ニュージーランドの赤ワイン「ハカ・メルロ(HAKA MERLOT)2019」
HAKA(ハカ)とはもともと、ニュージーランド・マオリ族の戦士が戦いの前に手を叩き足を踏み鳴らして舌を出し、自らの力を誇示し、相手を煽るときの呪術的な踊りだったろう。
現在でも、ラグビーのニュージーランド代表(オールブラックス)が国際試合の前に舞う民族舞踊として有名だ。
ラベルにも踊りのポーズがモチーフとして描かれている。
ワインのあと観たのは、民放のBSで放送していたフランス映画「エール」。
2014年の作品。
原題「LA FAMILLE BELIER」
監督・脚本エリック・ラルティゴ、出演ルアンヌ・エメラ、カリン・ビアール、フランソワ・ダミアン、エリック・エルモスニーノほか。
聴覚障害を持つ家族の中でただひとり耳の聞こえる少女が、歌手になる夢を家族に理解してもらおうと奮闘する姿を描いたフランス製ヒューマンドラマ。フランスで大人気となったが、この映画をリメークしたアメリカ版「コーダ あいのうた」(21年)が今年のアカデミー賞で作品賞、脚色賞、助演男優賞を受賞している。
フランスの片田舎で牛を飼う酪農一家のベリエ家は、高校生の長女ポーラ(ルアンヌ・エメラ)以外の全員が聴覚障害者だったが、「家族はひとつ」を合い言葉に明るく幸せな毎日を送っていた。村では村長選挙が始まり、村に工場を誘致する計画の現村長に対し、口(手話)は悪いが熱血漢の父ロドルフ(フランソワ・ダミアン)は、農地を奪われ森林が破壊されてはたまらないと、突如、村長選への出馬を決める。
そんなある日、ポーラは音楽教師トマソン(エリック・エルモスニーノ)に歌の才能を認められ、パリの音楽学校への進学を勧められる。しかし、ポーラの歌声を聴くことのできない家族は、彼女の才能を信じることができない。
家族から猛反対を受けたポーラ。しかも、家族の代わりに人と話ができるのは彼女だけ。大好きな家族を放っておけず、自らの夢に二の足を踏んでしまうポーラは進学を諦めようとするが、音楽学校のオーディションの日、奇跡が起こる・・・。
村長選挙への立候補を決めたときの父親のセリフがいい。
「耳が聞こえないのは個性だ! オバマも黒人だが大統領選挙に勝ったぞ」
なるほど、耳が聞こえるのも聞こえないのも個性であり、黒人も白人も個性なのだ。
映画は心温まるシーンで終わるが、村長選挙に立候補した父親はどうなったか?
出演者・スタッフを紹介するエンドロールに、サッシュという肩から反対側の腰に斜めにかける儀礼的なリボンをつけて、気取ってにやけている父親の写真が映っていたから、きっと当選したに違いない。
なかなか粋な終わり方。
ついでにその前に観た映画。
2010年の作品。
監督ダーレン・アロノフスキー、出演ナタリー・ポートマン、ヴァンサン・カッセル、ミラ・クニス、バーバラ・ハーシー、ウィノナ・ライダーほか。
ニューヨークのバレエ団に所属するニナ(ナタリー・ポートマン)は、元バレリーナの母とともに、その人生のすべてをダンスに注ぎ込むように生きていた。そんなニナに「白鳥の湖」のプリマを演じるチャンスが巡ってくるが、新人ダンサーのリリー(ミラ・クニス)が現れ、ニナのライバルとなる。
役を争いながらも友情を育む2人だったが、やがてニナは自らの心の闇にのみ込まれていく・・・。
「白鳥の湖」はチャイコフスキー作曲の不朽の名作だが、19世紀の初演時、白鳥と黒鳥は別々のバレリーナによって踊られていたという。しかし、今では一人二役となることが多く、清純な踊りを見せるオデットと、魔性の女オディールの踊り分けるテクニックと表現力が演技者にとっては最大の課題であり、見せ所ともなっている。
その「白鳥の湖」の特徴を巧みに生かし、サイコチックなスリラーにしたのが本作だ。
主演のナタリー・ポートマンといえば、「レオン」(94年)で少女マチルダを演じていた女優。
「レオン」で映画デビューし、当時13歳。その後、「スター・ウォーズ」なんかにも出ていたが、「レオン」のマチルダの鮮烈な印象がいまだに消えずに残っている。
彼女は4歳のころからダンスレッスンを始めているそうで、肝心のバレエの美しいところはプロのバレリーナが踊ってるだろうが、トップに立つプリマドンナとしてダンスを極めようとするあまり、禁断の魔性を持つ“黒鳥”へと変貌していくダンサーを熱演。アカデミー賞主演女優賞を受賞している。
NHKBSで放送していたアメリカ映画「ガンファイターの最後」。
1969年の作品。
原題「DEATH OF A GUNFIGHTER」
監督アラン・スミシー、出演リチャード・ウィドマーク、レナ・ホーン、キャロル・オコナー、ジョン・サクソンほか。
西部の小さな町、コットンウッド・スプリングス。保安官フランク・パッチ(リチャード・ウイドマーク)は、直情径行の正義漢だった。妥協を知らず、20年前の保安官就任以来すべての犯罪を容赦なく罰し、無法の町に繁栄をもたらしたのだった。
だが、鉄道が引かれ、自動車も登場し、次第に近代化していく町にとって、彼のやり方は旧式となり、町の有力者たちは次第に彼を疎ましく思うようになっていった・・・。
ガンファイターとして力づくで悪党どもを退治してきた昔気質の保安官が、近代化をめざすという名のもとに、結局は銃弾によって無残に死んでいく。21世紀になっても銃社会のアメリカらしい映画といえばいえる。
監督のアラン・スミシー。実在しない名前という。
もともと監督は、テレビ西部劇「ボナンザ」などで評判になり抜擢されたロバート・トッテンだったが、撮影中、主演のリチャード・ウィドマークと対立したことから、ドン・シーゲルに交代した。シーゲルとリチャード・ウィドマークは68年に「刑事マディガン」でコンビをくんでいたので、気心を知っていたということがあっただろうが、映画の完成後、「映画の大半はトッテンの監督によるもの」というのでシーゲルは監督として自分の名前をクレジットに入れることを拒否。
そこでアメリカ監督協会は、「アラン・スミシー」という架空の名前をクレジットに使うことを承諾する。
この件をきっかけに、その後しばらくは、何らのトラブルがあった際はアラン・スミシーという架空の名前を使うことになったという。
シーゲルが自分の名前を乗せることを拒否したのはほかにも理由があったみたいで、彼は本作と同じ年にクリント・イーストウッド主演の「マンハッタン無宿」を製作していて、そっちの方で名前を知られたかったのではないか。この映画が2人の初コンビとなって、最大のヒット作「ダーティハリー」(71年)へとつながっていった。