善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

9月文楽公演 勢州阿漕浦&桂川連理柵

けさの善福寺公園は曇り。きのうよりは気温が高めの感じ。

公園を1周してもカワセミの姿はなし。ラジオ体操して帰ろうとすると、上池の杭のあたりにカワセミが1羽。

きのう、昼少し前にも公園に行くと、上池の弁天島に7羽のシラサギ。コサギが多いようだが、中にはダイサギチュウサギっぽいのも。
下池ではゴイサギの親子が仲良くしていた。
イメージ 1

イメージ 2


国立劇場で9月文楽公演を観る。第2部の「勢州阿漕浦」と「桂川連理柵」。
「アコギなことをしなさんな」の「アコギ」はこの「阿漕浦」が元になったんだとか。

「阿漕浦」のあらすじ。伊勢の阿漕浦は昔から伊勢神宮の御料地で、殺生が禁じられている。しかし、この地で隠遁生活を送る平治は母の病気を治したい一心で、病気に効くといわれる魚を密漁しようとする。ところが、網にかかったのは魚ではなく、三種の神器の一つである「十握の剣」。その現場を平瓦の治郎蔵に見とがめられ、つかみあいの争いとなるが、このとき、「平治」と名前を書いた笠を奪われてしまう・・・。

語るのは竹本住大夫。80歳をすぎてもさすが住大夫、1時間半をぶっ通しで熱演。

続いての「桂川連理柵」は、40歳間近の帯屋長右衛門と14歳の信濃屋お半の恋がテーマ。「お半長右衛門」「お半長」と呼ばれ、関西では知らない人がいないというほど有名な話、というのが上方落語の「胴乱の幸助」を聴くとわかる。

京都柳馬場押小路の帯屋長右衛門、隣家信濃屋の娘お半は、伊勢参りの帰り、石部の宿で行き会い、同宿する。その夜、お半はお供に連れてきている丁稚の長吉にいい寄られ、長右衛門の部屋へ逃げ込み、匿った長右衛門と契ってしまう、というところから物語は始まり、ついには2人は桂川で心中する・・・。

人形はお半に簑助、長右衛門に勘十郎という当代最高の組み合わせ。簑助のお半がすばらしい。ほかの人形と比べてもまるで動きが違う。別格というほかはない。とくに、心中する娘とか、薄幸の若妻など、簑助が操ると、人形に命が吹き込まれて観る私たちに切々と訴えかけてくる。

桂川連理柵」はたしか以前、国立劇場で上演したはずで、そのときに観ているはずだと思って出かけたが、どうも記憶に残る場面がない。

帰って昔のパンフをひっくり返したら、2005年5月の公演で「桂川連理柵」がかかっている。このときはお半は文雀(この人も人間国宝)で、長右衛門は玉女。第2部での上演だった。しかし、第1部の「冥土の飛脚」では忠兵衛・玉男、梅川・簑助の名コンビで出ているし、そのあとの「伽羅先代萩」では住大夫が出ているから、第1部を観て第2部の「お半長」は観てなかっただろう。

玉男と簑助の組み合わせは絶品だった。
同じ2005年2月公演では「伊賀越道中双六」沼津の段で玉男、簑助、住大夫の3人が揃い踏みし、ちょうど皇太子夫妻も観に来ていた。
動かないけど動いているのが玉男なら、動いて色香を放つ簑助、それに重厚な住大夫の義太夫が融合し、二度と観られない最高の芝居を堪能できた。

玉男は亡くなり、簑助ももう77歳。脳卒中という大病も経験している。住大夫にいたっては86歳。あと何年、2人の至芸を観ることができるだろうか。

「お半長」帯屋の段の嶋大夫が、もう飛び上がらんばかりの大熱演。舞台よりも嶋大夫に目が釘付け。

帰りに神保町の居酒屋「嘉門」へ。ここはいつ行っても落ち着く。開け放たれた入り口から、涼しい風が入ってくる。カウンターに陣取り、酒から料理から、すべてオヤジにおまかせ。いろんな知らない酒を飲んだなー。創作料理も、どれも客を驚かしてくれ、おいしかったなー。となりの若いカップルも交え、語らいも愉しかった。
日本酒をしこたま飲んで、おまかせコースを食べて、1人5000円ちょっとは安い!。

嘉門 (かもん)
03-3288-3960
千代田区神田神保町3-1-19
日曜・祝日休み