善福寺公園めぐり

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東松山のやきとり うまさとルーツを探る

酒飲みの友人を誘って、埼玉県東松山市のやきとり屋をめぐる。

きっかけは1日付の朝日夕刊の記事だった。

東松山が「やきとりの聖地」と紹介されていて、記事を読んで行きたくなった。

たしか10数年ほど前のゴールデンウィークに、友人たちと東松山のあたりにハイキングに行き、下山後は東武東上線東松山駅の4つ先にある小川町駅近くの「花和楽の湯」という温泉に入った。入浴後、生ビールとともに食べたのが東松山のやきとりで、とてもおいしかった記憶があった。

何でも日本全国にやきとり屋は数々あれど、北海道の美唄市室蘭市福島市愛媛県今治市山口県長門市、福岡県久留米市と並んで、東松山市は「日本七大やきりとりのまち」の1つという。

別のデータでは、「日本三大やきとりのまち」と呼ばれるのが室蘭、今治、そして東松山なんだそうだ。

東松山のやきとりのうまさに感動して、翌年も近くにハイキングに出かけ、やはり同じ温泉に入って東松山のやきとりを食べようとしたら、なぜかメニューになくてガッカリしたものだった。

それから10数年の歳月が流れ、初めての“聖地”訪問となった。

 

東武東上線東松山駅で下車し、東口を出る。

なかなか立派な駅。午後5時少し前だったが、人は少ない。

東松山はなぜ東松山なのかというと、もともと松山という地名があり、1333年に築城された松山城は戦国時代、難攻不落の城として知られていたという。

時をへて、周辺の町や村が合併して「松山市」ができることになったが、「松山市」とすると四国・愛媛の松山市と混同する恐れがある、というので「東の松山」、すなわち「東松山市」となったのだそうだ。

 

駅前にあったのは「梶田隆章先生 ノーベル物理学賞受賞記念碑」。

ニュートリノ研究で2015年にノーベル物理学賞を受賞した物理学者の梶田隆章氏は東松山市の生まれで、東松山市立の小・中学校を卒業した生粋の“東松山っ子”だったようだ。

 

「じっくり煮込んだもつ煮」の無人直売所があった。税込みで1個1000円。

やきとり屋や書店などが並ぶ「ぼたん通り」。

東松山駅の周辺を中心に、市内には40軒以上ものやきとり屋があるという。

 

歩道にはなぜかテントウシ虫やクワガタなんかの昆虫のイラスト。

 

最初に行ったのが、創業53年という「とくのや」。

カウンターだけのこじんまりした店で、焼き場では炭火のほのおが赤々としていた。

まずは生ビール。

おやじさんがやきとりを焼き始める。

まず出てくるのが串に刺した2本のやきとり。

これに辛めの“みそだれ”をつけて食べるのが定法だそうだ。

この街のやときりとは鶏(とり)ではなくブタのカシラ肉を使っている。つまり、正確には“やきとん”で、ヤキトリではなくて平仮名の「やきとり」と書く。

ブタの頭のコメカミからほおの部分をカシラ肉と呼ぶらしい。

炭火で焼かれたブタのカシラ肉は、かみしめるほどに深い味と風味が口の中にジワジワ~と広がる。

肉の間にネギが挟まっていて、トリのヤキトリでいえば“ねぎま”にあたる。

ヤキトリの味を引き立てるのが“みそだれ”だろう。゛

白みそをベースに、ニンニク、唐辛子など10数種類のスパイスを各店が独自の配合でブレンドしているのだそうだ。

いわば3つの味のハーモニーとでもいおうか。独特の歯ごたえのあるカシラ肉のうま味に加えてネギの甘さ、ピリッと辛いみそのハーモニーが絶妙にからみ合った味、それが東松山のやきとりの特徴のようだ。

また、ブタのカシラ肉は鶏肉に比べて脂肪が少なく、炭火で焼くことで風味が増していることもあるだろう。

 

もちろんカシラ肉だけでなく、タンやレバー、つくねなどのメニューもある。

炭火焼きの油揚も美味。

 

それにしても、なぜ東松山がやきとりの“聖地”になったのか。

店のおやじさんの話を聞いて、その理由がわかった。

東松山のやきとりが誕生したのは昭和30年(1955年)代にさかのぼるが、このあたりには朝鮮出身の人が多く住んでいたらしい。

当時、カシラ肉はホルモンなどと同様にあまり食肉としては使われず、ハムやウインナーなどの加工食品の材料として使われていたという。これを何とかおいしく食べられないかと朝鮮出身の人たちが工夫して、屋体で焼いて客に供するようにしたのが始まりという。

豚肉にコチュジャン(唐辛子みそ)などの辛いたれをつけるのは朝鮮で昔からの食べ方だ。

つまり、東松山のやきとりに欠かせない“みそだれ”のルーツはコチュジャンであり、在日の人々の食の知恵により生み出されたのが、東松山のやきとりの味なのだ。

 

そういえば東松山市の近くには、「高麗(こま)」の地名が残る地域があるが、このあたりにはかつて朝鮮半島に存在していた高句麗の滅亡後、海を渡ってやってきた高句麗人たちが多く住んだという。霊亀2年(716年)には関東地方に住んでいた高句麗人1799人が武蔵国に集められて高麗郡ができた、と「続日本紀」に書かれている。

百済が滅亡したときにも4000から5000人の百済人が日本に亡命したというから、その少なからずは武蔵国にもやってきていたかもしれない。

さらに、軍国主義の日本が朝鮮を支配していた時代には、労働力として、強制連行の形で無理やり日本に連れてこられた人たちも多かったに違いない。

強制連行された朝鮮人労働者の数は、さまざまな研究から70万~80万人といわれている。

終戦までに日本にいた朝鮮人の数は約210万人に達していたという。朝鮮半島の解放後、1947年末までには約140万人が帰還したといわれているから、残りの70万人は日本に永住する道を選んだ(あるいは選ばざるをえなかった)のだろう。

そんな在日の人たちが、安くておいしく食べる工夫の結果として生み出したのが東松山のやきとり。そうと知って食べると、ますます深い味わいが口中に広がっていく。

 

赤ちょうちんが客を呼んでいる。

 

2軒目に行った「若松屋

黙っているといくらでも焼き立てを出してくるから、満腹になったら「そやろそろけっこう」といわないといけないらしい。

やきとりに合うのはチューハイ。

 

3軒目は駅前にあった「ひびき東松山駅前本店」

やきとり以外にもいろんなメニューがあるが、どれも安そう。

ぼんじりにナンコツ。

やっぱりみそだれをたっぷり。

カツオたたきも新鮮だった。

結局、4時間ほどやきとり屋をハシゴし、いい気分で帰宅したのは深夜になっていた。