善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

今野真二 百年前の日本語

今野真二『百年前の日本語──書きことばが揺れた時代』(岩波新書

100年前といえば明治45年(1212)ごろだからちょうど明治から大正に変わるころ。
ということは明治維新からはすでに45年ぐらいたっている。
そのころの書き言葉はどうだったのかを夏目漱石の手書き原稿などを例に分析したのが本書。
筆者は清泉女子大で日本語学を教える大学教授。

筆者によれば、100年前の字体や言葉は今以上に自由で豊かだったという。
たとえば「コドモ」という字。
現在は「コドモ」を漢字で書けば「子供」しかないが、100年前は印刷された書物でも1つの文献の中に「小兒」「兒児」「童兒」「童子」といくつもの漢字が平気で当てられていたという。

当時は漢字にルビを振るのも当たり前だった。
筆者は明治10年に横浜で出版された『新約聖書約翰(ヨハネ)書』を例にあげているが、「元始」は「はじめ」、「生命」は「いのち」、「同心」は「とも」、「喜楽」は「よろこび」とルビが振られていた。
ほかにも、「信実(まこと)」「完全(まっとう)す」「壮者(わかきもの)」「剛健(つよく)」「虚仮(いつわり)」「資財(たから)」などとある。

上田敏の訳詩に次のようなのがある。これも、漢字とルビとが見事に溶け合っている。

また、邂逅(わくらば)と吐息(といき)なす心(こころ)の熱(ねつ)の穂(ほ)に出(い)でて、
囁声(つぶやきごえ)のそこはかと、髯長穎(ひげながかひ)の胸のうへ、
覚(さ)めたる波(なみ)の振動(ゆさぶり)や、うねりも貴(あて)におほどかに
起(お)きてまた伏(ふ)す行末(ゆくすえ)は沙(すな)たち迷(まよ)ふ雲(くも)のはて。

これだけいろんな言葉が花盛りだったのは、当時はまだ手書き文字の名残が強くて、印刷文化がまだまだ未熟だったからでもあるのだろう。
活字印刷が普及し、読み手が急激に増える中で、読みやすくするためか1つの言葉には1つの文字なり熟語なりが当てはめられ、日本語はやがて画一化していく。
それはそれでいいことなんだろうが、「自由度」からいえば寂しい気もする。

寂しいどころか、あれはだめこれもだめと1945文字にまで制限された「常用漢字表」のおかげで、漢字まじりの日本語のよさはかえって失われ、ときどき意味不明の言葉を読まされている。(今は多少は増えたのか?)

最悪なのがNHKのニュースの字幕で、「口蹄疫」がはやれば「口てい疫」、船舶の事故があると「操舵室」が「操だ室」、「真摯に受け止める」は「真しに受け止める」で何のことか分からない。
ルビでも振れば十分に分かるのに。

自由なはずの社会の不自由な言葉の現実。