善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

日本のタコ学

タコが好きだ。もちろん食べることに関してだが、魚屋やスーパーで生のタコが手に入ったらしっかり揉んでサッと茹でて(茹で時間が重要)刺身にして食べる。酢に通しておくと数日間は楽しめる。

最近よく目にするのはミズダコ(1匹は巨大だからぶつ切りにして売っている)。以前はマダコぐらいの
大きさのタコが1匹まるごと売られていたが、最近あまり目にしない。不漁なのか、買う人がいないからか?

韓国・釜山の「タコ鍋」もおいしかった。
「元祖ハルメチッ」という店で食べた「ナクチポックン」というタコ料理。「ナクチ」が「テナガダコ」、「ポックン」は「炒める」の意味だそうだが、炒めるというより煮るという感じで、あの味がいまだに忘れられない。

そんなわけで『日本のタコ学』という本の題名をみて、さっそく手にした。
編著者は奥谷喬司氏、東海大学出版会刊。

タコの分類から生態、進化、分布など、タコにまつわる話が満載。巻末にはわが国近海に生息するタコの「図鑑」まで載っている。

いろんな学者が執筆しているが、タコよりイカの専門家、という人が多い。「親戚」つながりでタコの研究もしているようだが、タコの研究だけではメシも食えないし、研究テーマとしての面白みも足りないのだろうか?

タコ学を専門にしているという人の、この道に入った理由も「任期付きの博士研究員の契約期間が残り半分となり、危うく職を失うというときに北海道の公務員試験に合格して、赴任地として着任した水産試験場で割り当てられた担当がミズダコだった」とか、「大学の研究室に入るとき、『花形』生物の研究室は競争率が高そうで、かといってだれも聞いたことのないようなマイナーな生物を選ぶとそれはそれで苦労しそう。タコならだれでも知っているし競争率も低いだろうからと選んだ」とかいうのばかり。
でも、そうやって“たまたま”という感じで入ってきたような研究者がすばらしい業績を残したりするわけで、事実その通りだと本書を読んでわかる。

それにしてもタコの世界って知らないことばかり。
そもそもタコの正しい“立ち姿”ってどんなのか?
人間とか地上の動物なら頭が上で足とか尻尾は下、図鑑に載っている魚なら頭は左で尾は右。
ところが本書の巻末に載っているタコの図鑑を見て驚いた。すべて足が上で丸い頭が下になっている。
これって逆さまじゃないの? と思ったら、図鑑が正しい。

ナント、頭のように見える丸いタコ入道のようなアタマは頭じゃなくておなかなんだそうだ。
どの動物も眼や口があるところが「頭部」。そうであるならタコの眼は真ん中にあって左右の眼の間を触ってみると脳を保護する頭蓋軟骨があることがわかるという。つまり真ん中の部分が脳や眼、口のある頭であり、その頭に8本(4対)の足が直接ついていて、反対側の「タコ坊主」のような部分には内臓が詰まっているので、ここは頭ではなく腹部。つまり、人間とはまるで違った体の設計図となっているというわけだ。

タコの子づくりも変わっていて(あくまで人間と比べて)、これはイカも同じだが、タコのオスは精子をカプセル(精莢という)に詰めておいたのをメスに渡す。どうやって渡すかというと、8本の足のうちの1本が精莢を渡しやすい構造になっていて、この足(正しくは腕)をメスの体の中に差し込んで精莢を送り出す。したがってタコの場合は交尾とはちょっと違うので「交接」というんだそうで、精莢を受け取ったメスはこれを体内に貯蔵し、イザ産卵というときになるとこの精莢がはじけて精子が飛び出してきて受精するという。

読んでいておもしろかったのは滋野修一氏の「海の賢者タコは語る──見えてきた自己意識の原型」と題するエッセイ。
氏はタコと人間の脳の共通性、少なくとも脳進化においてタコの脳と人間の脳には共通のデザイン原理があるのではないか、と述べていて、興味が尽きない。
ひょっとしてタコは、人間とは違ったあらわれかたで、タコならではの“心”を持って生活しているのかもしれない。
カント哲学についての分析もなるほどと思えて、カントについて何も知らない者にとってもわかりやすく読めた。