善福寺公園めぐり

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〈記憶〉をめぐる冒険「ミン・スーが犯した幾千もの罪」

トム・リン「ミン・スーが犯した幾千もの罪」(鈴木美朋・訳、集英社文庫

原題「 The Thousand Crimes of Ming Tsu」

中国系アメリカ人のガンマンが主役の異色の西部劇小説。

大陸横断鉄道完成間近のアメリカ西部。妻エイダを奪われ、不当な罪を着せられた中国人移民の殺し屋ミン・スーは、予知能力を持つ老人の言葉に導かれ、奇術ショーの一座と共に西を目指して旅を続ける。

妻を取り戻すため、自分を陥れた連中への復讐を果たしながらの苛酷な旅路。終着地カリフォルニアで彼を待ち受ける未来は、救いか、それとも・・・?

 

作者のトム・リンは1996年に北京で生まれ、4歳のとき家族とともにニューヨークのクイーンズ区フラッシングに移住。本作がデビュー作で、カリフォルニア大学デービス校で英語の博士課程在籍中の2021年、25歳のときに発表した作品という。

 

基本は容赦なく殺戮を繰り返す復讐の物語。

中国系移民のミン・スーは妻のエイダを奪われ、判事によって有罪にされて10年間にわたる大陸横断鉄道敷設の強制労働を課せられる。

当時、東海岸から伸びてきた大陸横断鉄道(ユニオン・パシフィック鉄道)はユタ準州の首都ソルトレイク・シティの北方にあるコリン駅までしかなくて、彼はそこで最初の敵を倒す。残りの敵はカリフォルニアにいるので、大陸を横切る過酷な旅が始まる。

ともに旅をするメンメンがかなり変わっている。

目が見えず、過去に起こったことはたちまち忘れてしまうものの、それゆえに未来を見通すことのできる百発百中の予知能力を持つ中国人の預言者

未来のことはわからないが、人の記憶を消す力を持っているナヴァホ族の男。彼は、今を生き延びるために過去の怨恨や悲しみを消し去ってくれる。

聞くことも話すこともできないが、テレパシーで会話ができる少年。

一瞬だけ目の前の人間と入れ替わることができる全身が象形文字のような刺青で覆われた異教徒の男。

火をつけても燃えない“炎女”と呼ばれる美女。

 

この小説のテーマは、差別され、虐げられた中国人ガンマンの復讐劇というより、「記憶」にある気がする。

主人公のミン・スーにはおぞましい過去があり、それが記憶として脳裏に刻まれていて、旅の途中にも繰り返し、その記憶が蘇ってくる。

しかし、記憶とは過去のものであるがゆえに次第に薄れていくものでもある。実際、彼の記憶の中にある最愛の人で、復讐の理由にもなった妻エルダの記憶は、次第に薄れていき、どんな顔だったかさえも、はっきりしなくなっていく。

彼にとって過去の記憶とは、自分が復讐を決意し、今を生きていこうとする「よすが」になっているはずなのだが、肝心なその記憶が薄れていくということは、自分のアイデンティティも失われていくのではないかと思い悩む。その一方で、忘れるということは忌まわしい過去からの自由につながっているのかもしれない。

 

こんな記述があった。

日没から月の出までは、マツの森は真っ暗で足元がでこぼこしているので、ミンは地面に座って手さぐりで背嚢の中身をひとつひとつ取り出した。ひんやりした鉄の感触はリボルバーの銃身だ。節のある真鍮の筒は望遠鏡。冷たくごつごつした鉛の塊。角製の火薬入れは両手でひっくり返すと雨に似た音がする。不意に、ある記憶がよみがえった。家の軒に落ちる雨音、暖炉で燃える炎、そのそばで暖を取っているエイダ。ミンは火薬入れを耳に近づけて目を閉じ、もう一度ひっくり返して音を聞いたが、今度は灰色のぼやけた人の形しか浮かばなかった。さらにもう一度、火薬入れをひっくり返すと、軒に落ちる雨音が聞こえたが、記憶に入り込もうとしても、頭のなかに浮かぶ部屋は冷たい空気に溶けてしまった。目をあけて、凍えるような夜気のなかへ白い息を吐いた。手のなかにまだ火薬入れがあった。それを置いたとき、またさらさらという音が聞こえたが、今度は火薬の粉が流れる音にすぎなかった。

ひとりでに戻ってくる記憶などない。

 

別の箇所でこんな記述があった。

旅の途中、ともに旅する男たちと焚火を囲みながら、預言者が低い声で歌っていた。

「その歌はなんだ?」と一人が聞くと、「古い挽歌だ」という。

「挽歌ってなんだ?」

「死者のための歌だ」

「歌詞はないのか?」

預言者はかぶりを振った。

「長い長い年月のあいだに、どんな歌も歌詞は忘れ去られる。いずれ歌そのものすら忘れられるだろう。歌詞も旋律もない歌は夢となり、なぜかうっすらと頭のなかに居座りつづける。かつて歌だったものの記憶があるだけだ」

 

さらに「記憶」についての問答が続く。

預言者はいう。

「過去をほんとうに覚えている人間などいない。覚えていると思っているのは勘違いだ。記憶とは心ではなく体が運ぶものだ。ほんとうの記憶とは、思い出すことではない。実行される儀式のことだ」

「現在も繰り返し実行される過去。儀式。習慣。ほんとうの記憶は、心に触れることのできない場所に記録される。人間は誤って記憶することがある。嘘をつくことがある。だが、体は忘れない。忘れるすべがない」預言者はしなびた腕をのばして袖をまくり、手首に蜘蛛の巣が巻きついているような白い傷痕を見せた。「肉を鉄でこすられた痕だ」ぼそぼそと言った。「わたしの体は、わたし自身は覚えていないのに、鎖につながれていたころのことを覚えている」

 

そして再び「挽歌」の話に戻る。

「挽歌はただ歌われることに意味がある。歌詞を忘れ去られても意味がある。それでも歌われるのだから。旋律が忘れ去られても意味がある。かつて歌われていたのだから」預言者は立ちあがり、焚火を囲んでいる男たちに、見えない目を向けた。「とにもかくにも、歌うことは働くことで、生きている者は働くことによってのみ死者の影を思い出す。記憶とはそういうことだ」