善福寺公園めぐり

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文楽の歴史

倉田喜弘『文楽の歴史』(岩波現代文庫)を読む。

人形浄瑠璃文楽)は古くは「操(あやつり)」、あるいは「操芝居」といわれ、「人形浄瑠璃」という名称が一般化するのは明治以降だという。さらに、「文楽」の呼び名も、上演する座が複数あったのが「文楽座」のみが残ったためだとか。
もともとは太夫(今は大夫という)と人形だけで上演されていて、三味線はなかったのだという。しかし、三味線が加わったことで、その表現は飛躍的な広がりを持つことになった。

本書を読んでいて「へーっ」と思ったのは江戸前期の太夫、加賀掾という人の次の言葉。
浄瑠璃に師匠なし。ただ謡を親と心得べし」
えっ? 浄瑠璃って謡(うたい)から分かれたものなの? と思ったが、この点について本書では触れられていないものの、調べてみたらどうもそうでもなさそうだ。

邦楽のうち「声楽」の2大系統として「歌い物」と「語り物」がある。「語り物」とは物語に節を付けて語り聞かせるもので、琵琶法師が琵琶の伴奏に合わせて平家物語を物語る「平曲(へいきょく)」が最古ともいわれる。
琵琶法師によって語られる「平曲」が大流行するのが鎌倉時代初期のことで、徐々に題材を増やしていく。やがて長者の娘浄瑠璃御前と牛若丸との恋物語を語る「浄瑠璃姫物語」が人気を博して、これを浄瑠璃と呼ぶようになった。それが人形芝居と結びついたのが人形浄瑠璃だという。

他方、社寺の祭礼などで行われていた田楽・猿楽に、演劇的要素を加えて人気になったのが田楽能と猿楽能だ。猿楽能は鎌倉時代後期から室町時代初頭、観阿弥世阿弥父子により優れた楽劇「能楽」として芸術的に大成し、足利義満の庇護のもと、武家社会で愛好されるようになった。能の声楽部分にあたるのが謡である。
ということはつまり、人形浄瑠璃と謡とではかなり出自が違うはずだが、加賀掾は「謡を親と心得べし」といっている。

どうやら加賀掾は、人形浄瑠璃は歌舞伎なんかより数段エライんだよ、高尚なんだよ、ということをいいたかったらしい。人形浄瑠璃は格の高い能(謡)と同等かそれに準じる立派な芸能であり、「大衆芸能」とかの言葉で一括りしてほしくない、という気持ちがあったのだろうか?

その証拠にというか、加賀掾の「掾(じょう)」とは何か?
掾とはもともと、日本の律令制四等官のうち三等官を指すのだという。これが転じて、朝廷から出入の商人や刀匠、浄瑠璃の芸人などに対して、その技芸を顕彰する意味で下賜された官名が掾であり、いまも残存しているのは浄瑠璃における掾号だという。

戦前までは天皇家から「受領」されていたが、明治以降は宮家から与えられていて、戦後を見ても昭和22年(1947年)に2代目豊竹古靱太夫秩父宮家から山城少掾を、31年(1956年)には4代目吉田文五郎が東久邇家から難波掾を「受領」している。
なお、掾には「大掾」「小掾」「掾」の3のランクがあり、一番上の位が「大掾」。

明治の終わりごろから、文楽は歌舞伎と同じように松竹が経営していたが、その「格式の高さ」というか“融通”の効かなさが災いしたのか、文楽の方は経営的にはなかなかうまくいかず、1962年、ついに松竹は経営から手を引いてしまう。「伝統芸能」をこのまま潰しちゃイカンというわけで、国、大阪府・市、NHKなどが相談して、文楽協会が設立されて今日に至っている。
つまり、文楽は、出発点は同じ庶民の芸能であっても、一般受けする歌舞伎とは違う歴史を歩んできたというわけなのだろう。いい悪いは別にして。

話は本書に戻って、もともとは太夫と人形だけだったのが三味線が加わり、表現方法に広がりを持つようになって、文楽はかなり変わっていったようだ。

その1つ、明和8年(1771)正月に上演された近松半二の『妹背山婦女庭訓』で、作曲した初代鶴沢文蔵(?-文化3年[1806年])はこれまでに例のないフシを作り上げた。
それは、語尾を延々と引く産字(うみじ)で、うおぅ~う~う~とうなる義太夫独特の節回しだ。

産字を引く技法は、それより12年後の『伊賀越道中双六』「沼津の段」(天明3年[1783年])でも使われていて、語り出しの「東路(あずまじ)に、ここも名高き」の「き」は、フシを53回も変える旋律になっていて、53回とはすなわち東海道五十三次を表しているのだとか。うーむ、なかなかシャレタ演出。

そういえば、来月9月の国立劇場文楽公演は『伊賀越道中双六』の全段通し公演だ。「ここも名高き~」を聴くのがますます楽しみになってきた。

それから、文楽のサワリの部分で女形、特に簑助の「後振(うしろぶ)り」(正面を向いて演技をしていた人形が、クルリと回って背中を見せて情感を表現する手法)がいつ見ても美しいが、この後振りも「産字の技術がなければ生まれない」と筆者は言っている。
これも、「沼津の段」で娘お米(簑助)の「後振り」が今から楽しみだ。