善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「春のソナタ」他

チリの赤ワイン「モンテス・クラシック・シリーズ・メルロ(MONTES CLASSIC SERIES MERLOT)2020」f:id:macchi105:20220118090147j:plain

ワイナリーは、ブドウを持ちグラスを掲げるエンジェルがシンボルマークのモンテス。

生産地はチリのセントラル・ヴァレー、ラペル・ヴァレー、コルチャグア・ヴァレー。

ブドウ品種はメルロとカルメネール。

まろやかで飲みやすいワイン。

 

ワインの友で観たのは民放のBSで放送していたフランス映画「春のソナタ」。

1990年の作品。

原題は「CONTE DE PRINTEMPS」。「春の物語」という意味らしい。

監督エリック・ロメール、出演アンヌ・ティセードル、フロランス・ダレルほか

 

偶然出会った2人の女性が周囲の人々をも巻き込んで織りなす微妙な恋愛心理を春のパリを舞台に描くドラマ。エリック・ロメール監督による「四季の物語」シリーズの第一作にあたるという。

 

高校の哲学教師のジャンヌ(アンヌ・ティセードル)は、自分の部屋は田舎から試験のためパリにきているいとこの女性に貸していて、その女性が兵役中の恋人とすごしていることを知ってもう少し貸したままにする。一方、同居中の彼氏は旅行中で、彼氏のいない部屋で一人すごすのも気が進まず、行き場を失った形となっている。

そんなとき、たまたま行った大学時代の友だちの家でのパーティーで、ピアノ科の学生のナターシャ(フロランス・ダレル)と知り合い、彼女が一人で住む父イゴール(ユーグ・ケステル)の広いアパートに寝泊まりすることになる。

イゴールは6年前にナターシャの母である妻と離婚し、今はナターシャとあまり年の変わらない愛人エーヴ(エロワーズ・ベネット)と暮らしていて、ナターシャはエーヴを嫌っていた。

ナターシャは、むしろ父親と年が近いジャンヌのほうが父にふさわしいと思い、2人を近づけようとするのだが・・・。

 

冒頭に流れる音楽はベートーヴェンの「ヴァイオリン・ソナタ第5番《春》」(別名スプリング・ソナタ)で、邦訳のタイトルはここからきているようだ。

ナターシャがピアノを弾くシーンもあり、曲はシューマンの「夜明けの歌」、そしてカセットテープから流れるのはナターシャが演奏するシューマンの「交響的練習曲」。

ジャンヌ、ナターシャ、エーヴの女3人とナターシャの父親のイゴールとの会話が主に物語が進んでいくのだが、カントの「超越論的観念論」とか、ヘーゲルニーチェといった哲学者の理論がポンポンと飛び出し、実に理屈っぽい展開。

映画に出てくるどの部屋にも立派な本棚があって、ハードカバーの分厚い本がぎっしり並んでいるが、どれも哲学の本だろうか。

そいうえば主人公のジャンヌは高校の哲学教師。日本の高校には哲学なんて科目はないが、フランスは哲学の国なんだなと妙に納得させられる映画だった。

 

ヨーロッパでは、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルは高校で哲学を学ぶことが義務づけられているという。

フランスの高校生は「バカロレア」と呼ばれる高校教育修了を認証する国家試験に合格しないと卒業ができないとされているが、この「バカロレア」の初日に出されるのが哲学の問題。たとえば2021年の一般バカロレアの哲学の問題は次のようなものだったという。

 

次の4つのうち1問を選んで答えよ
-Discuter, est-ce renoncer à la violence ?
(議論することは暴力を放棄することか?)
-L’inconscient échappe-t-il à toute forme de connaissance ?
(無意識は、すべての形の認識を逃れるか?)
-Sommes-nous responsables de l’avenir ?
(私たちは、未来に対して責任があるか?)
-Texte d’Émile Durkheim issu de La Division du travail social,1893
エミール・デュルケーム『社会分業論』(1893年)の抜粋テキストを解説せよ)

 

ちなみに、この問題が出た21年のバカロレアの合格率は90・5%だそうだから、フライスの高校生にとって哲学の問題はさほど難しいものでもないのだろう。

高校で哲学をみっちり学んでいるから、フランス人はこと恋愛に関しても、あの映画のように哲学を語るのだろうか。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のBSで放送していたアメリカ・オーストラリア合作の映画「オーストラリア」

2008年の作品。

監督:バズ・ラーマン、出演ニコール・キッドマンヒュー・ジャックマンデヴィッド・ウェンハム、ブライアン・ブラウンほか。

 

太平洋戦争が始まろうとしていたオーストラリア。英国貴族レディ・サラ・アシュレイ(ニコール・キッドマン)は行方不明の夫を追ってオーストラリアへやってくるが、夫はすでに死んでいて、残されたのは広大な土地と1500頭の牛だった。

野性的なカウボーイ(ヒュー・ジャックマン)と、牧場の使用人の息子で白人とアボリジニのハーフでもあるナラという少年と出会った彼女は、相続した牧場と家畜を守るため、彼らの力を借りて家畜を引き連れ北部のダーウィンめざして大陸横断の旅に出る。

しかし、彼女の前には戦争を利用して一儲けをたくらむ大地主キング・カーニー(ブライアン・ブラウン)が立ちはだかり、太平洋戦争の開戦とともに日本軍が攻めてきて・・・。

 

この映画で描かれているのも、アメリカの西部開拓史同様、先住民であるアボリジニの土地をヨーロッパからの白人入植者たちが奪い、先住民たちは必至の抵抗も虚しくほかの地域へ追いやられてった歴史だった。

長く抑圧されてきたアボリジニの市民権が認められたのは1967年、先住権が認められて元々のアボリジニ居住地域の所有権が認められたのは、ようやく1993年になってからだという(アボリジニについてのWikipediaより)。