善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「アウトサイダー」ほか

フランス・ラングドック・ルーションの赤ワイン「ル・フルイ・デフォンデュ・ルージュ(LE FRUIT DEFENDU ROUGE)2022」

ドメーヌ・マゼランが南仏のラングドック・ルーションでつくる赤ワイン。

ブドウ品種はサンソー、シラー、グルナッシュ。

「ル・フルイ・デフォンデュ」とはフランス語で「禁断の果実」を意味し、地中海沿岸で広く栽培されている黒ブドウ品種サンソーが栽培されている古い区画が由来とか。

「フルイ」は「古い」ではなく「フルーツ」のこと(念のため)。

ラングドック・ルーションはマルセイユから西、地中海に面しスペイン国境に向かって広がる地域。地中海性気候であるため、一年を通して温暖で、夏は乾燥しているため、ブドウ栽培のみならず野菜や果物も多く栽培されているという。

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたアメリカ映画「アウトサイダー」。

1983年の作品。

原題「THE OUTSIDERS」

監督フランシス・フォード・コッポラ、出演マット・ディロンラルフ・マッチオC・トーマス・ハウエルパトリック・スウェイジロブ・ロウエミリオ・エステベストム・クルーズダイアン・レインほか。

アメリカの小説家S・E・ビントンが大学在学中の18歳のときに発表して全米でベストセラーとなった同名小説が原作。どこにも行き場のない、無鉄砲なんだけどガラスのように繊細な心を持つ少年たちの姿を描いた青春映画。

ちょうど40年前の映画だが、未公開シーンを大幅に加えてサウンドトラックも一新した2005年のディレクターズカット版。

 

オクラホマ州の小さな町タルサでは、貧困層の若者のグループ「グリース」と、富裕層の若者グループ「ソッシュ」が対立していた。

「グリース」のダラス(マット・ディロン)は施設帰りで、常にタフガイとして振る舞っていた。14歳の少年ポニーボーイ(C・トーマス・ハウエル)は両親を失い、兄2人と暮している。ジョニー(ラルフ・マッチオ)は「ソッシュ」のメンバーに殴られたときの傷が残っている。

3人はドライブインシアターに潜り込み、チェリー(ダイアン・レイン)と出会う。彼女は「ソッシュ」の仲間だったが、ポニーボーイたちに興味を持つ。帰り道、「ソッシュ」のメンバーが現れて一触即発となるが、チェリーの仲裁で喧嘩にはならなかった。

ある日、帰りが遅くなったポニーボーイは、長兄にきつく叱られたため家を飛び出し、ジョニーと公園に行く。そこで2人は「ソッシュ」に絡まれ、リンチにかけられたポニーボーイを助けようとしたジョニーが「ソッシュ」のメンバーの1人を刺殺してしまう。

「ほとぼりが覚めるまで町の外にいろ」とのダラスの助言でジョニーとポニーボーイは町から逃げ、古い教会に隠れるが・・・。

 

コッポラ監督が当時売り出し中でのちの大スターたちを起用して映画化した作品。出演したマット・ディロンラルフ・マッチオC・トーマス・ハウエルパトリック・スウェイジロブ・ロウエミリオ・エステベストム・クルーズらはいずれもデビュー間もない新進俳優で、オーディションで選ばれた。

若き日のディカプリオやニコラス・ケイジミッキー・ロークらはオーディションに落ちてしまったとか。

撮影当時、出演した彼らはほとんど20歳になったばかりか10代。紅一点のダイアン・レインも当時まだ18歳だった。

トム・クルーズは“その他大勢”的な役どころだったが、バック転を披露したりしてアクション俳優の片鱗を見せていた。

 

スティーヴィー・ワンダーが歌う主題歌の「ステイ・ゴールド」が美しく、心に響く。

「ステイ・ゴールド」・・・「黄金のままであれ」とは、映画の中で死んでいくジョニーが残した言葉でもある。

この言葉には伏線がある。

ポニーボーイとジョニーが古い教会に隠れているとき、寒さで朝早く目覚めた2人は美しい朝焼けに目を奪われる。そのときポニーボーイはアメリカの詩人ロバート・フロストの詩「Nothing gold can stay」を暗唱して、どんなものもいつかは輝きを失う、黄金のままでいられるものではない、とつぶやく。

そして映画の後半、死んでいくジョニーは「ステイ・ゴールド」の言葉とともに、ポニーボーイらに手紙を残す。

そこには、ゴールドとは少年のような純真な心のことであり、あのとき見た陽の光のような純真無垢の黄金のままでいてほしいというジョニーの願いが綴られていた。

大切な仲間を失ったポニーボーイは、ペンを取って自分たちの物語のタイトルを書き記す。

「The outsiders」

アウトサイダー」というと日本では「社会や組織から外れた人」という意味で使われるが、ほかにも、社会の常識の枠にはまらず独自の価値観や理念を持って行動する人間をも指しているという。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のBSで放送していたイタリア映画「荒野の大活劇」。

1969年の作品。

原題「VIVI, O PREFERIBILMENTE MORTI」

監督ドゥッチオ・テッサリ、出演ジュリアーノ・ジェンマ、ニーノ・ベンヴェヌーティ、アントニオ・カサス、シドニーロームほか。

コメディタッチのドタバタ・マカロニ・ウェスタン

 

賭博好きのせいで借金を背負い、窮地に陥っていたモンティ(ジュリアーノ・ジェンマ)のもとへ、伯父が亡くなったので多額の遺産がもらえるという知らせが届く。ただし、相続には1つだけ条件があり、20年間会っていない疎遠の弟テッド(ニーノ・ベンヴェヌーティ)と半年間一緒に暮らすこと。

かくしてモンティは、長年別々に暮らし、性格もまるで異なる弟に会いに西部へと向かう。久々に再会したテッドは、遺産なんていらないと迷惑がるが、町の悪党一味のせいで無一文となってしまい、仕方なく同居生活を始めることに・・・。

 

ジュリアーノ・ジェンマはマカロニ・ウエスタン「夕陽の用心棒」(1965年)で一躍スターの座に躍り出て、「荒野の1ドル銀貨」(1965年)、「星空の用心棒」「怒りの荒野」(1967年)と出演作が次々とヒットを記録したが、マカロニ・ウェスタンブームが終焉に向かいつつあったころにつくられたのが本作。

ジェンマ自身もマカロニ・ウェスタンとは別の方向への模索を始めていたころらしく、それであえてコメディ調にしたのかもしれないが、以後は社会派作品などに多く出演するようになって彼の日本で最後の劇場公開作品という。

弟役のニーノ・ベンヴェヌーティは、ミドル級王座を3度防衛し、世界王座に君臨していたプロボクシングの現役チャンピオン。

ジェンマとのスタントアクションを楽しむ映画だった。

 

民放のBSで放送していたイタリア・フランス・西ドイツ・スペイン合作の映画「ダーティー・セブン」。

1972年の作品。

原題「UNA RAGIONE PER VIVERE E UNA PER MORIRE」

監督トニーノ・ヴァレリ、出演ジェームズ・コバーンテリー・サバラス、バッド・スペンサーほか。

1972年に製作されたマカロニ・ウェスタンだが、日本ではもうブームは去ったのか、劇場未公開。

 

南北戦争さなかの1862年北軍のペンブローク大佐(ジェームズ・コバーン)は、ニューメキシコにあるホフマン砦で部隊の指揮をとっていたが、独断で南軍に砦を明け渡したため処分を受け、隠れるようにして生活していた。

街で泥棒の容疑で捕まったペンブロークは、旧知の北軍の指揮官と再会。その指揮官はペンブロークに砦を取り戻す任務を与える。

しかし、難攻不落の砦の攻略は困難と考えた指揮官は、兵ではなく、これから死刑を執行する予定の死刑囚を連れていっていいと伝え、ペンブロークは5人の死刑囚と、旧知の部下1人とともに砦攻略に向かう。

山岳地帯にあるホフマン砦は、冷酷非道な南軍のウォード少佐(テリー・サバラス)によって要塞と化し、彼は広大な土地を自分のものにして悪辣の限りを尽くしていた。

果たして、死刑になるはずだった凶悪犯を引き連れて、砦を取り戻すことはできるのか・・・?

 

邦題は「ダーティー・セブン」だが、原題は「UNA RAGIONE PER VIVERE E UNA PER MORIRE(イタリア語)、REASON TO LIVE, A REASON TO DIE(英語)」で、意味は「生きる理由、死ぬ理由」。

なぜ邦題が「ダーティー・セブン」となったかというと、マカロニ・ウェスタンが大ブームとなったのは1964年の「荒野の用心棒」がきっかけで、主演はハリウッド俳優のクリント・イーストウッドだった。彼はアメリカではテレビ映画の「ローハイド」に出ていたものの知名度はまだそれほどではなかった。イタリアに渡ってつくった「荒野の用心棒」で一気にブレイク。さらに彼の人気を決定づけたのがハリウッドに凱旋してからの作品「ダーティーハリー」シリーズで、第1作がつくられたのが1971年。

題名に「ダーティー」を入れればイーストウッドマカロニ・ウェスタンというので受けるのでは?と目論んだのだろうか。いずれにしろ、安易につけられたタイトルだ。

しかし、原題が意味する「生きる理由、死ぬ理由」はかなり深い意味が込められている。それは、一度は南軍に砦を明け渡したペンブローク大佐がなぜ砦奪還に向かおうとしたのか、そこには彼にとっての「生きる理由、死ぬ理由」があるからであり、死刑執行直前の犯罪者たちがペンブロークと行動を共にしたのも、彼らなりの「生きる理由、死ぬ理由」があったからだ。原題の意味を知って映画を見ていくと、また違った見方ができるのだった。