善福寺公園めぐり

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「家」より「夫婦愛」 心中宵庚申

半蔵門国立劇場小劇場で5月文楽公演第1部の「心中宵庚申」。

本来なら9月4日が初日だったが、緊急事態宣言により公演が中止となり、12日が初日だった。

久々の文楽。幕が開くなり生の舞台の醍醐味がジワジワーッと伝わってきて、明日への活力をもらった感じがした。

 

出演は義太夫が千歳太夫、呂勢太夫、藤太夫、希太夫ほか。三味線は富助、清治、團七ほか。人形遣いは勘十郎、玉男、文司ほか。

 

半兵衛の玉男、意地悪婆さんの文司、いずれもよかったが、やはりすばらしかったのが、お千代の勘十郎。人形に魂が宿ってるとはこのことか。

4月に引退を発表した師匠簑助の芸を見事に受け継いでいる。

 

義太夫の千歳太夫は、何をいってるのか半分わからない。するとどうしても眠くなる。

呂勢太夫は比較的わかる。

一番、日本語がしっかりしてたのが藤太夫。やはり芝居というのは、何をいってるのかわからなければ興味が半減してしまう。

そういえば藤太夫(桐竹藤太夫)の前名を竹本文字久太夫といって、師匠は亡くなった竹本住太夫だった。

生前、住太夫が語った言葉を思い出す。

「私は、字幕を見てもわからんような語りをするなと怒るんです。死語になっている言葉はあっても、お客が想像つくような文章を語って、誰が出てきて、どういう場面かわからせないきまへん。上手、下手はそれからです」

太夫は師匠の教えをしっかりと守って、言葉を大事にしているのだろう。

 

「心中宵庚申」は近松門左衛門の最晩年の作品。

題名にもある通り、クリスマス・イブと同じで庚申の日の前夜、心中する男女の物語。

だが、心中物というと、お初徳兵衛とかお花半七、お半長右衛門など、遊女と手代、あるいは遊女と職人、若い娘と女房持ちの中年男といったように結ばれぬ同士の悲恋の果てというのが通り相場だが、「心中宵庚申」は夫婦の心中がテーマだ。

 

何で夫婦が心中しなければいけなかったのか。

大坂・新靫(しんうつぼ)油掛町の八百屋半兵衛は、以前は武士だったが事情があって町人の養子となった男。父の墓参のため故郷の浜松へ向かった帰り、妻の実家に立ち寄ったところ、そこに女房お千代がいるので驚く。

話を聞くと、自分の留守中に姑に離縁されて戻されたのだという。よほど反りが合わないのか、姑はお千代を嫌っていて、「姑去り」といって姑の権限で嫁に離縁を申し渡したのだった。

むろん半兵衛はお千代と分かれる気持ちなどサラサラない。そこでお千代の父に誓って、お千代を大坂へ連れ戻す。

しかし、姑はお千代を家へ入れようとしない。義理の関係とはいえ親である姑と愛する妻、さらには妻の父親との約束の板ばさみとなった半兵衛。

ついに4月5日の宵庚申の夜、お千代を連れて今の天王寺区生玉にある大仏勧進所に向かい、そこでお千代のおなかの中にいる子の供養をしたのち、心中を遂げたのだった。

 

悲劇ではあるが、夫婦愛を貫こうとするお千代半兵衛が描かれている。

あの時代、何より優先されたのは「家」であり「親への孝行」だっただろう。

姑が本人を差し置いて嫁に離縁を申し渡す「姑去り」が当然とされたのも、お家大事で家父長制の封建制度ゆえのことだ。しかも半兵衛には、養子にさせてもらったという養父母への義理もある。

しかし、半兵衛は、家中心、親への孝行・義理は当然とするしきたりに抗議する形で、愛を全うしようとしたのだった。

 

この話は実際にあった心中事件を元に描かれていて、1722年(享保7年、前年との説もある)の宵庚申の夜、生玉の大仏勧進所近くで油掛町(大阪市西区靭本町)の八百屋半兵衛と妻のお千代が心中した事件を題材にしたもの。

元の門左衛門の台本(床本)ではお千代はお千世と書いて「おちよ」と読ませているが、二人の名前も半兵衛の職業も住所も心中した場所もまったく一緒。まさに実録ものの人形浄瑠璃だった。

大坂・竹本座で初演されたのが心中事件があった年の4月22日。ということは事件から2週間ほどで劇化し、上演したことになる。同じ心中事件を豊竹座でも「心中二ツ腹帯」(紀海音・作)と題して上演していて、こちらは近松作により前に上演したという。

江戸時代は「仮名手本忠臣蔵」を始めとして実際にあった事件をドラマ化する例は多いが、「心中宵庚申」はニュース速報も兼ねていた感じか。何しろテレビもラジオも新聞もない時代(瓦版はあっただろうが)。心中物とあってはなおさらのこと、ウワサ好きの人々がわんさか押しかけてきたに違いない。

 

ちなみに、お千代半兵衛の墓(比翼塚)は大阪市天王寺区生玉寺町の銀山寺にあり、墓石には「一蓮托生 声応貞現信女 通月融心信士 離身童子」と刻まれているという。

また、同寺には2006年に亡くなった文楽人形遣い、先代の吉田玉男の墓もある。玉男はお千代・半兵衛の比翼塚が同寺にあるのを知って生前、この場所に墓地を購入していたという。

 

コロナ対応のため第3部を早く終わらせるためか第1部の開演が10時45分。まるで江戸時代の歌舞伎・文楽みたいに朝からスタートし、終演が午後1時すぎ。

劇場近くのヤキトリ屋「お㐂樂」で焼鳥丼。f:id:macchi105:20210515114633j:plain

もちろんお酒はなし。