イタリア・トスカーナの赤ワイン「アルパ・カベルネ・ソーヴィニヨン(ARPA CABERNET SAUVIGNON)2020」
(写真はこのあとメインの豚肉料理)
ワイナリーは、イタリアの老舗ブランド「サルヴァトーレ・フェラガモ」がトスカーナ州で手がけるイル・ボッロ。
もとはメディチ家が支配し、その後、旧王族の所有だったイル・ボッロ村をフェラガモ家が丸ごと買い取り、敷地内の家屋を修復し、中世の美しい景観に戻して高級リゾート地に変え、同時にワイナリーを併設したという。
カベルネ・ソーヴィニヨン100%だが、クセのない飲みやすいワイン。
ワインの友で観たのは、NHKBSで放送していたアメリカ映画「愛は静けさの中に」。
1986年の作品。
原題「CHILDREN OF A LESSER GOD」
監督ランダ・ヘインズ、出演ウィリアム・ハート、マーリー・マトリン、パイパー・ローリーほか。
教育に情熱を燃やすろう学校の教師と、優秀なのに人生を諦めようとしているろう者の女性の愛の物語。
原題の「CHILDREN OF A LESSER GOD」を直訳すれば「より小さき神の子ら」となる。そこから意訳して「神の恩恵の少ない子ら」となるのだろうか。
田舎町のろう学校に赴任した教師ジェームズ(ウィリアム・ハート)は、食堂でサラ(マーリー・マトリン)という若い女性を見かける。校長によるとサラは5歳のときからここで学んだろう者で、昔は優秀な生徒だったが今は大学への進学も諦めて学校の掃除係をしているという。
彼女に興味を抱いたジェームズは、自分の殼に閉じこもろうとするサラに近づき、かたくなに心を閉ざし続ける彼女を何とか救いたいと思うようになる。
教育者として彼女に手を差しのべるうち、その思いはやがて愛に変わっていく・・・。
トニー賞受賞の舞台作品を映画化。舞台の戯曲を書いたマーク・メドフも加わって脚色。
主演のウィリアム・ハートは、先日テレビで見た「グッド・シェパード」では本作よりだいぶ年をとっていてCIA長官役をしていた。
ヒロインは本作が映画デビューであるマーリー・マトリンで、当時21歳だった彼女は史上最年少でアカデミー主演女優賞を受賞。彼女は本作で演じた役柄と同様にろう者でもあった。
映画では、ろう学校教師のジェームズは生徒たちに熱心に発話トレーニングを行っていた。しかし、サラは手話でコミュニケーションをとることはしても、相手の口の形を読み取る口話や発話を覚える気はなく、彼はサラにも口話や発話の練習をさせようとするが頑なに聞き入れようとせず、2人がモメるシーンが描かれていた。
40年近く前の映画だが、あの当時アメリカでは、手話では相手に言いたいことが伝わらないというので口話や発話によるコミュニケーション教育が積極的に推進されていたようだ。
それにしても主人公の教師は、なぜあれほどまで熱心に生徒たちに口話や発話を教えたのだろうか?
たしかに、ろう教育の言語指導法には口話と手話とがあり、日本でもかつて口話法が主流となって、多くのろう学校で手話が禁止されていた時期があったという。
もともと日本のろう教育では、手話や筆談、口話を組み合わせ、一人一人に合った方法で教育が行われていた。
ところが1880年、イタリア・ミラノで開かれたろう教育国際会議で「口話法が手話より優れている」と決議された。以来、日本も含めて、口の動きから言葉を読み取ったり、発声を練習したりする口話教育が手話より優先されるようになっていったという。
1933年、当時の鳩山一郎文部大臣が全国のろう学校に口話の指導に力を入れるよう指示。口話教育は全国に広まっていった。手話は「劣ったもの」「思考力が育たない」などとされ、ろう学校での口話教育は教師の口の動きを読み取って、聞こえる人と同じように発話をする訓練が中心となり、手話は禁止された。
その背景には、手話を蔑み、それだけでなく、ろう者を見下す考え方もあったのではないだろうか。ろう者は耳が聞こえなくても手話というコミュニケーション手段を持っている。それなのになぜ、「聞こえる人と同じように」発話しなければいけないのか?
口話教育が主流となる中で、学校だけでなく社会においても手話は「手真似(てまね)」と蔑まれ、手話で会話するろう者はいわれのない差別や人権侵害を受けるまでになっていったという。
しかし、それでも手話は生き続けた。日々の暮らしの中で使われたのは手話だったからだ。彼らは仲間の中で手話を守り、育んでいった。そして、自分たちの権利を守り、社会参加を果たすためにも、教育現場での手話導入が必要と訴える動きが強まるようになっていった。
「手話は言語」と定義する「障害者権利条約」を国連が採択したのは2006年のこと。2009年、文科省は学習指導要領を改訂して初めて手話を明記。ろう学校でのコミュニケーション手段の1つとしてようやく手話が認められることになった。
現在、手話法を禁止している学校はなく、ろう学校のほとんどの教師が手話を使って授業をしているという。
ついでにその前に観た映画。
民放のBSで放送していたアメリカ映画「ララミーから来た男」。
1955年の作品。
原題「THE MAN FROM LARAMIE」
監督アンソニー・マン、出演ジェームズ・スチュワート、アーサー・ケネディ、キャシー・オドネル、ドナルド・クリスプ、アレックス・二コルほか。
ワイオミング州ララミーからニュー・メキシコへ、ロックハート(ジェームズ・スチュアート)という男が弟の仇を探してやって来た。弟は連発銃を持ったインディアンに殺された。彼はインディアンに連発銃を売った男を探しているのだった。
町へ入った彼は、雑貨店で働くバーバラ(キャシー・オドネル)と知り合い、翌日、近くの鹹湖で塩をとっていたところを、この地域一帯を支配する牧場主の息子でわがままで手におえない男デイヴ(アレックス・二コル)に襲われ、馬車を焼かれた上にラバを何頭も殺されてしまう。
一方、密偵を依頼した男からアパッチに通じる者の姿が浮かび上がってくる。ロックハートはデイヴの度重なる嫌がらせに耐え、真相解明の機会を待つが・・・。
結末をいっちゃうと、ロックハートはインディアンに連発銃を売った男を見つけ、仇を討ってメデタシ・メデタシとなり、ヒロインのバーバラともいい仲になる。
しかし、2人は抱き合うことも口づけすることも、ましてや結ばれることもなく、町に残る彼女にサヨナラをいってジェームズ・スチュワートはララミーに帰っていく。
主人公がヒロインと結ばれることも抱き合うこともなく、一人寂しく去っていくのは、ヘンリー・フォンダ主演の「荒野の決闘」でも同じだった。
「荒野の決闘」では、婚約者のドクをOK牧場の決闘で亡くし、一人、教師として町に残ることにしたクレメンタインに、ワイアット・アープ役のヘンリー・フォンダは彼女のほっぺにキスし、握手して去っていく。
アープはクレメンタインに恋をし、彼女もその気になっていたが、親友のドクの婚約者であり、ドクが亡くなった直後だというので、遠慮して自分の恋心を伝えようとはしなかったのだ。
同じようにして「ララミーから来た男」のジェームズ・スチュワートも、バーバラに惚れていながら、彼女が仇の1人の婚約者で、その男が死んでしまった直後だからか、やっぱり遠慮して別れの言葉だけを残して去っていく。
何てシャイで実直な西部のガンマンたち。
それでも、「荒野の決闘」でヘンリー・フォンダは別れ際、「また牛を追ってくるので必ず寄ります」と約束してるし、「ララミーから来た男」でジェームズ・スチュワートは、「もしあなたが東部に行くなら、途中にララミーがあってそこに私もいるから、ぜひ寄ってくれ」と言い残して去っていく。
自分の本当の気持ちは暗にしっかりと伝えているので、ヨシとするか。