仲間入りをして立身出世を図ろうとしたアイルランド出身の農家の息子バリーの半生を描いた歴史ドラマ。衣裳やセットは厳密な時代考証にもとづいてつくられ、屋内も屋外も自然の光の下で撮影しようと、夜の室内をロウソクの灯だけで撮影できるF0・7という超明るいレンズを使うなど、完璧主義者のキューブリックらしくこだわりが徹底された映画だ。

本作でリドリー・スコットキューブリックをまねて、やはりF0・7ぐらいのレンズを使ってロウソクの灯のもとでの人物を撮影しているという。絵画のような描き方もキューブリックの影響を受けているようで、時代考証を徹底させたのもキューブリック流だ。

彼はその後、1979年に「エイリアン」をつくっているが、これもキューブリックの「2001年宇宙の旅」(1968年)に触発されてつくったみたいだし、そうやって先輩から学んで人は上手になっていくものなのだろう。

そういえばキューブリックだって、写真雑誌の見習いカメラマン時代にたくさんの映画を観てすごし、影響を受けた人物としてエイゼンシュティン、チャップリンの名を上げていた。

そしてエイゼンシュティンは、20歳ぐらいのときに日本人教師から日本語を学んで、漢字をや歌舞伎を習ったことからモンタージュ理論を思いつき、チャップリンは幼いころ、芸人だった母親から、手振りや表情で自分の感情を表現する方法とか、人間を観察する方法を学んだといわれている。