きのうは三月大歌舞伎・第2部の「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)河内山」と「芝浜革財布(しばはまのかわざいふ)」を観るため歌舞伎座へ。
「河内山」は仁左衛門、「芝浜革財布」は菊五郎と、歌舞伎の大二枚看板の出演。
先月の二月大歌舞伎では、第3部の「鼠小僧次郎吉」を観にいったら、歌舞伎座に向かっている途中に新型コロナ感染による中止を知り、無駄足を踏んでしまった。
今回はそんなことのないよう、昼の段階で松竹のホームページを確認した上で出かけていったら、劇場入口に仁左衛門の休演と代役のお知らせが張ってあった。
えーっ!仁左衛門観たさに行ったのに、休演なんて大大大大大ダイ~~~ガッカリ。
何でも前日から体調の異変を訴えていて、きのうの終演後すぐにかかりつけの大学病院で精密検査を受けたという。きのうの段階ではすぐに命に関わるようなことではないとのことだったが、体調不良の原因を探るべく、もろもろ検査を進めており、しばらく休演するという。
ということはコロナに感染したわけでもなさそうだが、だとしたら余計に心配。年齢的にも77歳という年だし、このところ毎月歌舞伎の舞台に立って熱演を続けていて、その疲れがたまったのか。
一日も早い回復を祈るばかりだ。
気を取り直して代役による「河内山」を観る。
主役の河内山宗俊は仁左衛門から、きのうまで高木小左衛門をやっていた歌六に、高木小左衛門の役はきのうまで大橋伊織役だった阪東亀蔵に、大橋伊織役は仁左衛門の弟子の片岡孝志に変更されていた。
ところが、急きょ当日になって代役が決まったからだろうか、高木小左衛門役の亀蔵のセリフがまるで出てこない。プロンプターの声の方が大きくて、亀蔵は何をいってるかまるでわからない。河内山宗俊の歌六もセリフがボソボソ。
何とも聞いていて痛々しくなるほどの「河内山」となった。
これではとても恥ずかしくて、金をとって見せる舞台じゃない。
仁左衛門の急な病気休演なので許すしかないが・・・。
後半の「芝浜革財布」は、菊五郎と時蔵の息のあった演技に魅了された。
ある朝、大酒飲みで怠け癖のある魚屋の政五郎(菊五郎)は、芝浜海岸で大金入りの革財布を拾う。しめたとばかりに仲間を集めて酒盛りを始めたものの、酔い潰れて寝てしまうが、目を覚ますと事態は一変。女房おたつ(時蔵)に夢を見ていたのだと諭された政五郎は禁酒を誓うと、一念発起して仕事に励むが・・・、というお話。
落語の世界を歌舞伎に移した世話狂言。江戸っ子気質の政五郎としっかり者の女房おたつの姿を通して、庶民の暮らしの哀歓や夫婦の情愛を描き出し、笑いの中にほろりとした情が描かれている。
もともと幕末から明治にかけての落語家、三遊亭円朝の三題噺が原作という。三題噺とは寄席で客から3つの「お題」をもらい、それらを絡めてその場でつくる即興の落語のこと。ある日のテーマが「酔漢」「財布」「芝浜」で、円朝は即興でこの噺をつくったという。
しかし、今日のような内容になったのは第二次世界大戦後で、三代目桂三木助が作家や学者の意見を取り入れて改作。現在広く演じられているような夫婦の情愛を温かく描く人情噺になったといわれている。
菊五郎は、女房から夢だといわれてその気になるぐらいだから、頼りなげな亭主の役を見事に演じていた。声もわざと若くしているようだった。役になりきるとはこのことだろう。
女房役の時蔵は手なれている。実は前日、朝日新聞のオンラインイベントで時蔵が出演して「女形の心」を語るトーク番組を見ていたので、余計に親近感を持って時蔵の芝居を観た。
番組の中で時蔵は、庶民のおかみさんのときは庶民っぽさを出すため髪を赤くする、というようなことをいっていたが、ホントに髪が赤っぽくて、そういうところまで気をつかっているのかと感心した。
芝居がはねたあとは、四谷で途中下車して「嘉賓」という中華料理の店へ。
「カキソース和えソバ」が有名な店だ。
生ビールのあとは紹興酒を瓶ごともらう。
食べたものはいろいろ。
シメはうわさのカキソース和えソバ。
見た目はソバしかない。たぐってみても具は一切なくソバだけでいたってシンプル(厳密にはネギが少~しだけ入っているがほとんどわからない)。
麺は細くて、一見すると九州棒ラーメンかマルちゃんラーメンに似ている。
ツユはなく、油そばみたいにみえるが、油で炒めずに和えているので油っぽさはない。
不思議な食感のそばだった。