善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「ゴーストライター」「メメント」ほか

アルゼンチンの赤ワイン「ロ・タンゴ・マルベック(LO TENGO MALBEC)2022」

(写真はこのあと牛焼肉)

創業120年のアルゼンチンを代表するワイナリー、ボデガ・ノートンの赤ワイン。

「タンゴ」を踊る美しいラベルで知られる。

アルゼンチンの代表品種であるマルベック100%で、柔らかな口当たり。

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたフランス・ドイツ・イギリス合作の映画「ゴーストライター」。

2010年の作品。

原題「THE GHOST WRITER」

監督ロマン・ポランスキー、出演ユアン・マクレガーピアース・ブロスナンキム・キャトラルオリヴィア・ウィリアムズほか。

イギリスの元首相アダム・ラング(ピアース・ブロスナン)の自伝執筆を依頼されたゴーストライターの男(ユアン・マクレガー)が、ラングが滞在するアメリ東海岸の孤島を訪れる。

彼の前任者には不可解な死をとげた別のゴーストライターがいたが、そのゴーストライターが書いた初稿を元に、ラング本人にインタビューしながら原稿を書き進めていくうち、次第にラングの過去に違和感を抱くようになる。

しかも、ゴーストライターが島に着いた直後から、ブッシュ政権下のアメリカが起こしたイラク戦争の最中に首相だったラングが、イスラム過激派の容疑者をアメリカのスパイ組織CIAに引き渡して違法に拷問させていた疑いが発覚し、マスコミが騒ぎ立て始めていた。

ゴーストライターが独自に調べていくと、ラングは大学生のころからCIAの協力者になっていた疑いが出てきた。何とイギリスの首相は長年CIAの手先として働いていたのか?

国家を揺るがすような秘密に触れたゴーストライターは・・・。

 

原作はイギリスの作家ロバート・ハリスの小説「ゴーストライター」。映画ではハリス自身と監督のポランスキーが脚本を担当した。

ハリスは作家であるとともにジャーナリスト、政治評論家でもあり、政治的な事柄を扱いながらも史実とフィクションを融合させて、世に警鐘を鳴らすポリティカル・フィクションを得意としているという。

ポリティカル・フィクションと聞くと難しそうだが、トルストイの「戦争と平和」、ジョージ・オーウェルの「1984年」、小松左京の「日本沈没」はいずれも世の中の愚かしい動きを批判し風刺するポリティカル・フィクションといわれる。

小説「ゴーストライター」が出版された当時、前首相として登場するラングは、実在の前首相トニー・ブレアではないかとマスコミで騒がれた。実は作者のハリス本人、この小説はブレアの政治に対する怒りに触発されたと述べていて、彼をモデルにしたのは間違いがなさそうだ。

実際、2003年にブッシュ政権が「イラク大量破壊兵器が隠されている」として軍事侵攻を開始したとき、ブレア首相はいち早くアメリカに賛同してイラクに軍隊を送った。

アメリカのいいなりになって動いたブレア首相のこの行為はのちのちまで強い批判を受け、2022年の新年の叙勲で「ガーター勲章」を受けてナイト爵となったブレア元英首相の爵位を剥奪するよう求める署名運動が展開されるほどとなっている。

署名運動では、イラク戦争への参戦を決めたブレア氏には多くの死者に対する責任があり、「戦争犯罪」に当たると非難している。

映画で元首相ラングを「CIAの協力者」として描いているのは、まさしくブレア元首相のアメリカ追随の行為への強い批判の意味を込めているに違いない。

それでも、多少は元首相に敬意を表してか、ラング役には二枚目俳優のピアース・ブロスナンをあてていて、ラングの暗殺シーンをあっさりと描いて死に顔を見せてないのも配慮のあらわれだろうか。

それでもアメリカCIAの手先の元首相役をイギリス情報部MI6のジェームズ・ボンドピアース・ブロスナン)にやらせるというのも、かなり皮肉が込められている。

 

作品の評価は別にして監督ロマン・ポランスキーの映画づくりはさすがにうまい。

冒頭からして、カーフェリーが口を開けて岸壁に近づくところから始まり、車が次々と船から下りていって、最後に残ったのは乗り手のいない1台のBMW。次のシーンで、砂浜に打ち上げられた男の死体が遠景から映し出される。

ゴーストライターが海べりをサイクリングしていると、暗い窓の中から老人(イーライ・ウォラック)の顔が浮かび上がり、不可解な死をとげたゴーストライターの前任者について語り出す。

死んだ前任者の遺品からラングの過去についての手がかりを得たゴーストライターが、前任者が乗っていたBMWで街に出ると、カーナビが記憶しているままに前任者が最後に行ったルートをたどり始める・・・。

サスペンスタッチで、ゾクゾクする展開だった。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のBSで放送していたアメリカ映画「メメント」。

2000年の作品。

原題「MEMENTO」

監督・脚本クリストファー・ノーラン、出演ガイ・ピアーズ、キャリー=アン・モスジョー・パントリアーノ、ジョージャ・フォックスほか。

保険会社の調査員をしていたレナード(ガイ・ピアーズ)は、ある日、自宅に押し入った何者かに妻を強姦され殺害された現場を目撃し、犯人の1人を射殺するが、犯人の仲間に突き飛ばされ外傷を受け、記憶が10分間しかもたない前向性健忘になってしまう。

復讐のために犯人探しを始めたレナードは、覚えておくべきことをメモすることによって自身のハンデを克服し、目的を果たそうとする。出会った人物や訪れた場所はポラロイドカメラで撮影して写真にメモを書き添え、重要なことは自身の体にタトゥーを彫って記憶を繋ぎ止める。しかし、それでもなお目まぐるしく変化する周囲の環境には対応し切れず、困惑して疑心暗鬼にかられていく。
果たして本当に信用できる人物は誰なのか。真実は一体何なのか・・・?

 

時系列が逆向きに進行するという奇想天外な構成が評判を呼び、インディーズ映画として製作され封切り当時11館だった上映劇場が500館以上に拡大し、10週目にして全米チャート8位にランクイン。本作が2作目の新鋭クリストファー・ノーランの名前を知らしめ、アカデミー賞脚本賞編集賞にノミネートされる。

 

この映画を観ていて、連想したのが小川洋子作の小説「博士の愛した数式」だった。

交通事故による脳の損傷で、記憶が80分しか持続しない前向性健忘になってしまった元数学者の「博士」と、彼の新しい家政婦である「私」とその息子「ルート」の心の触れ合いを美しい数式とともに描いた心に残る作品だ。

妻殺しの犯人を探す復讐劇の「メメント」とは趣がまるで違うが、「メメント」で主人公は体にタトゥーを施したり、ポロライドで撮った写真にメモしたりしていたのに対して、「博士の・・・」では短冊のような紙に書いたメモを上着のあちこちにぶら下げていて、どこか描き方が似てる。

そのため、「博士の・・・」は「メメント」のアイデアをパクって書かれた小説という人もいるらしい。

たしかに、「博士の・・・」の初出は「新潮」の2003年7月号だが、「メメント」の公開はアメリカで2000年9月、日本で2001年11月。「博士の・・・」の作者は「メメント」からヒントを得て小説の執筆にあたった可能性はたしかにあるだろう。

しかし、だとしてもあの小説でいいたかったのは記憶が80分しかもたないということよりも、数学をこよなく愛した男と母子の心の交流の物語であり、記憶よりも大事なものがあるよと教えてくれる小説だった。

それに、前向性健忘を扱った小説としては1999年に北川歩実の「透明な一日」(創元推理文庫)があり、「博士の・・・」の作者がヒントにするとしたらこっちのほうかもしれない。

「透明な一日」は前向性健忘症になった科学者を巡る物語。交通事故の外傷により前向性健忘症になり、記憶が30分しかもたなくなって、けさの食事も、つい先刻の来客のことすら忘れてしまって、やがてそれが殺人事件に絡んでいく・・・というミステリー小説だ。

 

一方、「メメント」にも元ネタがあり、それは監督のクリストファー・ノーランの弟のジョナサン・ノーランから提供されたアイデアだったという。

クリストファー・ノーランは1970年の生まれで、弟のジョナサン・ノーランは1976年生まれだから6つ違い。兄はロンドンの大学を出て、イギリスで映画づくりをしていた。そのころ弟はアメリカの大学で学んでいて、心理学の授業で前向性健忘症について講義を受けて物語のアイデアを思いつく。兄のクリストファーにそのアイデアを売り込み、作品づくりが始まる。弟が書いた下書きを元に、兄は脚本を書き、弟は短編小説を完成させる。

映画は2000年に「MEMENTO」の題名で公開され、小説はアメリカの男性誌エスクァイア」の2001年1月号に「MEMENTO MORI」と題して掲載される。

MEMENTO MORI」とは、ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」「人に訪れる死を忘ることなかれ」といった意味の警句だそうだ。

 

民放のBSで放送していたイタリア、スペイン合作の映画「情無用のコルト」。

1965年の作品。

原題「ALL'OMBRA DI UNA COLT」

監督ジョヴァンニ(ジャンニ)・グリマルディ、出演スティーヴン・フォーサイス、コンラード・サンマルティンフランコ・レッセル、ヘルガ・リーネほか。

イタリアの映画製作者が主にスペインなどヨーロッパの荒野で撮影してつくるイタリア製西部劇、いわゆるマカロニ・ウェスタンのハシリのころの作品で、初老のベテランと若手ガンマンが織り成す人間ドラマ。

 

若きスティーブ(スティーヴン・フォーサイス)と熟年のデューク(コンラード・サンマルティン)は凄腕の用心棒二人組で、メキシコの村を襲った山賊一味を見事に退治して大金を得るが、デュークは深手を負ってしまう。

自分の金を娘のスーザンに渡すようスティーブに託すデューク。スティーブはそのスーザンと結ばれ、新天地で農場を営もうとするが、そこは悪党どもが支配する腐った街だった。

そして、金と娘を奪われたと激高するデュークは、スティーブとの決闘に臨む・・・。

 

最初につくられたマカロニ・ウェスタンは1963年、セルジオ・コルブッチ監督の「グランドキャニオンの大虐殺」(日本では劇場未公開。ロバート・ミッチャムの息子のジェームズ・ミッチャム主演)といわれる。

その後、セルジオ・レオーネが1964年、ハリウッドから引っ張ってきたクリント・イーストウッド主演の「荒野の用心棒」を製作。黒澤明監督の「用心棒」(1961年)を許可も得ないで勝手にリメイク、つまり盗作した作品だったが、翌年アメリカで公開されて大ヒットし、マカロニ・ウェスタンに火がつく。

本作は「荒野の用心棒」とほぼ同時期につくられている。しかし、「荒野の用心棒」は日本でも大人気となっていたが、本作はまるで知らない作品だった(日本では1968年に劇場公開されている)。

ちなみに、マカロニ・ウェスタンが日本に輸入され始めたとき、西部劇の本場アメリカでは、イタリア製西部劇を「スパゲッティ・ウェスタン」と呼んでいたそうだ。蔑称の意味も込められていたのだろう。

「荒野の用心棒」が1965年に日本で公開されたとき、映画評論家の淀川長治が「スパゲッティでは細くてヒョロヒョロしていてかわいそう」というので「マカロニ」に呼び変えたというエピソードが残っている。