善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

八月の狂詩曲(ラプソディー)

今月の初めごろ、おそらく8月9日の前後だったと思うが、NHKBSで放送していた黒澤明監督の「八月の狂詩曲(ラプソディー)」を観る。

「影武者」以降の晩年の黒澤作品にはあまり共感を覚えなかった。それでこの映画も公開当時は観なかったが、胸に迫る映画だった。映像的にも美しく、劇場で観なかったのが悔やまれた。

1991年公開。主人公の老婆を村瀬幸子、孫を吉岡秀隆ら、ハワイに渡った老婆の兄の息子をリチャード・ギア。原作は村田喜代子の「鍋の中」。

原爆投下から40数年がたった夏休み、長崎から少し離れた山村に住む鉦(村瀬幸子)の家に4人の孫たちがやってきた。
ハワイに渡った鉦の兄がパイナップルかなんかの事業に成功し、大富豪になったというので鉦の息子と娘が鉦に代わってハワイに会いに行き、その間、孫たちは鉦の元を訪れていたのだ。
都会の生活に慣れた孫たちは田舎の生活に退屈を覚えながらも、原爆投下の惨状や鉦が話す昔話を聞くうち、戦争に対する考えを深めていく……。

物語は孫(吉岡秀隆)が弾く調子の外れたオルガンの音から始まる。孫は「このオルガン、きっと直してみせるよ」という。

鉦の夫(つまり孫たちにとっては祖父)は小学校の教員で、あの日、学校で亡くなった。
その学校が登場する。校庭には焼けただれたジャングルジムがあって、映画の最後のクレジットには撮影協力の場所として南大浦小学校とあった。

老婆役の村瀬幸子の演技がすばらしい。
しかし、老婆は物語の進行とともにだんだん幻想の世界へと入っていく。
いや、それは時計を巻き戻している感じにも見えた。
戦後何十年たって平和な日本。しかし、かつて日本には戦争があり、何百万、何十万もの罪のない人々が戦争や原爆によって殺されたんだよ、その記憶をなくしてはいけないよ、ということを伝えるために、老婆は次第に過去に戻っていくのだ。

映画の最後にシューベルトの「野ばら」が少年少女合唱団によって歌われるが、まさに平和の象徴があの「野ばら」の歌声だろう。

長崎への原爆投下の日、小さなお堂で般若心経を読み上げる人々のかたわらに真っ赤なバラの花が咲いていて、アリが行列を作って地面から茎、花へと登っていく。
あれはバラという平和への旅をいいたかったのか、平和を無残にも打ち砕いた原爆と戦争への道に二度と戻ってはいけないよ、といいたかったのか。

(ちなみに、アリの行列の技術?指導をしたのは昆虫学者で京都工芸繊維大学教授の山岡亮平氏で、そのときの苦労を「アリはなぜ一列に歩くか」という著書で述べている) 

映画の最後、あの恐ろしい原爆投下の記憶を呼び戻した鉦は、豪雨の中、家の外へと走り出す。
そのとき、調律が狂ったオルガンは直り、正しいメロディーを取り戻して「野ばら」の歌が響く。
美しい歌声の中、風にあおられて傘が逆さになりながらも走り続ける老婆の姿で映画は終わる。

語らずとも雄弁に、原爆投下という無差別殺戮の罪深さを告発する映画だった。