善福寺公園めぐり

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2月文楽公演 義経千本桜

土曜日の善福寺公演は快晴。北風が強い。
ウメはまだ咲いてない・・・、と思ったら、枝の高い方に1輪だけ。
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きのうは国立劇場の2月文楽公演。第2部「義経千本桜」「お夏清十郎 五十年忌歌念仏」。

義経千本桜」は「椎の木の段」「小金吾討死の段」「すしやの段」
義経千本桜」は主人公は義経だが、ほとんど出ない。実際の主人公になるのは源氏との戦いで滅びたはずの平知盛平維盛ら、それに吉野の庶民一家、義経の家臣である佐藤忠信の偽者(狐忠信・初音の鼓に使われたキツネの子どもの化身)。
話も3つぐらいに分かれていて、文楽でも歌舞伎でもどれか1つの話が上演される。
今回は吉野の庶民一家が主役。

基本的には、亡びたはずの平家の武将が生きていたら、という設定が大前提となる。
もし知盛が生きてたらというのが「渡海屋」から「大物浦」にかけて。
もし維盛が生きていたらというのが、きのうの「すしや」で、世話物的な味わいが強い話。

維盛は平氏一門が都を落ちたのちに戦線を離脱、那智の沖で入水自殺したといわれる。享年27。平清盛の長男である平重盛の嫡男であり、清盛の嫡孫にあたる。血筋はいいし、とても美男子だったといわれるが、戦はヘタだったらしい。
イイ男で若くしてナゾの死をとげたというので伝説も多く、それで浄瑠璃にもなったのだろう。

いずれにしても、文楽にしても歌舞伎にしても、「もし○○が生きていたら」という話が多い。フィクションだからそれが可能なのであり、そこが芝居のおもしろさでもある。
義経記」とか「平家物語」とかの史実に近い話(これもかなりウソが多いだろうが)をさらに脚色して、史実と創作を渾然とさせたところが文楽や歌舞伎の「時代物」の魅力だ。

「すしやの段」の住大夫がいつにも増してよかった。一番前の文楽廻し(床)のすぐ近くだったからもあるかもしれないが、耳元でささやていてるようで、聞いていて心地よい。

ところが、「切」の英大夫(病気欠場の源大夫の代役)、「後」の千歳大夫になるとつまらない。
なぜだろうと思った。人間国宝・住大夫の芸が際立っているのは間違いない。さらに、もちろんこれも芸のうちだろうが、住大夫の言葉が日本語としてちゃんと伝わってくるのだ。つまり、何をいっているかがよくわかるから、舞台の人形の動きにも集中できる。納得して芸を堪能できる。
ところが、英大夫、千歳大夫になると、まず何をいってるのかがよくわからない。これでは舞台もおもしろくなくなる。

よく義太夫の語りは何をいってるのかわからない、だから字幕つきなんだといわれるが、そうではない。住大夫の言葉は明解にはっきりと伝わってくるから、何をいってるかわからないというのは芸がヘタだからにほかならない。

劇場で買ったパンフレットの中に住大夫と国立劇場を運営する日本芸術文化振興会の茂木賢三郎理事長との対談が載っていたが、住大夫は私の不満に明解に答えてくれていた。

「私は、字幕を見ててもわからんような語りをするなと怒るのです。文章がわかるように大夫が語らないとねえ。死語になっている言葉もありますけど、細かい意味はわからなくても、日本語でしゃべっているのですから、だいたいお客様が想像つくように文章を語って、誰が出てきて、どういう場面かわからせないきまへん。上手、下手はそれからです」
読みながら思わず「その通り!」とつぶやいた。

話はそれるが、同じ対談の中で住大夫が「新作もやらないかん」といっているのに興味深かった。
「宇宙船が出てきてもいいし、宇宙人が出てきてもええと思うてます」
もうすぐ90歳になろうというのにこれからの文楽についての夢を語る住大夫。心は若々しい。

[観劇データ]
国立劇場開場45周年記念 2月文楽公演
国立劇場 小劇場
義経千本桜」「お夏清十郎 五十年忌歌念仏」
2012年2月17日 2時30分開演
1列23番