善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生」ほか

イタリア・シチリア島の赤ワイン「キュソラ・シラー・メルロ(CUSORA SYRAH MERLOT)2020」

シチリアの伝統的なワイナリーであるカルーソと最新テクノロジーを導入して投資するミニーニの共同経営によるワイナリー、カルーソ・エ・ミニーニの赤ワイン。

シラーとメルロをブレンド

ときどき飲むワイン。バランスがとれていて飲みやすい。

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたフランス映画「GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生」。

2019年の作品。

原題「GOGO」

監督パスカル・プリッソン、出演プリシラ・ステナイほか。

 

3人の子ども、22人の孫、52人のひ孫を持つ94歳のケニアのゴゴ(ケニアのカレンジン族の言葉でおばあちゃんのことをゴゴ(GOGO)と呼ぶそうだ)、プリシラ・ステナイをめぐるドキュメンタリー。

 

プリシラ・ステナイはケニアの小さな村で助産師として働き、「ゴゴ」と呼ばれて親しまれてきたが、ある時、学齢期のひ孫の娘たちが学校に通っていないことに気づく。自らが幼少期に勉強を許されなかったこともあり、教育の大切さを痛感していたゴゴは一念発起。周囲を説得し、6人のひ孫娘たちとともに小学校に入学する。

年下のクラスメートたちと同じように寄宿舎で寝起きし、制服を着て授業を受ける。同年代の友人とお茶を飲んで一息ついたり、皆におとぎ話を聞かせてやることも。新しい寄宿舎の建設にも力を注ぐ。すっかり耳は遠くなり、目の具合も悪いため勉強するのは一苦労だが、助産師として自分が取り上げた教師や、若いクラスメートたちに応援されながら勉強を続け、ついに念願の卒業試験に挑む・・・。

 

彼女がひ孫とともに通ったのは私立の学校で、校長は大きな食品会社を経営。彼は貧しい家庭の出身だったが、幼少期に自分が学校に行くのを助けてくれた人がいて、成功したら地域に還元したいと学校を開設したという。そのため、学費を払えない貧しい家庭の子どもも受け入れているという。

ケニアの教育の現状を見ると、初等・中等教育は無償化されていて、2018年のデータだが初等教育の純就学率は92・5%。この数字を見ると高い数字のようだが、日本などがほぼ100%であるのに留意すべきだろう。これはあくまで平均の数字で、地域によっては就学率がかなり低いところもあるという。公立学校がないためゴゴが通った学校のように私立学校に頼るしかないところもあるのだろう。

さらに中等教育になると総就学率は71・2%で、これもあくまで平均の数字だ。

貧困地域ではこの数字はもっと低くなっているに違いない。ケニアでは130万人の子どもが児童労働に従事しているといわれている。貧困家庭では子どもは労働力とみなされているから、子どもを学校に通わせることは重要な収入源を失うことにもなるから、躊躇する家庭も多いだろう。

パスカル・プリッソン監督は2012年にも「世界の果ての通学路」というドキュメンタリー映画で、学校があまりにも遠くにあるため、ライオンやゾウがいるような15㎞のサバンナを命懸けで駆け抜けて学校に通うケニアの子どもたちなどを描いている。 

そんな中でも、映画で描かれた明るくくったくのない子どもたちの笑顔、学ぶことの喜びに満ちた表情に、この国の未来を見る気がした。

 

ついでにその前に観た映画。

NHKBSで放送していたアメリカ映画「追跡」。

1947年の作品。

原題「PURSUED」

監督ラオール・ウォルシュ、出演テレサ・ライトロバート・ミッチャム、ジュディス・アンダーソン、ディーン・ジャガー、ジョン・ロドニィほか。

 

映画デビューから5年後ぐらいの若きロバート・ミッチャム主演。恩人の一族との対決を迫られる男の苦悩と孤独をサスペンスタッチで描く異色の西部劇。

時は1900年ごろ、幼いとき家族を亡くしたジェブ(ロバート・ミッチャム)は、カラム夫人(ジュディス・アンダーソン)に救われ、アダム(ジョン・ロドニィ)とソー(テレサ・ライト)の兄妹と共に育てられるが、悪夢に悩まされていた。それは、彼の命をねらう男の影だった。

何者かから自分は憎まれている、と過去の記憶に苦しめられるうち、成長したジェブはソーと恋仲になるが・・・。

 

カラム夫人役のジュディス・アンダーソンの演技が印象的だった。

目で演技する“目力(めじから)”がすごいと思ったら、ジュディス・アンダーソンはもともと舞台で活躍し、舞台劇の「メディア」で1948年のトニー賞アメリカ演劇界で最も権威のある賞とされている)主演女優賞を受賞していた。ヒッチコック監督の「レベッカ」でも、家政婦長役で登場した彼女は、冷酷な感じを目力で演じていた。

日本の映画だと目力で演技することはよくあり、いまだに忘れられないのが東映時代劇の「赤穂浪士」(1961年)で、江戸へ向かう大石内蔵助片岡千恵蔵)が九条家の用人立花左近と偽って宿に泊まると本物の立花左近(大河内伝次郎)があらわれて対決するシーン。

本物の方が「増上寺への寄進の目録があるはず。それを見せよ」と迫り、内蔵助が差し出した目録を開くと、中は白紙。そこからが無言の対決で、ふと立花左近が目を転じると、白紙の目録が入っていた箱に浅野家の家紋。ハッとする立花左近、相手は実は大石内蔵助で、身分を隠して討ち入りのため江戸に向かう途中と悟ると、「ニセモノは自分」と頭を下げ、宿を引き払っていく。

さらに立花左近が去ったあと、2人の様子を見ていた吉良方の千坂兵部役の市川右太衛門があらわれ、またまた2人がエンエンとにらみ合う。時間にしておよそ2分間、その間、セリフは一切なしで、2人の表情のカットバックの繰り返し。すごい緊迫感。2人は軍学者山鹿素行の下で共に学んだ旧友だが、今は敵味方にわかれている。やがて目をそらした千坂兵部は黙って去っていく。

これに対して口から発する言葉を大事にするのが欧米人で、だからマスクで口を隠すのも嫌いなんだろうけど、ジュディス・アンダーソンの“沈黙の演技”が光った映画だった。

映画の最後に、彼女が新生活に向かって歩もうとするジェブとソーにかける言葉がいい。

「過去を振り返らずに、未来だけを見なさい」