チリの赤ワイン「モンテス・リミテッド・セレクション・カベルネ・カルメネール(MONTES LIMITED SELECTION CABERNET CARMENERE)2020」
(写真はこのあと牛ステーキ)
カベルネ・ソーヴィニヨン(70%)とカルメネール(30%)をブレンドした、果実味のある飲みやすいワイン。
カルメネールはフランスのボルドー地方原産の赤ワイン用ブドウ品種だが、現在フランスではほとんど栽培されておらず、世界で最大の栽培面積を誇る国はチリとなっている。栽培条件が適合していたのだろうか。
ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたアメリカ映画「恋におちたシェイクスピア」。
1998年の作品。
監督ジョン・マッデン、出演ジョセフ・ファインズ、グウィネス・パルトロウ、ジュディ・デンチほか。
若き日のシェイクスピアの秘められた恋の行方を、虚実織り混ぜながら描いた恋愛歴史劇。
16世紀末のロンドン。人気劇作家シェイクスピアはスランプに陥っていた。ある日、彼の新作のオーディションにトマスと名乗る若者がやって来る。実はトマスは、裕福な商人の娘ヴァイオラが女人禁制の舞台に立つために男装した姿だった。
逃げるように去ったトマスの後を追って商人の屋敷に潜り込んだシェイクスピアは、そこでヴァイオラと出会い恋に落ちる。しかし彼女にはすでに親によって定められた婚約者がいた。燃え上がる恋心に創作意欲を刺激され、新作「ロミオとジュリエット」を書き上げていくシェイクスピアだったが・・・。
アカデミー賞で作品賞など7部門を受賞。
シェイクスピアの戯曲からのセリフが随所に散りばめられ、まるっきりのフィクションなのに妙にリアリティがある。
当時のイギリス演劇では女性は舞台に立つことを禁じられていて、少年俳優が女形を演じていた。そこにヒロインが男装してオーディションにやってくるところからシェークスピアとヒロインの恋物語が始まる。
女性が舞台に立つことが禁じられたのは、ちょうどシェイクスピアが活躍したエリザベス朝(女王エリザベス1世在位期間1558~1603年)時代。女性の参加が解禁されたのは王政復古のチャールズ2世の時代(在位期間1660~1685年)からというから、シェイクスピアの死後だいぶたってからだ。
なぜ女性は舞台に立てなかったかというと、根拠とされたのは聖書だった。
「新約聖書」の「コリントの信徒への手紙」にある「教会では婦人たちは黙っていなさい。婦人たちには語ることを許されません。何か知りたいことがあったら家で夫に聞きなさい」という文言を根拠に、女性は教会の中だけでなく、人前で発言したり歌ったりすることが禁じられていたという。さらに、女性がその体を男性に見せることは売春行為と同じとされていたという。
「ロミオとジュリエット」のジュリエットとか「ハムレット」のオフィーリアは誰が演じたかというと少年俳優たちだった。ジュリエットのような可憐なヒロインばかりでなく、母親や乳母といった年配女性の役も少年たちが扮したという。
しかし、この時代、男が女方(おやま)を演じていたのはヨーロッパではイギリスぐらいなもので、イタリアやフランスでは女優が舞台に立っていたというから、こと演劇に関してイギリスはかなり後進的な国だったようだ。
それ以前の、古代ギリシア劇の時代のころは女優は認められず、男だけが演じてきていて、そこには女性の社会的、宗教的地位の低さが関係していたと思われる。しかし、ルネッサンス以降、女性は女性が演じてこそリアリティを表現できるという合理的精神や平等思想が広まるにつれ、イタリアやフランスなどでは女優が舞台に立つのが当たり前になっていたのだ。
ちなみに日本では、歌舞伎の創始者は阿国という女性なのに、女歌舞伎は1629年(寛永6)に、風紀を乱すというので禁止され、以後は男が女方を演じるようになり、変わらないままに今日に至っている。
能狂言についても、室町期に成立した当時から女優の存在はなく、すべて男が演じていて、これも今に至っている。
歌舞伎や能狂言は、リアリティを追及するというより、形とか型を重視するというか様式美こそ大事と思ったので、男が女を演じることにそれほど違和感がなかったからだろうか。
歌舞伎の場合、女方が演じる形の美しさは本物の女性以上に美しいともいわれる。長年にわたる役者の努力と研鑽が今日の女方の芸を築いたといえるだろう。
シェイクスピアの時代、男が女を演じて、シェイクスピア自身はどんな思いでいたのだろうか?
シェイスピアはむしろそれを逆手にとるような芝居もつくっている。
「十二夜」という作品があるが、女性が男装する物語だ。少年が女性を装い、その女性がまた男性を装うというややこしい物語で、シェイクスピアは、女性が女性を演じられない不合理・不自然さを嘲笑うような作品に仕立てたのだろうか。