善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+MET「蝶々夫人」&マーラー「復活」

チリの赤ワイン「モンテス・リミテッド・セレクション・ピノ・ノワール(MONTES LIMITED SELECTION PINOT NOIR)2018」f:id:macchi105:20200713135525j:plain

南北に細長いチリは16の州に区分されていて、かつて各州は名前とは別に割り当てられていたローマ数字が用いられるのが一般的だったという。

このワインのブドウ産地は5番目の第Ⅴ州、バルパライソ州のアコンカグア・コースト。アンデス山脈にあり南米最高峰の山、アコンカグア(標高6960・8m)の麓に広がっていて、冷涼な気候と花崗岩、粘土質の土壌から生み出されるワインはピノ・ノワールらしいエレガンスとクリーミーさを備えたスタイルが特徴だそうだ。

 

ワインの友で視聴したのはニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)でのオペラ「蝶々夫人」。

新型コロナウイルス感染予防対策のため世界中の劇場が閉鎖され、公演キャンセルが続いているが、少しでも音楽に親しんでもらおうと各劇場や楽団によるオンラインでの配信が行われている。

METでは毎晩1作、「Nightly Met Opera Streams」と題して過去にMETライブビューイングで公開された作品の無料の映像配信を行っていて、きのうの日曜日は去年秋に上演した「蝶々夫人」。これは必見と視聴。

 

蝶々夫人」はプッチーニ作曲で1904年に初演。「トスカ」を発表してから次のオペラの題材を探していたプッチーニは、1900年にロンドンでアメリカの劇作家デヴィッド・ベラスコ戯曲の「蝶々夫人」を見た。英語で上映されたため詳しい内容はわからなかったが、蝶々さんにいたく魅了されてオペラ化を思い立ち、日本の俗謡や童謡、民謡なども巧みに散りばめた作品を完成させたという。

 

指揮ピエール・ジョルジョ・モランディ、出演ホイ・ヘー、ブルース・スレッジ、パウロ・ジョット 、エリザベス・ドゥショングほか。領事のシャープレス役は当初プラシド・ドミンゴが出演を予定したが、降板によりパウロ・ジョットが代役をつとめた。

蝶々夫人役のホイ・ヘーは中国出身のソプラノ歌手で、ほとんど出ずっぱりのすばらしい歌声と迫真の演技。

舞台演出がなかなかエキゾチックで、演出のアンソニー・ミンゲラは映画『イングリッシュ・ペイシェント』の監督だそうだ。

簡素ながらもカラフルで、照明や障子、ステージの頭上に吊るされた鏡などを生かした斬新な舞台演出だった。ただし、衣裳は和洋折衷というか和洋中ゴチャマゼのヘンテコな衣裳だったが。

提灯が舞う中でのピンカートンと蝶々さんの二重唱には思わずうっとりして涙腺がゆるんでしまった。

折り鶴が群れ飛んだり、文楽の三人遣いを模した人形なんかもおもしろかった。日本の歌舞伎でおなじみの黒衣も活躍していて、カーテンコールでは顔を出してあいさつし、拍手喝采を受けていた。

 

劇中、「宮さん宮さん」とか「さくらさくら」「お江戸日本橋」さらには「君が代」、アメリカの国歌まで出てきて、日本が舞台だったこともあり親しみやすいオペラだった。

 

続いては、録画しておいたNHKプレミアムシアターのグスターボ・ドゥダメル指揮ミュンヘン・フィルによるマーラーの「交響曲第2番 復活」を視聴。

 

これがまたすばらしい演奏だった。

会場は20世紀初頭に建築されたバルセロナカタルーニャ音楽堂で、2019年6月27日のライヴ演奏。

独唱はチェン・ライス(ソプラノ)とタマーラ・マンフォード(メゾソプラノ)。合唱はカタルーニャ合唱団、カタルーニャ音楽堂室内合唱団。

 

1時間を超える大曲だが、飽きることなくぐんぐんと引き込まれていく。古典と現代音楽をつなぐような旋律に聞こえた。

 

ドゥダメルベネズエラ出身の39歳。なかなか躍動的な指揮ぶりだった。

今年(2020年)の秋、ロンドン交響楽団サイモン・ラトル指揮によるマーラーの「復活」の公演が予定されていて、聴きに行く計画をしていたが、コロナにより公演中止となり残念に思っていただけに、少しは救われた思い。いや、むしろますますナマの演奏を聴きたくなってしまった・・・。

 

いつも見るコンサートの映像と違って、今回はやけに指揮者や演奏者のドアップが多い。そんなにドゥダメルの顔を画面いっぱいにしなくても・・と思うほどだったが、それで気になったのが演奏者がいずれも結婚指輪を右手薬指にはめていたこと。

オヤ?結婚指輪って普通は左手薬指じゃなかったの?と思ったが、あとで調べたら、ドイツとかオーストリア、さらにはロシア、ポーランドブルガリアなどでは結婚指輪を右手にはめる習慣があるんだそうだ。

国民性、あるいは宗教観の違いなんだろうか。