善福寺公園めぐり

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藤田伸二 騎手の一分

藤田伸二『騎手の一分 競馬界の真実』(講談社現代新書

ある意味、スゴイ本だった。
何しろJRA日本中央競馬会)の現役騎手が同じ仲間である騎手を個人名をあげて痛烈に批判し、JRAを真正面から批判しているのだから。

藤田騎手といえば1996年のダービー(フサイチコンコルド)、97年の有馬記念シルクジャスティス)、02年の宝塚記念ダンツフレーム)、11年の春の天皇賞ヒルノダムール)などG1レースの優勝も多々ある名騎手の1人。しかもフサイチコンコルドはデビューからわずか3戦目のダービー制覇で、7番人気、シルクジャスティスは4番人気、ヒルノダムールも7番人気と、穴党が喜ぶ結果を残した人。

最近、あまり乗ってないと思ったら、競馬、というよりJRAに嫌気がさして、引退してもいいやという心境になっているらしい。本書を読むとどうもヤケッパチ気味になっている感じがする。
なぜそうまで思い詰めているのか、が本書で明かされている。

藤田騎手は、髪の毛を金色に染めたり、背中にタトゥーを入れたりと見た目はハデでアブナイ感じがするが、他馬の進路妨害をしない乗り方などクリーンな騎乗ぶりは有名だ。特別模範騎手賞とかフェアプレー賞なんかを多数とっていて、フェアプレー賞の受賞回数はJRAの現役騎手最多で、歴代でも最多という。また、96年から08年までの12年間、進路妨害などによる騎乗停止処分が1度もなかった。

本書を読んでいると、藤田騎手は「美しい乗り方」にこだわりがある気がする。だから、「美しくない乗り方」をする騎手をこっぴどく批判している。
一番やり玉に上がっているのが岩田康誠騎手だ。岩田騎手は地方競馬(園田)から中央に転身してきた騎手で、現在JRAでもっとも勢いに乗っている騎手。G1勝ちも多い。ところが藤田騎手は「岩田の乗り方は認めない」と言い切る。なにが悪いかというと、「馬の背中にトントンと尻をつけるような追い方」で、「これだけは絶対に認めない」という。
なぜなら、「いくらなんでも不格好だし、何より馬の背中を痛めてしまうから」という。
岩田騎手が勝っているのは「ああした乗り方のおかげ」では決してなく、「強い馬に乗っているから」にすぎない、という。

同じ地方競馬出身で、最近引退したアンカツこと安藤勝己騎手も「中央競馬に入ったのはああいう乗り方をしたくなかったからで、中央はスマートでカッコいいイメージがあったのに、なんで今はみんなあんな不細工な乗り方をするんだ」と嘆いていたという。
藤田騎手によれば、上手い人は横山典広騎手のように、前傾姿勢がとれていて上半身が馬と非常に近いところにあり、ムダのない「人馬一体」のフォーム。これこそが馬に負担を与えない、きれいなフォームだ、という。

もう1つ、藤田騎手が批判するのはエージェント制度だ。
騎手が乗る馬はどうやって決まるかというと、昔は騎手と調教師が直接コミュニケーションをとって決まっていた。
今はエージェント(騎乗依頼仲介者)というのがいて、契約を結んだ騎手の代理として、馬主や調教師から依頼を受けつつ、その騎手の騎乗馬を調整している。エージェントは主に競馬専門紙の記者が副業でやっているという。
現在、エージェントは約20人いて、そのうち15人ほどが現役記者で、残りは元記者だとか。
エージェントは契約した複数の騎手を天秤にかけて、どの騎手に、依頼されたどの馬を乗せるかを判断する。ということは、以前なら自分で厩舎回りをしていた騎手にとってはラクになったかもしれないが、エージェントの判断1つで騎乗馬が決まることになる。しかも、競馬の勝ち負けの予想を稼業とする競馬記者がそれをやっているというのだから、何だかすっきりしない話ではある。

調教師も騎手の顔を見ずに、エージェントまかせとなる。
そうすると、若手を長期的な視野で育てようなんてこと(昔の徒弟制度がまさにそれで、競馬の場合も、調教師は先生であり、騎手は弟子みたいな面があった。ちなみに、騎手たちは調教師のことをテキというが、これは騎手を逆さに読んで手(テ)騎(キ)。コーヒーをヒーコーと呼ぶのと同じだが、調教師は活躍した元騎手がなるケースが多いから、尊敬と親しみが入り交じってそう呼ぶようになったのだろう)はなくなって、勝てそうな馬に勝てそうな騎手をあてがう、その場しのぎの打算的な騎手選択になってしまうのではないか、と藤田騎手は危惧するのだ。

最近、有力馬を数多く所有する大手クラブの台頭が顕著になってきて、個人馬主が次々に撤退していったり、外国人騎手がもてはやされているが、エージェント制度と相まって、ますます騎手は軽んぜられている、と筆者は憤慨し、その責任は、いろいろ問題が出てきているのに何ら解決しようとせずに放置したままのJRAにある、としている。

うーん、人を育てるとは何か、伝統や継承(それは「美しさ」の原動力であるかもしれない)とは何か、という点でもなかなか考えさせられる本だった。