チリの赤ワイン「マプ・グラン・レゼルヴァ・カベルネ・ソーヴィニヨン(MAPU GRAN RESERVA CABERNET SAUVIGNON)2021」
メインの料理は牛サーロインステーキ。
フランス・ボルドーのシャトー・ムートンを所有するロスチャイルド社が、チリで手がけるワイン。
チリでも最大かつ最古のワイン産地、マウレ・ヴァレーの自社畑で育ったブドウを使用。
「マプ」とは、チリの先住民族であるマプーチェ族の言葉で「大地・地球」を意味するのだとか。
濃厚かと思ったら意外と飲みやすくてすっきりした味わい。
ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していた日本映画「しとやかな獣」。
1962年の作品。
監督・川島雄三、脚本・新藤兼人、出演・若尾文子、伊藤雄之助、山岡久乃、高松英郎、山茶花究、小沢昭一、船越英二、ミヤコ蝶々ほか。
新藤兼人の脚本を、東宝に所属していた川島雄三が大映の首脳部に企画提案して映画化した作品。当時、新しい住まい方として登場した住宅公団(現・UR都市機構)団地のリビングだけを舞台に、実験的映像を駆使しながら、出演者が“全員悪いヤツ”というブラックコメディ。
元海軍中佐の前田時造(伊藤雄之助)は狭い団地の一室で妻(山岡久乃)と暮らしている。戦後のどん底の生活を経験した彼は二度とそんな暮らしに戻りたくないと、子どもたちをあやつり他人の金を巻き上げている。
息子の実(川畑愛光)は勤め先の芸能プロの金を使い込み、社長の香取(高松英郎)が怒鳴り込んでくるが、夫婦は恐縮したふりをしながらやりすごす。
一方、娘の友子(浜田ゆう子)は小説家吉沢(山茶花究)の二号になっている。強欲な時造一家にいや気がさした吉沢が知子との縁を切ろうとやってくるが、夫婦は吉沢をいいくるめて巧みに話を納めてしまう。
次にやってきたのは芸能プロの会計係である三谷幸枝(若尾文子)。彼女は実や社長の香取を含め、多くの男性と関係を持って金を貢がせ、旅館を開業するための資金を貯めていて、いよいよ開業というので実と手を切ろうと団地を訪ねてきたのだが・・・。
監督の川島雄三は若いころから筋萎縮性側索硬化症を患っていて、家を持たずに浅草や新宿などの行きつけの宿を家がわりにして泊まり歩いていたこともあり、夜ごとスタッフと飲み明かす日々を送っていて、飲み代は助監督の給料が月1万円の時代に月50万円にも達したという。半ば人生を斜に構えた無頼派監督ゆえの独特のセンスが作品にも影響しているのだろうか。本作の翌年(1963年)6月、45歳の若さで亡くなっている。
本作の舞台となったのは東京・中央区の「晴海団地」と呼ばれる住宅公団の団地だった。
1957年(昭和32年)に、東京湾の埋め立てでできた晴海地区が造成されて公団住宅が建てられた。
エレベーターなしの5階建てアパートが中心だったが、公団が将来の住宅の高層化に向けた試金石としたエレベーターつきの10階建て「晴海団地高層アパート」も建設され、設計したのはル・コルビュジエに師事し、東京文化会館などの設計で知られる前川国男だった。
ル・コルビュジエは、理想都市「輝ける都市」をめざして、太陽と緑を享受するというビジョンを住宅で実現しようといくつもの高層住宅を設計。有名なのはマルセイユのユニテ・ダビタシオン(1952年)だが、師であるル・コルビュジエの理想を追って前川が設計したのが晴海団地高層アパートだった。
同アパートへの入居の条件となる最低月収は、当時の33歳のサラリーマンがもらう平均月収の2倍を超えていたという。実際、居住者は会社の経営者などが多く、アパートのそばには黒塗りのハイヤーが列をなしていたとか。
本作に登場する伊藤雄之助演じる前田時造を始めとする家族は、暑いさなかにクーラーもない部屋でうちわをあおぎながらすごし、ニセ外国人っぽい男(小沢昭一)が訪ねてきて「このアパートにはエレベーターもないのか」と文句をいうと、「エレベーターがあるのはあっち」と隣にたつ晴海高層アパートを指さす。
高値の花の高層アパートを羨ましがりながら、この世を生き抜くには“カネ”しかないと、ラクして稼ぐ算段に明け暮れる日々を送るのだった。
相手におもねりつつ、平気でうそをつく伊藤雄之助ののらりくらりぶりはさすがだが、上品ぶった感じでいながら、したたかに生きようとする山岡久乃の演技が光った。
なお、主人公たちが羨望の目で見ていた晴海高層アパートは1997年に解体されてしまったが、その一部はUR都市機構の集合住宅歴史館に移築・保存された。同歴史観は昨年3月に閉館し、今年9月から北区赤羽台で「URまちとくらしのミュージアム」として新しく生まれ変わり、晴海高層アパートの一部はそこに保存されていて、見学が可能だ。
ついでにその前に観た映画。
原題「A LEAGUE OF THEIR OWN」
1992年の作品。
監督・製作総指揮ペニー・マーシャル、出演トム・ハンクス、ジーナ・デイビス、マドンナ、ロリー・ペティほか。
1943年から54年にかけて実在した全米女子プロ野球リーグの選手たちの奮闘を描いたドラマ。
1943年。多くの男性選手が第2次世界大戦に出征してしまった米プロ野球界。苦肉の策として女性のリーグが発足。64人の女性が選手に選ばれ、4チームに配属されるが、姉妹のドティ(ジーナ・デイビス)とキット(ロリー・ペティ)はダンサー出身のメイ(マドンナ)ら個性派たちとともに、酒好きの監督ドゥーガン(トム・ハンクス)率いるロックフォード・ピーチズに所属することに。
女性リーグが盛り上がりだしたころ、妹のキットはトレードでライバル球団のラシーン・ベルズに移籍してしまう。いよいよリーグ創設最初の年の優勝を決める試合で、両チームが激突すると・・・。
ある意味この映画は戦争映画といえるかもしれない。
アメリカは1939年の第二次世界大戦の勃発時には、ヨーロッパ大陸から離れていたこともあって戦争に参加しなかった。1941年12月7日、日本軍の真珠湾攻撃によりアメリカも戦争に突入。しかし、それでもメジャーリーグは中止になることはなく、ワールドシリーズも開催された。休むことなく開催することで国民を鼓舞し、戦意高揚に寄与させようと考えたからだろう。
しかし、1942年の秋になると18歳以上の若者が徴兵されるようになり、多くのマイナーリーグのチームが解散。メジャーリーグの選手も多くが兵役につくようになっていく。各球団とも所属選手の多くが出征して深刻なプレーヤー不足に陥り、1945年のオールスターゲームは中止になっている。
男性プレーヤーが次々と戦地に行って、野球興行が衰退することを恐れたプロモーターが白羽の矢を立てたのが女性によるプロ野球リーグだった。
だから戦争が終わって男性によるメジャーリーグが再び活気を取り戻すと、女子リーグの人気は凋落。1954年にその活動を終えることになる。
映画を見ていてもわかるが、女性が見下されていた時代、ピンクのミニスカートがユニフォームの女子選手たちは半分見世物扱いされた感がある。それでも男性に負けず劣らず野球を愛し、汗とほこりにまみれながらもひたむきに白球を追う彼女らの姿は、華麗でたくましく、美しかった。
監督役のトム・ハンクスは、軽妙な演技ではあったが脇役で、あくまで主役は女性たちだった。
だから原題も「A LEAGUE OF THEIR OWN」。
邦題の「プリティ・リーグ」はかわいらしさを強調しているが、「彼女たち自身のリーグ」というタイトルこそが、あの作品のいいたかったことを表している。
NHKBSで放送していたアメリカ映画「暴力脱獄」。
1967年の作品。
原題「COOL HAND LUKE」
監督スチュアート・ローゼンバーグ、出演ポール・ニューマン、ジョージ・ケネディ、デニス・ホッパーほか。
フロリダの刑務所を舞台に、理不尽な権力にあらがい、何度も脱獄を試みる不屈の男ルーク・ジャクソンの物語。ルークを演じたポール・ニューマンの最高傑作ともいわれていて、2022年に日本で再び劇場公開されている。
戦場で勇敢に戦い多くの勲章を得、一時は軍曹にまで昇進しながら2等兵に降格されて除隊したルーク(ポール・ニューマン)。彼はある晩、酒に酔って理由もなくパーキングメーターを次々に壊しているところを警察に捕まり、フロリダの刑務所に2年の刑で収監される。
刑務所でルークを待っていたのは、過酷な労働や体罰で囚人たちを支配する所長とその部下の看守たちだった。ルークはそこでも権力に屈せず自分の生き方を貫き、 “牢名主”のドラグライン(ジョージ・ケネディ)の横暴も許さず、大柄なドラグラインに打ちのめされながらも何度も向かっていく。やがて、自由な精神に凝り固まったような彼は、ドラグラインも含め囚人たちから一目置かれる存在となる。
ある日ルークの母の訃報が届くと、所長は彼の脱獄を危惧して懲罰房に入れてしまう。ルークは所長や看守たちに反発するかのように脱獄を繰り返すが・・・。
実際に刑務所に収監された経験を持つドン・ピアースが1965年に発表した小説を原作に、1960年の「殺人会社」で映画監督デビューしてまだ間もないスチュアート・ローゼンバーグ監督がメガホンをとった。映画化にあたり、ピアースは脚本も担当。
アカデミー賞撮影監督賞を「明日に向って撃て!」「アメリカン・ビューティー」「ロード・トゥ・パーティション」と3度受賞している撮影監督コンラッド・ホールの映像美も卓越している。
反体制を貫く主人公ルークの姿にはキリスト教に関係する何らかの暗喩が感じられる。
そもそも主人公の名前のルークとは、聖書の「ルカの福音書」に登場するルカの英語つづりだ。
囚人たちと、ゆで卵を何個食べられるか賭けをして、「50個食べられる」とこともなげにいって、最後は青息吐息ながらも50個食べてしまい、驚く囚人たちの前で彼は裸の姿で両手を広げてバタリと倒れる。その姿は、十字架にかけられたキリストの姿だった。
それなら彼は神を、キリストを信じているかというとそうではない。3度の脱走の末にたどり着いた古びた教会で、ルークは祭壇の前でひざまずき、神にたずねる。
「おれは悪党だ。戦争で人を殺し、酒を飲んで公共物を壊した。あんたはおれに負け札ばかりをつかませるが、そろそろ終わりだ。いつ終わりにしてくれる?教えてくれ」
だが、神は何も答えない。
ルークは戦争という地獄を経験したことで「神はいない」と悟り、生きることに意味を見出すことができなくなった男だった。それでも、生きているからにはルールに従わでければならない。そうやって押しつけられたルールに嫌気がさした果てが、彼の最後の姿だった・・・。
アメリカ人はルークのような男にひかれるのか、アメリカの映画団体であるアメリカン・フィルム・インスティチュートが選んだ「アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100」では、ルーク・ジャクソンがヒーロー部門の30位にランクされている。
ちなみに1位は「アラバマ物語」のアティカス・フィンチ(グレゴリー・ペック)、2位は「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」のインディ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)だった。
原題の「COOL HAND LUKE」の「HAND」とはポーカーをやるときの「手」の意味。したがって「COOL HAND」は「いい手」「最高の手」ということになるが、ここにも映画のテーマが隠されている。
刑務所内で囚人仲間とポーカーをして彼は大勝ちするが、実際には彼の手札はカスだった。彼はうそぶく。「何もない方が一番強い“いい手(COOL HAND)”なんだよ」。以来彼は「「COOL HAND LUKE」と呼ばれるようになるのだが、この世に存在するすべてのものには価値や意味なんてないんだよ、「無」こそがCOOLなんだよ、と映画の中でルークはいいたかったのではないだろうか。
しかし、邦題は「暴力脱獄」。
本作の何年か前に「暴力教室」というアメリカ映画がヒットしたので、2匹目のドジョウをねらったんだろうが、もうちょっと頭を働かせろよといいたくなる。