善福寺公園めぐり

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伊賀越道中双六 通し上演の醍醐味

きのう12日は国立劇場で9月文楽公演「通し狂言 伊賀越道中双六 第一部」。

竹本義太夫300回忌記念というので東京では15年ぶりの通し上演。きのうは第一部で、来週続きの第二部を観に行く予定。

荒木又右衛門が登場する伊賀上野鍵屋の辻の仇討ちを題材にした壮大な物語。鍵屋の辻は曾我兄弟、赤穂浪士と並ぶ日本三大仇討ちの1つだそうで、「一富士、二鷹、三茄子」というのも、ホントは富士のすそ野の曾我兄弟、赤穂浪士の主君・浅野内匠頭の家紋が「丸に違い鷹の羽」で二鷹、鍵屋の辻で名をあげたのが荒木又右衛門で、「名を成す」から「成す」→「茄子」の掛けことば、というんだが、果してどうか?

それはともかく、この狂言で有名なのは「沼津の段」で、ふだんはこの部分だけが独立して上演されることが多い。通し狂言は初めて観る。

「沼津の段」は歌舞伎を含めて何回か観ている。
文楽で忘れられないのは2005年2月の国立劇場公演。あのときは義太夫が住大夫、呉服屋十兵衛に玉男、娘お米が簑助、親の平作が文吾という、今はもう絶対みることができない顔ぶれ。その日はちょうど皇太子夫妻も観に来ていた。

一昨年の浅草・平成中村座での歌舞伎も忘れられない。十兵衛に仁左衛門、平作に亡くなった勘三郎で、あれが勘三郎を観た最後だった。ホント悲しい。

「伊賀越道中双六」の長い話のほんの一部、「沼津の段」だけでも感動するのだから、文楽・歌舞伎は奥が深いが、通しで観るとまた違う感動があった。

第一部は、そもそも仇討ちの発端となる上杉家家臣和田行家殺害の場面を描いた「和田行家屋敷の段」、仇である沢井股五郎をかくまう鎌倉円覚寺での「円覚寺の段」、いよいよ荒木又右衛門(役の上では唐木政右衛門)が登場する「唐木政右衛門屋敷の段」、御前試合を描く「誉田家大広間の段」(これがなかなかいい話。仇討ち成就のため政右衛門はわざと負けるが、それを見抜いた藩主のフトコロの大きさ。こういう話にオジサンはぐっとくる。日本の政治家に見せたい話)、「沼津の段」として単独で上演されることの多い「沼津里の段」「平作内の段」「千本松原の段」。

午前11時開演で、終わったのが午後4時すぎ。休憩も入れて5時間、ほぼ一日の観劇だったが、通してみると話のスジがよくわかり、また、それぞれの段も盛り上げ方にそれぞれの工夫があり、堪能した。

こうして話のスジをしっかりと追いながらみていくと、沼津の段の平作の最期がますますもって胸に迫り、涙が出てしまう。

香大夫、靖大夫(相子大夫休演につき代役)、文字久大夫、睦大夫、咲大夫、咲甫大夫、津駒大夫、呂勢大夫、そして「千本松原の段」の住大夫と、大夫の語りがそれぞれにすばらしく、ワクワクしながら聴いた。
鶴沢寛治、鶴沢清治らの三味線もいい。特に清治の響きが好き。

また今回、「沼津里の段」の語り出しの「東路にここも名高き~」のところ、「きィ~ィ~」のうなりを東海道五十三次になぞらえて53の節でうなると聞いていたので楽しみにしていたが、たしかにそんな感じでうなっていた。正確に数えられなかったので回数は分からないが。
「きィ~ィ~ィ~」と聴きながら、しばし東海道の道のりに思いを馳せることができ、文楽ならではの楽しみの仕方。

今回は平作に勘十郎、お米に簑助。
勘十郎の充実ぶりはすばらしく、平作の姿が舞台に浮きでるようだった。
簑助のお米はまさに至芸。いつ見てもホレボレする。

それと、唐木政右衛門の家来で石留武助というのが出てくるが、人形遣いの吉田玉佳の表情が何ともいえずよかった。
政右衛門に離縁されたお谷を気づかうところなんだが、セリフはなくただジッとして、ヤキモキしているだけの場面。人形そのものよりも人形遣いの玉佳の表情がいい。
人形遣いが自分の顔で表現するというのはホントはどうなんだろう?
玉佳も、別に演技しようとやってるんでなくて、人形を操りながら自然にそんな顔になってしまったという感じ。表情1つ決して動かさなかった玉男と比べれば、まだまだ修行が足りないということなんだろうが、あれはあれで楽しくみることができた。

それにしても玉佳という人、今まで知らなかった。
気になる感じがしてネットで調べたら、玉男の弟子で芸歴28年という。
これから注目してみてみたい。

全段通しの醍醐味を満喫した秋の一日。来週はいよいよ後半だ。

[観劇データ]
国立劇場 9月文楽公演
通し狂言 伊賀越道中双六 第一部
2013年9月12日(木) 3列20番