善福寺公園めぐり

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マイクル・コナリー「正義の弧」と「ブルームーン」

マイクル・コナリー「正義の弧」(講談社文庫・上下巻、訳・古沢嘉通)を読む。

原題「DESERT STAR」

長年のファンであるマイクル・コナリーが著した37冊目のミステリー長編。ロサンゼルス市警未解決事件班担当刑事レネイ・バラード&退職した刑事でとっくに70歳をすぎたはずのハリー・ボッシュ・コンビの第4弾。

2022年のロサンゼルス。未解決事件班の責任者になったバラードはボッシュをチームに引き入れる。
優先すべきは約30年前の女子高校生殺人事件だったが、ボッシュは夫婦と子ども2人が残忍に殺され砂漠に埋められた一家殺害事件に没頭して、なかなかいうことを聞かない。

ボッシュにとってこの事件は現役時代に捜査に当たるも未解決だった事件で、何としても自らの手で解決したいと執念を燃やしていたのだった・・・。

 

70すぎのボッシュは、長年の経験を買われて彼への信頼が厚いバラードからの要請でボランディアという形でロサンゼルス市警未解決事件班に加わるが、相変わらずの独断専行型の捜査に、管理職の立場のバラードは手を焼く。しかし、昔ながらのボッシュのカンと足で駆けずり回る捜査が真犯人をあぶり出していく。

といっても、怪しいヤツをつかまえて力づくで犯行を自供させるような旧態依然とした犯罪小説とはまるで違う。あくまで物的証拠を得るための科学捜査が基本であり、証拠品の収集にしても、法律にもとづき厳正な手続きにより行われる様子が克明に描かれている。

科学捜査に徹しつつも、そこはボッシュだけにいかにも彼らしい少々強引なところもあるが、辛酸をなめてきた老刑事ゆえのひらめきが冴えるところがミステリーのおもしろさであり、最後は一気に物語の核心へと突き進んでいく。

ただ、ボッシュは昔の捜査で放射性物質セシウムに被曝して慢性白血病になり、療法を受けているが、処方された薬は進行を遅らせただけで今では骨髄に転移している、とのくだりがあり、今後どうなるのか気になるのだが・・・。

著者のマイクル・コナリーは1956年フィラデルフィア生まれ。ロサンゼルス・タイムズ元記者。代表作としてはボッシュ・シリーズ、リンカーン弁護士シリーズがあり、当代随一のストーリーテラーといわれる。2023年、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)グランド・マスター・アワード(巨匠賞)を受賞。

 

訳者の古沢嘉通さんもコナリー作品の大半を翻訳しているだけあって丁寧な訳で、「なるほど」と思うところもいくつか。

たとえば、ボッシュが被害者の遺族宅を訪問して帰ろうとしたとき、「これで失礼します」というセリフに「アイ・キャン・ゲット・アウト・オブ・ユア・ヘア(I can get out of your hair)」というルビがふられていた。

しかし、ドアを開けようとすると遺族である被害者の母親が末期のがんで余命幾ばくもなく、抗がん剤のおかげで髪の毛が抜けていたことを知ったボッシュは「I can get out of your hair」といったことが失言とわかり、自分を恥じるのだった。

「I can get out of your hair」は「髪を触らない、髪から遠ざかる」という意味もあって「もう邪魔しません」というときの慣用句でもあるのだが、直訳すれば「あなたの髪の毛を引っこ抜けます」となり、がん治療の後遺症に苦しむ人にいうべき言葉ではないと悟ったのだった。

「髪は命」というのは日本もアメリカも変わらないようだが、この文脈からも、犯罪被害者への気持ちを大事にするボッシュの人柄が見て取れる。

 

ボッシュの好きな音楽の話も散りばめられていているが、聞いたことのないバーボン・ウイスキーの銘柄が出てきて気になった。

ボッシュは捜査のためフロリダに向かい、キーウェスト島のバーでバーボンを飲むが、「ミクターズとカーネル・テイラー、それにブラントンが少し残っている」と聞いて「ブラントンをストレートで」と注文する。

「ブラントン」は1984年、“バーボンウイスキーの聖地”とされるケンタッキーの州都・フランクフォートの市制200年を記念して誕生した比較的新しいバーボン・ウイスキー

約8年かけて熟成された原酒を、それぞれの樽ごとに瓶詰めする「シングルバレルバーボン」であり、ケンタッキーダービーの騎手と馬を冠したキャップでも知られているとか。ボッシュのまねしてストレートで飲んでみたくなった。

 

そのバーでマスターから容疑者の足取りを聞くうち、アイルランド出身のその容疑者が「ディヴィー・バーンズ」という偽名を名乗っていることを知る。

しかし、マスターによれば偽名であることは明白で、なぜなら「ディヴィー・バーンズ」はジェームズ・ジョイスの小説「ユリシーズ」に出てくるパブの名前だという。

その文脈を読んで思い出した。

9年前の夏、アイルランドを旅行したときダブリンでパブ巡りをして、1889年創業というその店に入ったことがある。たしかに「ユリシーズ」にこの店が登場していて、主人公のブルームがここで赤ワインのバーガンディとゴルゴンゾーラサンドイッチを注文したという。

(写真は2014年8月の拙ブログより)

本を読んでいると、そんな昔のことも思い出されて懐かしくなる。

 

「めったにないことだった」とのセリフの「めったにないこと」に「ワンス・イン・ア・ブルー・ムーン(once in a blue moon)」とルビがふられていた。

直訳すると「ある青い月のときに」となってしまうが、英語圏での慣用表現では「めったにないこと」となる。

なぜなのか?

「blue moon」とは単に「青い月」の意味ではなく、「めったにあらわれない満月」を意味する。

月はほぼ1カ月のサイクルで満ち欠けを繰り返すので、満月が見られるのも月に1回。しかし、月の満ち欠けは厳密には約29・5日のサイクルなので、平均30・4日の1カ月との間に微妙にズレが生じ、約2年半に一度の割合で1カ月の中で満月が2度あらわれることがある。

特に昔のような農耕社会では、月の満ち欠けは重要な関心事だった。春分夏至秋分冬至を境にした約3カ月ごとの季節区分があったのも農耕の目安として必要だったからだ。その季節区分の中で、ふつうは季節ごとに3つの満月があり、アメリカの農事暦ではそれぞれ名前をつけて呼ぶ習慣があった。ところが、2年半に一度、1つの季節に4度の満月が見られるときがあり、4回満月あったときの3番目の満月を「ブルームーン」と呼ぶようになったという。

なぜ3番目かというと、通常、3つの満月は1番目、2番目、3番目と数えず、1番目、2番目、最後の満月、と数えていたためで、昔の人はまさか4番目があるとは思いもよらず、それで3番目を最後の満月としたのかもしれない。最後の満月の前の「名無しの満月」に与えられた名前が「ブルームーン」だったが、いつしか「めったにないこと」のたとえとして「ブルームーン」がいい伝えられ、定着していったようだ。

ではなぜ「名無しの満月」が「ブルームーン」と呼ばれるようになったのか?

その点ははっきりしていないが、NASA(米航空宇宙局)は、1833年インドネシアの火山島クラカタウで大噴火があり、大気中の灰により月が青く見えたことがきっかけになった可能性があると述べていて、その火山噴火から時を経て、月の2度目に昇る満月がブルームーンとして知られるようになったといわれているそうだ。

むろん、そうした災害がなくても月が青く見えることはありうる。太陽光を反射して起こるため満月に限らず、ブルームーンよりさらに珍しい現象といわれる。

そういえば日本ではその昔「月がとっても青いから、遠回りして帰ろう」と歌う歌謡曲があったが(1955年、歌は菅原都々子)、あれは恋人との別れを悲しむ歌だった。

 

ちなみに今年の「青い月」、ブルームーンは日本では今月の8月31日に見られる。しかもこの日の月は、月と地球との距離がもっとも接近するタイミングで発生するスーパームーンなので、スーパーブルームーンということになる。