善福寺公園めぐり

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仁左衛門・玉三郎 桜姫東文章/下の巻

歌舞伎座六月大歌舞伎第2部「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう) 下の巻」を観る。

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清玄と釣鐘権助2役(実際は最後にちょっとだけ出る桜姫の許嫁、大友常陸之助頼国の3役)の片岡仁左衛門、白菊丸と桜姫2役の板東玉三郎という、36年ぶりの共演による四世鶴屋南北作「桜姫東文章」。4月の「上の巻」に続いて下の巻。

 

客席は満員(コロナ感染予防のため前後左右を空けた席及び2席並びの席配置になっているが)。圧倒的に女性が多い。平日の昼間ということもあるだろうが、仁左・玉人気は何といっても女性が中心だろう。切符の売り出し初日に「満員御礼」となったという。

 

36年ぶりというが、仁左・玉の両人の若さは変わらない。いやむしろ、円熟したことでより若さに磨きがかかったといえようか。

南北の作品らしく、見どころは清玄・桜姫、権助・桜姫の2度の殺しの場面。殺しが「美」となって、いいところになると拍手喝采

権助が殺される場面で、スラリと伸びた仁左衛門の足の美しさ。ナマ足の見事さでは仁左衛門が歌舞伎界随一ではないか。

 

あらすじは・・・。

鎌倉・長谷寺の所化(修行中の僧)清玄は稚児白菊丸と道ならぬ恋に落ち、互いの名を刻んだ香箱を蓋と箱の片方ずつ持ち心中しようとするが、清玄だけが死にきれずに生き残ってしまう。その17年後。吉田家の息女桜姫が、父と弟を殺されたうえ御家の重宝まで奪われ、出家したいと寺へやってくる。高僧となっていた清玄がその願いを聞き入れて念仏を唱え出すと、生まれてからずっと握ったままだった桜姫の左手が開いてポロリと香箱が落ち、清玄は桜姫が白菊丸の生まれ変わりと悟る。

出家しようと剃髪を待つ桜姫のもとに現れたのは釣鐘権助。実は権助は以前吉田家の屋敷に忍び込み、御家の重宝を奪った上、桜姫を犯して子まで産ませた男だった。ところが、その権助に恋してしまったのが桜姫。権助との再会に出家の意志が薄れた桜姫は自ら身を委ねるが、それが露見して不義者として捕えられる。しかし、うまい具合に権助は逃げ出し、濡れ衣で不義の相手の罪をきせられた清玄は、寺から追い出さてしまう。

桜姫の子を託された清玄と、わが子を探す桜姫。2人は真っ暗闇の中をさまよいながらすれ違っていく。

 

と、ここまでが上の巻。続いて下の巻。

 

今は病み衰えてしまった清玄は、弟子の残月と、桜姫に仕えていた局の長浦夫婦の住む庵室に身を寄せているが、欲に目がくらんだ2人に無理やり毒を飲まされそうになり、ついには首を絞められて死んでしまう。

清玄の始末を請け負ってあらわれたのが権助。人買いに連れてこられた桜姫と再会すると、権助を一途に慕う桜姫の気持ちは変わっておらず、2人は夫婦となる。しかし、権助に桜姫を愛する気持ちなどなく、彼女を小塚っ原に女郎として売り飛ばそうと話をつけに出かけていく。すると、死んだはずの清玄が落雷により蘇生。桜姫を見て口説き始め、心中しようと言い寄り、争ううち、出刃が清玄の喉を貫いてついに息絶えてしまう。

女郎になるため桜姫が権助に連れられて出かけていこうとすると、あらわれたのは清玄の幽霊。さらには権助の面差しが、清玄そっくりに片頬が紫色に変わっていくのを見た桜姫、もはや「毒を食らわば(皿までも)」と、わが身にからみつく因果の流れに身をまかせてしまおうと思うまでになる。

場末の遊女屋で女郎となった桜姫は、育ちのよさと、権助をまねて彫った腕の釣鐘の入れ墨が風鈴のように見えるので「風鈴お姫」と呼ばれるようになるが、やがて、実は清玄と権助は実の兄弟であり、家の没落も、父や弟の死も、権助の仕業と知った瞬間、元のお姫さまに戻るのだった・・・。

 

この芝居は輪廻転生と因果応報の物語だった。

心中しようとして死んだ白菊丸の生まれ変わりが桜姫であり、実は兄弟とわかった清玄と権助も、舞台の上で清玄から権助へ、権助から清玄へと“生まれ変わり”を繰り返していく。

人間は果てしなく続く輪廻転生を繰り返しながら、因果応報の苦しみを受け続けるというが、桜姫は一度肌を許した権助に惚れてしまったゆえに女郎にまで落ちていき、高貴なはずの清玄は破戒堕落の僧となって桜姫を追い求めて転落していき、ついには幽霊となる。

悪の道をひた走る権助もまた、社会の底辺をしぶとく、ふてぶてしく生きていくが(そこがまた桜姫がひかれるところだろうが)、最後はお姫さまに戻った桜姫に殺されてしまう。

ただし、輪廻転生も因果応報も、一筋縄ではいかないのが南北の作品だ。

この作品の初演は文化14年(1817年)で、江戸の町民文化の爛熟期。江戸初期のどちらかというと貴族的雅びが中心の元禄文化に比べ、綱紀もゆるみ風俗頽廃の享楽的傾向が強い江戸の庶民文化が発達した時期であり、そんな世相を反映してか、南北の描く世界は残酷・非情・狂気・怨念が支配する奇怪の世界。

桜姫と清玄、権助が、ドロドロの三角関係となってさまざまに絡み合い、見ているうちに何が善で何が悪なのかわからなくなる。

しかも清玄と権助、一方は落ちぶれたとはいえ元は高僧で、一方は勝手放題のヤクザ者。両極端なのだが、根っこのところは同じ、と南北はいいたかったのか。仁左衛門一人二役でやっているだけになおさら迫真力があった。

結局のところ、自分の欲望のままに生きていくのが人間というものなのだ、と南北はいいたかったのだろうか。

 

江戸時代という封建制度のもとで女はひどい扱いを受けている。女を蔑み、慰みものにしたり、人身売買で売り飛ばすのもふつうの世の中にあって、この芝居では結局のところ殺されるのは清玄であり、権助であり、生き残って元のお姫さまとして「再生」するのは桜姫ただ一人。

このあたりにも時代を皮肉な目で見つめる南北らしさが感じられ、どこか現代社会にも通じるようなところがあるのかもしれない。